第十五話 甘味の魔法でやわくなる
「お待たせ。なんか話し声がしたけど、誰もいないみたいだし、美美いつもの
井桁がもどってきて、お茶をのせたお盆ごとテーブルに置いた。
「あ、ありがとう。蘊蓄ってほどじゃないけど、桂花白雲片のこと、桂花と白雲片と分けて考えてみたら、思い出してきたことがあったから、声に出して
「ふーん、そういうこともあるかもな」
井桁の特に怪しみもしない様子が不自然なようにも感じたが、美美はとりあえずお茶を一杯飲むことにした。
今度の湯呑茶碗は、白い地の全体に、四弁の小花が鮮やかな黄金色で描かれていた。
「おいしい。何度飲んでも、井桁のいれてくれたお茶は美味しい」
美美が笑顔を向けると、井桁は、ちょっと照れたように横を向いた。
「え、と、お茶菓子その二もあるから、これも館の旦那の土産」
井桁が、春霞を刷いたような薄淡い青緑色の
小皿には、やわらかそうな白い餅菓子がのっていた。
「
美美の相好が崩れる。
どんな時でも、和の甘味を前にすると、美美の気持ちはすぐに晴れる。
「自分でも単純だと思うんだけど、こればっかりは、ね」
美美は、添えらえた
名前の通り、絹の羽二重のようなやわらかさで、思わず頬をつけたくなるような口ざわりだ。
「羽二重餅は、福井の銘菓よね。確か、作られたのは比較的新しくて、明治に入ってからだったかな。福井で盛んだった絹産業をアピールするために、ある時いっせいに福井の和菓子屋で売り出されたっていう話を耳にしたことがある。
そこまで一気にまくしたてると、美美は、もう一つ口に運んでほおばった。
「羽二重餅をほおばった時の幸福感は、明神さまの草餅に勝るとも劣らないわ。同じ“餅”という字が名前についているのに、食感がずいぶん違う。
美美は、同じ雪深い北陸の銘菓でも、その土地の産物や風景などが個性をつくっているのだと感心した。
「求肥とも違う、なんだろう、このなめらかさ、やわさ、甘さは。ここでお煎茶をひと口。お抹茶だと、まったり感が重なり過ぎるかな、どうかな」
「美美、和菓子に使う甘味って、何種類あるか知ってるか」
井桁がきいてきた。
「それくらい知ってるわ。しっとりしていて粒が細かい白砂糖の
「それだけ」
「それだけ?」
「甘味って、砂糖だけか、ってこと」
井桁に問われ、美美はお茶をひと口すすってから、話を続けた。
「砂糖以外の甘味で、和菓子に使うものと言ったら、水飴。澱粉が材料の。麦芽を加えるのよね。生地をしっとりさせるのに使う、甘くて、しっとり、そうそう、この羽二重餅にも、水飴が使われてる」
「それで」
「それで?」
再びの問いかけに、美美は、目を閉じて、記憶を探った。
「え、と、独特のやわらかさは、水飴のなせる技。水飴を作るには、大麦を発芽させて大麦のもやしを作って、臼で搗いて砕いておいて、
「それで」
「それで、って、あと何があるの」
「和菓子の甘味は、それでおしまいか」
「え、和菓子の甘味?」
「砂糖だって、もっと種類がある。和菓子ってのは、ほとんどが甘味で作られてる。だから、甘味の種類は多い。それを使いこなせてこそ、和菓子に見た目プラスアルファの価値を持たせられる。それは、冥菓も同じことなんだ。冥菓の基本は和菓子なわけで、そこを抑えてから、和菓子以外の技や材料を自在に取り入れられるようになる」
美美は、自分ではずいぶん調べて知っていたつもりであったが、調べ残しや検討中で放置しておいた知識がずい分あるなと、改めて自分の記憶の中の和菓子の知識の倉庫を整備しなおさないと、と思った。
「じゃあ、えっと、砂糖と、あと、他にどんな甘味を使うの」
「
「あ、甘葛は知ってる、『枕草子』ね」
美美は教科書に載っていた一節をそらんじる。
「削り
「美美、古典って得意だっけ」
「食べものの場面だけね。あんまりなかったけど。だからこそ、『枕草子』のこの文はよく覚えていたの。天然氷の蜜かけかき氷、古文で書いてあるのに、ひんやり感と歯がきーんとする感じと、甘さでもきーんとくる感じが伝わってきた。さすが才女って思った」
と、美美がまた横道にそれそうなのを、井桁は遮るでもなく、うんうんと頷きながら聞いている。
「美美、できてるじゃん」
「え、何が?」
「記憶法。人界の勉強してる間に、ちゃんと、冥菓道のための
「特別なことはしてないけど」
「無意識でできてんなら、やっぱ、美美は才能があるんだ」
井桁は大真面目な顔つきで美美を見ている。
「もしかして、覚えることを文字のままでなくて、五感を使ってイメージして覚えてることを言ってるの?」
美美の言葉に井桁は大きくうなづいた。
「そう。美美がお菓子のことで記憶を引き出しながらしゃべってる時って、聞いてるこっちまでイメージの渦に巻き込まれるっていうか、いい匂いがしてきて、甘さが口の中に広がって、歯ざわりや舌ざわりまで蘇ってきて、実際に食べてないお菓子でも、記憶の中では食べたことがあるみたいになっていて。それって、すごいことだぜ、美美」
と、その時だった。
ふっとニッキの香りが漂ったかと思ったら、
「そうですよ、美美さん。美美さんの天賦の才と私の時代越えの記憶を掛け合わせれば、冥菓道の修得はたやすいでしょう。まじない菓子の
「朧桜の君?」
美美が小さく尋ねた。
「はい、美美さん。まだ、人形をとれないのですが、美美さんが気になってもどってきました」
声の主、自称・朧桜の君は、臆面もなく言った。
「この声は、すずろ、やっぱ、すずろだろ」
と、井桁が、声だけで姿の見えない相手に身構えた。
「井桁、そう、殺気だたなくても。美美さんがもどってらっしゃったのだから、皆で手を取り合って、冥菓道の伝授に勤しもうではありませんか」
「あのな。すずろ、おまえが本気で冥菓道に関わる気があるんだったら、まず、緑珠姫のこと、ちゃんとしろよな」
井桁の言葉に、しばし沈黙が訪れた。
美美は、口をはさむこともできずにいた。
「緑珠姫、ですか。私は、何もしていませんが」
困ったなといった口調で、自称・朧桜の君、井桁曰く“すずろ”は答えた。
「あいつのことだけじゃない。わかってるんだろ」
井桁は、真面目な声でそう付け加えた。
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