第二十七話 桜川の誓い
時計が9時半を回ったところで、美美は井桁を起こした。
美美に起こされた井桁は、目をこすりながら、ビスケットでバナナをはさんで、氷がとけて少しぬるくなってしまったミルクセーキにそれをつけると平らげた。
それから、富士山湧水ミネラルウォーターのサーバーからくんだ水を、のどを鳴らして飲んで、ふるふるっと顔をふって、両手で頬をぴしゃぴしゃたたいて、よし、っと掛け声を出した。
「ん、よし、目さめた。お待たせ、美美、行こう」
美美も水を飲んでさっぱりすると、立ち上がった。
ホテルを出て幹線道路沿いにゆるやかな下り坂を下りて、白滝公園の角を左に曲がると、水汲み人形が設置されている。
井桁が、おはよーと声を掛けると、「ヨイショ!」っとかけ声がして、人形がきこきこと水を汲み上げてから、さーっと脇の桶に流し入れた。
三島は、街のそこかしこに、水に親しむ仕掛けがある。
明神さまこと三嶋大社に続く桜川もきれいな流れだが、楽寿園から流れだしている
この川のほとりのカフェは、水の流れが間近に感じられて憩える場として知られていた。
ぼーっとしたり、本を読んだり、手紙を書いたり……そう、画面でなぞるのではなく、便せんにペンを走らせるのが似合うのが、この街のせせらぎだった。
「せせらぎカフェか、いいな。店とまじない菓子の件がひと段落ついたら、行ってみよう。都心のカフェとは違う心地よさがありそう」
晴れた日の朝ならではの、一日の始まりの予感に浮き立つせせらぎの音を耳にしているうちに、美美は気分が上がってきた。
「桜川沿いの和風カフェも、コーヒー美味しいのよね。ここは、おかあさんに連れてきてもらったっけ。図書館に行った帰りに」
美美は、白滝公園と広い川幅を保っている桜川をはさんで向かい側にある和風茶房を指さして、井桁に教えた。
「カフェとか、茶房とか、喫茶店とか、コーヒーショップとか、いろいろあるんだよな。お茶とお菓子を食べるところが」
「そうね。あ、そういえば、コーヒーと和菓子のセットがあるの、あのお店は。空間がゆったりしてて、京風の坪庭みたいな設えがあって。静かな店内で、くつろぎながらいただく、コーヒーと和菓子、いいものよ」
美美は、上り調子の気分で思いつくままに、話を続ける。
「うちの和菓子で、コーヒーに合うのって何かな」
「和菓子とコーヒーか、お茶くみのおれとしては不本意だけど、確かに、和菓子ってコーヒーに合うのがあるんだよな」
「そうね、ほら、郷土資料館の館長さんからのおみやげの
「ああ、あれな。砂糖が主な材料だからな」
「コ―ヒーシュガーの代わりになるわよね。お干菓子は合うわ、確実に」
「角砂糖感覚だよな」
「あとは、よく練った練り
「純粋に甘いだけで存在か、美美、おもしろいこと言うなぁ」
「和菓子ってひと口に言っても、カステラや金平糖なんかも入るし」
「あれは、南蛮菓子」
「そうだけど、南蛮菓子は、和菓子の系譜に入るのよ」
「ふうん」
「そうね、そのうち、歴史を辿りながら和菓子の系譜もまとめてみようかな」
美美は今までに食べた和菓子を思い浮かべながら、楽しい作業になりそうだと思った。
そんな会話をしながら、文学碑がところどころに建てられている桜川沿いの遊歩道を二人はぶらぶらと歩いていく。
並んで歩くその姿は、傍目には、年の離れた姉弟に映るかもしれない。
井桁は、美美の
美美は、弟がいたらこんな感じなのかなと、かわいいなと思いながら、井桁が両手を頭の後ろで組んで歩いているのを眺めた。
「ところで、美美は、ちゃんと寝られたのか、夕べ」
「よく眠れたわ。でも、
「おかしなこと?」
「そう、これ、見てみて」
美美は肩に掛けたバッグからクリアファイルを取り出し、そのまま井桁に渡した。
井桁は立ち止まると、クリアファイル越しに便箋にはさんだ御札を日に透かして見た。
「うーん、獏、仕事してんな。なんか、悪夢みた?」
「ううん、朝までぐっすり。だから、驚いたの、それ見て」
「御札の効果があったってことだな。やっぱ、最近、
「邪なものって、あやかしとは違うの?」
「あやかしであることもあれば、そうでないこともある。こればっかりは、この土地の気の状態によって違ってくるからな」
「井桁は、その、大丈夫?」
たずねた後で、まずいこときいちゃったかなと美美は、肩をすくめた。
「ああ、おれは店憑きだから、居場所が確保されてるから、大丈夫」
「居場所があれば平気なの?でも、地縛霊とかいるよね」
「それは、居場所があっても、そこの
美美は、そうなのよね、とうなづいた。
困りものではあるけれど、父は悪い人間ではないのだ。
「清川くんも言ってたけど、最近この辺の空気に落ち着きがないみたいだって」
「うん、たぶん、冥菓道のあやかし側の継承者候補が画策してるんじゃないかな」
「え?」
寝耳に水で美美はきき返した。
「冥菓道のあやかし側の継承者って、正々堂々と戦うというか、菓子つくりの技とか何かを競って決めるんではないの?」
「本来ならそうさ。でも、必ずしもそうとは限らない」
「そんな……」
「まあな、どんなことでも、そういうやつってのはいるよ。技を磨くのを怠ってるのに、どうしてもこの勝負に勝ちたいってことで、本筋からはずれたことを仕掛けてくるやつ。それも作戦だって開き直るやつもいるけどさ。まあ、おれは許せない。そういう
井桁は、眉をあげて、怒っている風を見せた。
「さかしままじない菓子?」
「秘伝だよ。文字通り、まじないの目的とさかしまなことを降りかからせるようにつくるんだ」
「怖いのね」
「こっちも真剣だからな」
「そういうのをきくと、ひるんじゃうな、冥菓道継ぐのって、ものすごく大変なことのように思う……」
井桁は、はっとして、慌てて美美の前に立ちはだかった。
そして、きっ、とした表情で美美の顔を見上げた。
「だいじょうぶだよ。店には、おれが憑いてるんだから。美美のことだって、おれがちゃんと守るからさ」
かっこつけてはいるが、見かけは子どもなので、ひたすら微笑ましく美美には思えた。
それでも、自分に味方がいるというのは、ぐっとくるものがあった。
小さな橋がいくつもかかる水上通りの脇の桜川の流れでは、水面を水草の緑が彩るり、鴨の親子が、岩に生える水苔を食みながら、のんきに浮いている。
風になびく柳。
水面を渡る風の心地よさを感じながら、点在する地元ゆかりの文学碑を眺めながら散策するのにぴったりな道。
二人は、なんとなくお互いに声をかけるのをためらって、川沿いの遊歩道を歩いていった。
どちらからともなく、顔を見合せたのは、いくつもかかる橋のどれかが、言祝町へつながっている辺りにきた時だった。
「店に寄っていく時間はないわね」
「そうだな、先に明神さまへ行ってからかな。依頼のまじない菓子の材料を手に入れてから店にいって、すぐに試作を始めた方がいい」
「そうね」
「とにかく試作してみて、まじない菓子の基本を覚えてもらわないことには、はじまらないからな」
「はじまらないって、冥菓道の継承のこと?」
井桁は応える代わりに駆け出した。
「約束の時間!」
「浦島さん――
「今日は、大鳥居からじゃないとだめなんだ、先行くから、ちゃんと来いよな」
そう言うが早いか、井桁はさっと走り去り、あっという間に見えなくなってしまった。
「待って、守ってくれるんじゃなかったの、って、こういうとこ子どもなのよね」
とつぶやきながら走って追いかけようとして、美美は、勢い余ってつんのめって前のめりに倒れそうになった。
なんとか両手をついて膝をすりむくのは免れたが、その拍子にバッグの中身が飛び出してしまった。
よりにもよって竹包のおはぎが転がりだし、桜川におっこちてしまった。
「おはぎ!」
美美は、どうしたものかと、桜川の中をのぞきこんだ。
すると、かもの親子がわらわらと包みに集まってきた。
かもたちは、お互いにぐわっぐわっと何やら会話をしていたが、親鳥と思しき一羽が包みをつついたのを合図に、総勢5羽がいっせいに群がった。
5つのくちばちがついばむことで、いとも簡単にかごめ結びがほどかれ、中から表われたおはぎを、かもたちは、ばしゃばしゃと羽根や水かきのある足をばたつかせながら、一分もたたないうちに食べつくしてしまった。
心なしか、かもの顔つきがこわばったように見えた。
「おはぎ……かもたちにも魔除け効果あるのかな……井桁には言えないな」
美美は、ぷかぷかと浮いている竹皮とぐしゃぐしゃになった竹皮のひもを、道端に落ちていた柳の枝ですくいとった。
それらを振って水切りをすると、バッグに入れてあったビニール袋に入れてバッグにしまった。
「慌てるとろくなことにならないわね」
美美は苦笑いをすると、明神さまの表玄関、大鳥居に向かった。
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