第七話 和泉式部も食べていた
「んー、わかった、話すだけなら、話すわ。確か、こうよ。蓬はその強い香りから魔除け、厄除けとして使われていた……」
美美は
そこで、中学時代に調べた内容を皮切りに、草もちについての四方山話を始めた。
「まずは、草もちの“草”これは、始まりは、蓬ではなくて、
「母子草、春の七草ですね」
「そう、春の七草でいうところの“ごぎょう”。平安の恋多きうかれ女歌人和泉式部が、母子草の草もちを読み込んでいる。」
「恋人に詠んだのですか」
問いかけに美美は首を横に振ると、一首詠みあげた。
「花の里 心もしらず春の野に いろいろ摘める
「美女が草もちを詠んでいたのですね」
「美女かどうかはともかく、和泉式部は、歌人としての才能と、恋愛の才はあったみたい。でも、この歌は、恋の歌ではないけれど」
「そうなのですか」
「字面の通り母と子がお互いをなつかしみ、思い合うという歌よ」
「いろいろ摘めるというのは、春の七草を摘むということですね」
絶妙の合いの手に、美美の口からは、滑らかに言葉が溢れてきた。
自分の話をききたがっている、望んでくれているとの雰囲気が伝わってくる相手に語ることの気持ちよさに、美美は酔っていた。
その酔いはさめることなく、語り口を熱くしていく。
「草もちが関わってくる年中行事としては、
ひと息ついて、美美は語り続ける。
「古くは、中国周の幽王が草餅を奉られて、その美味なることに感じ入り、
「それは、どなたの説ですか」
「出所はわからないみたいだけど、まこしやかでありそうだからと、貝原先生の歳時記に書いてあったのを引用しました」
「ああ、
「知り合い?」
「ええ、まあ。江戸時代の
「本草学って、現代でいうところの薬学よね。まじない菓子って、ある程度はつくり方に根拠があるのね」
「根拠、ですか、そうですね……」
「で、貝原先生は、草もちのもとが母子草ということについては、六世紀の中国の揚子江流域の年中行事や風習の記録から推し測っているの。三月三日は
――そうか。ということは、彼は、少なくとも江戸時代にはいたということね――
美美はぼんやりと思いながら、話を続ける。
「で、この上巳の風習は、さっきも触れたけど、雛祭にも深く関わっていて……」
「美美さん、そろそろおいとませねばならないのですが」
「……草もちは、
「美美さん、ありがとうございました」
「中国周代の最古の詩篇『
「美美さん、」
自称・朧桜の君の両手が、美美の顔を包んで、頬に触れた。
しゃべり続けて興奮していたのか、熱っぽかった頬が、すっと冷めた。
そこで、はっと我にかえり、美美は、両手で口をおおった。
いつも蘊蓄が出そうになるのをぐっとこらえている反動で、しゃべり過ぎてしまったのだ。
蘊蓄うざいと中学の時に言われて以来気をつけていたのに、彼と話しているうちに、記憶を引っ張り出されるように、舌がまわり始めていたのだった。
「つづきは、また今度」
少し難しい顔をして、彼は美美の耳元に顔を近付けた。
「今夜は、何があっても、蔵を開けてはいけません。窓からのぞいてもいけません。いいですね」
今までとはうって変わった強い口調に、美美は、思わず彼を見た。
「井桁が帰ってきたら、よろしくお伝えください」
「よろしくって、何を」
「朧桜の君が来たと、そう言っていただければわかります」
美美は、彼とのやりとりを告げたら、井桁からの文句がすごいことになりそうだなと思いつつ、しゃべりすぎた口直しに、草もちの最後の一つを口に入れた。
それは、心なしか、
「では、おいとまいたします」
そう言うと、自称・朧桜の君は、美美の口元に、長くてきれいな人差し指を当てると、付いていた小豆あんを、指の腹でそっとぬぐった。
ぬぐった小豆あんを口に含むと、あやかしの青年は、店の奥へ去りかけてから一度振り返り、思わせぶりにうなずくと、裏の出口から去っていった。
――なんて日なの――
帰って早々、井桁から、自称・朧桜の君にからと、あやかしたちに連続で禁止事項を言い渡されてしまった。
しかも、一つ目の禁止事項は破ってしまっている。
美美は、椅子の背に掛けられた朧桜模様の着物を見やって、ため息をついた。
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