6ー7 世界で一番我が子が可愛い

「名残おしいけど、そろそろお別れ」

「あの、言動と行動が一致してないけど。そろそろ離してくれないか?」

「もうちょっと」


 歌い終わり、ついに元の時代に帰るタイミングとなったところで、リムに正面から抱きつかれた。痛みを感じる強さではなかったが、ガッチリと掴まれて離れるどころか身動きが取れなかった。しかし、嬉しくないとはいえなかった。

 おそらくもう会うことはできないと思うと、遥の胸は締め付けられるようだった。それでも、帰ることへの決意は変わらなかった。


「遥は、とても成長した。始めは危うくて心配だったけど、もう心配はいらないんだね」

「リムやカナタ。それに色々な人たちと出会ったおかげかもな。これでも感謝してる。一番感謝していることは、暴走した時に止めてくれたことだ。強引すぎる止め方には驚いたけど」

「あの時のことは、実はどっちでもよかった」

「は?」


 遥は驚きのあまり目を丸くした。


「人として干渉ができる間は、できる限りのことをしてみたかった。正直、自分の子供と生殖行為ができる機会なんて二度とないと思い、知的好奇心を優先した」

「え? じゃあ、あの時に俺がやめてなかったら……」

「ママの息子のパパは、遥になる可能性、あった」

「あっぶねえええ」


 たった一言で冷静さを取り戻せた自分を、全力で褒めてあげたかった。いくら常識が通用しない世界での出来事とはいえ、犯した罪が消えるわけではないのだから。


「もう一つ聞きたいんだけど、未来に帰してくれるって話があった次の周に、リムと二人きりになっただろ?」

「うん」

「あの時にカナタはいなくて、なぜか翌周になってまた現れたのって、何か理由はあったのか?」


 リムは特に考える素ぶりもなく答えた。


「本当に、遥かカナタは未来に帰そうと思ったんだけど、肝心のカナタが物凄く拒絶したから、未来に帰すことはやめた。そして次の周にいなかったのは、遥と二人の時間を過ごしたかったから、あえて一周飛ばした」

「思ったよりめちゃくちゃしてるじゃねえか」


 遥のツッコミを受けて、リムはクスクスと笑った。どんどん表情や仕草が人間的になっているようだった。


「母親の気持ちとしては、遥の成長を喜んで、これからを見守ってあげたい。けど、同時に遥がどんどん親離れをしていくことに思うところがあるの」

「複雑なんだな」

「あらあら、感情ってそういうものでしょ。親としての思いと、ワガママな本音。両方持っていることが自然なはず」

「それも、そうかもな」


 不意にリムの腕が緩み、遥の腕を掴んだ。そのままブレスレットに触れたと思えば、再び抱きしめられた状態に戻っていた。


「今、何かした?」

「ちょっとしたプレゼント。肌身離さずつけていれば、いいことあるはず」

「開運グッズみたいだな」

「効果は絶大。しょうがない、そろそろ離します」


 ようやく解放されてベンチに座り込んだ。少しだけ温もりを確かめるように神経を集中した。この感触を思い出せば、寂しくなってもまだがんばれそうだった。


「ちょっとだけ、悔しいな。今まで遥は、世界で一番私のことが好きだった。でもじきに二番目になって、最後はきっと三番目になる。それが、運命だから」


 リムがいう言葉の意味を、遥はよく理解できなかった。


「なんだかよくわからないんだけど」

「子供は成長するってこと。いつか子供にも好きな子が出来て、結婚する。でも親になるとね、誰が一番可愛いかなんて、決まってる」

「俺もいつか、親になってみればわかるのかな」

「うん。その時にきっと、母と父の偉大さを知るでしょう」


 遥はリムに控えめなドヤ顔を、しっかりと胸に焼き付けた。

 リムは翻って、カナタの姿をじっと見つめた。漆黒の瞳は確かにカナタを捉えていて、何かを待っているようだった。予想外の展開に、カナタは狼狽うろたえていた。


「えっ、私?」

「もちろん。ほら、おいでカナタ」


 リムは両手を広げて、カナタを呼んだ。カナタはまだ戸惑っていて、次の行動を決めかねているようだった。


「えっと、どうすれば」

「カナタの好きにすればいいよ」

「うん……わかった。えーい」


 カナタはリムの胸に飛び込んだ。リムはカナタを包み込むように頭から抱きしめていた。瞳に映る感情は、遥に対するものとは、わずかに違う愛情だった。

 リムは、繰り返しカナタの頭を撫でた。今まで触れなかったせいか、念入りに繰り返しカナタを撫で回した。カナタも始めは身をこわばらせていたが、慣れてくると気持ち良さが勝ったのか、自らリムの体を抱きしめていた。


「今までごめんね。でも、ちゃんとカナタのことも見てたから」

「リムちゃんは、やっぱり私のことも知ってたんだ」

「もちろん。あなたも私にとっては大事な」


 リムはカナタの耳元に顔を寄せて、一言だけ呟いた。小さすぎる声量だったため、発した内容は遥にはわからなかった。


「……だからね。今まで、よくがんばったね」

「リムちゃん……」


 カナタはリムの胸に顔を埋めた。リムは変わらずカナタのことを撫で続けて、時折髪飾りに触れていた。その度に髪飾りは一瞬光に包まれていたが、何をしているのか遥にはわからなかった。

 ひとしきり抱擁が交わされて、ついに過去を巡る冒険にも終わりが近づいてきた。泣いてしまいたいほどに別れは辛く感じたけれど、必死に堪えた。

 悲しませたくない気持ちは本物だった。そして、別れ際は笑顔のほうがきっと楽しい。そう思った。


「それじゃあ、そろそろ二人を帰します」

「ああ、色々あったけど、もう一度大好きな母さんに会えて、すごく嬉しかったよ」

「私も、嬉しかった。もちろん、本来ならこうして会うことがなかった、カナタとも会えて嬉しかった」

「リムちゃん……私も嬉しかったよ」

「うん、さようなら」


 何度か味わった、自身が分解されていく感覚。光の粉として変革していく様は、砂漠に映る蜃気楼のようだと感じた。足元から徐々に消え去っていき、発したエネルギーは色を奏でていた。意識は手放されていき、どんどん曖昧となって、世界に溶けていくようだった。体が半分ほど光のように発光し、ここから無くなろうと縮小していくなか、思わず言葉がこぼれていた。


「母さん! 一つだけいい忘れてた! 父さんを、よろしくな!」


 リムは呆気に取られたように目を見開き、口元を綻ばせた。


「もちろん。彼が私を好きっていってくれるから、私も彼を好きだと思う。ただし、世界で二番目だけどね」


 最後まで息子には甘いんだな。

 愛されていたことに満足感を覚えながら、ハルカナコンビは、幻のように消えていった。






 遥とカナタを見送った後、リムは元の世界に戻っていった。タイムリープなんてものは存在しない、今が未来に向かうだけの、当たり前の時間軸。不自然な流星群は訪れず、欠落した建物や空間もない、とある一時空。遥もカナタもまだ存在しない、そんな世界。


 自室で一人、ベッドに横たわった。遥とカナタが幾度となく繰り返したように、リム自身も何度だって同じ体験を過ごしていた。観測者として日々の出来事を見守ることは、苦痛に感じることはなかった。それが存在意義であるのだから。

 物が少なく、娯楽品は見当たらない。簡素と呼ぶに相応しい我が家。今日は何だか、いつもより広く見える。


 リムは、これからも世界を観測し続ける。時空という概念を超えて、未来からも過去からも観測した情報を共有できる。他ならぬ自分自身から。人の形をやめた後も、その役目は変わらない。


「遥はもう、きっと大丈夫」


 遥とカナタがリムのもとに近づいてきた最初の時、同時に二人の未来がわかった。カナタは何もなせずに、遥の未来は変わらないままだった。あくまで、あの段階での遥であればという話ではあったが。

 その行動が、その思考が、一つ一つ連なり未来の形は変わっていく。たった一本の糸も絡まれば強靭な鎖にもなっていく。徐々に変わっていく遥の姿を見ていくことは、嬉しさと同時に寂しさも覚えた。もし遥が望めば、もしカナタが望めば、リムは本当に閉じた世界で生きるつもりだった。愛すべき家族だけで、時間からも隔離された世界で生きることは、とても心踊る想像だった。

 けれど、遥とカナタは選ばなかった。永遠の楽園よりも、不確定な未来を選んだ。

 それはとても喜ばしく、ちょっぴり置いていかれたような気分だった。子育てを終えた親が、子供が巣立っていくことをきっかけに、元気を無くしてしまうという症状があるらしい。空の巣症候群と呼ばれていた。なるほど、広くなった巣は、まるで心を表しているかのように、穴が空いている。


「……寂しい」


 いずれ消え行く運命と、人に干渉しすぎないようにと、自分で決めた結末。何があっても、あと数年で人の形を保つことをやめて、観測のみの存在となる。そのルールがあったから、こうして好き勝手に人として生きているのだ。いつ自分が消え去ることになっても、後悔はしないつもりだった。

 そうはわかっていても、いずれ訪れる別れを思うと、今すぐ消え去った方がマシなんじゃないかとすら、思う。


「私がこの気持ちを知ることになるとは思わなかった。別にいつ人でなくなってもいいと思っていた。今はちょっとだけわかる。形がなくなることが、怖いって」


 生物はいずれ死に至る。活動の停止であるだけなのに、どうしてみんな死を恐れるのかわからなかった。けれど、触れ合いを知って、大切なものを見つけた。嬉しい気持ちや寂しいなんて感情も知った。そうやって積み重ねられてきたものが、他ならぬ自分自身だった。思い出が、体験が作ってきた自分自身がなくなることは、とても怖いことだ。

 また一つ理解が深まった気がする。


「……寂しい。とっても」


 冬の寒さが、余計に身にしみた。先程まで感じていた温もりには、もう二度と触れることはない。温かさを知った体は、もう温もりなしには生きられそうになかった。きっと人はこんな時に、自分以外の誰かを求めるのだろう。

 幸い明日はクリスマス。この日の女の子という生き物は、いつもよりも大胆に甘えてもいいらしい。


 用意はしておいたけれど、今まで使ってこなかった自宅の電話を使う。番号をプッシュすると、二回ほどのコールで相手は電話に出た。

 ちょっと調子に乗りやすくて、嫉妬深くて軽い感じ。けれども、実は真っ直ぐで真面目な、不器用さが拭えない。好きな人に好きといい続けられる、そんな感じの男声がリムの耳に届いた。


「はい、今宮ですけど」

「私。リムだけど」

「えっ!? リムちゃん!? どうしたの電話をかけてくれるなんて」


 弾む声には困惑も混ぜられていて、相当動揺している様子だった。少しだけそんな反応を面白く思った。これからも、知らないような反応を一杯見せて欲しいと思った。

 リムの寂しさは、少しだけ小さくなっているように感じた。きっとこれから好きっていわれれば、もっともっと小さくなっていくはずだ。

 その時のことを思うと、なぜだろう。自然と表情が緩まった気がした。


「明日、デートしよ」

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