3ー8 帰る場所はどこか
約束通り遊びに行くことを提案すると、あっさりと了承を得られた。横目で暁をうかがうと、わかりやすく、ガッツポーズで喜びを表現していた。軟派なイメージが強かったが、きちんとリムのことを好きな気持ちがあるようで、安心した。
「珍しいね、遥の方から遊びに誘ってくれるなんて」
風呂上がりのため、乾かした髪をとかしながら、カナタは嬉しそうに声を弾ませた。
そんなに珍しいか? と疑問に思ったが、思いかえすと、自ら遊びの提案をしたことはほとんどなかった。
「実は父さんの希望でさ、母さんを誘ってもノッてくれないから誘ってほしいってお願いされたからだよ」
「そうだったんだね。遥のママ、なぜか遥にゾッコンだもんね。いっそのこと恋人気分を味わっちゃえば?」
「……ママと結婚するなんていってるのは、幼稚園児までだろ」
「あははは、そうだね。私も幼稚園児の時はいってたなー。パパと結婚するんだ、って」
幼子特有の、よくある願いごと。元から叶うものではなかったが、遥にとっても、カナタにとっても、どちらにも共通した思いがあった。
二人が現実に戻れば、こんな冗談をいい合って笑い合う相手は、もういないのだ。仕方がないこととはいえ、やはり寂しさを感じずにはいられなかった。
けれども、明日には帰らなければならない。このまま帰らなければ、素直との関係を勝手に切り捨ててしまうこととなるし、父親もきっと心配するはずだ。
現代に戻ることを想像した時、一つ気になった点が浮かんだ。
「明日の夜には現代に帰るわけだけどさ、帰るとしたらどのタイミングに帰るんだ?」
カナタの髪をすく手が止まった。
カナタはこちらに向き直り、ゆっくりと視線を合わせてきた。かつてないほど真剣な表情で見つめられて、息が詰まるようだった。
見つめ合う形になっても、まだカナタから言葉は紡がれない。わずかに目尻が下がり、苦悶がよぎったような表情を一瞬捉えた。
「タイムスリップした時に、戻ることになるよ」
遥は、カナタがいい淀んだ理由を理解し、息を吐き出した。
落ちてきた看板から逃れるために、急遽タイムスリップを行ったことで、すっかり危険を回避したような気になっていた。けれども、結局のところ一時的な時間稼ぎでしかなく、問題の先延ばしに過ぎなかったということだった。
「もちろん、理由があるんだよな」
「……うん。私たちが過去にきて新しい世界に分岐したみたいに、過去から現代に戻っても世界の分岐は起きてしまう。少しでもズレた時間軸に行くと、厳密には今までとは違う世界に行ってしまう」
「タイムスリップした瞬間に戻ると、その問題は無くなるってことか?」
「タイムスリップを経験したかしてないかの違いはでるけど、元々の世界ぴったりに戻れば、分岐はそれからだから、私たち自身はそのまま、元の世界の時間を生きられるよ」
「少しでも時間がズレて、俺たちが帰らなかった世界もできてしまうものか。そうなると、悲しませてしまう人も出るのか」
母親が失踪し、さらに遥までいなくなってしまうことに、暁はどれほどの喪失感を味わうのだろうか。想像すらも生温い絶望を感じるのだろうか。
「ごめんね。もっと早くいうべきだったんだけど、いえなくて」
「俺もちょっと気にするのが遅かったし、謝る必要はねえよ」
「長居しない方がっていいって決めておいてなんだけど、帰る時間をもう少し遅らせる? 私だって、遥に危ない目にあって欲しくはないんだよ」
遥は悩む素振りも見せず、首を横に振った。
「いや、いいよ。どうせ遅かれ早かれ訪れることだし」
カナタはわずかに目を伏せた。表情は読めないが、口元は結ばれていた。
「……まだ、諦めてるんだ」
「何かいった?」
「なんでも、ないよ。じゃあ、明日には戻ろうか」
電気を消して、寝る準備に入った。こうして毛布を分け合って寝ることも、今日で最後だと思うと、少しだけ名残惜しい。なんだかんだで、ハルカナコンビとして過去を冒険するような行為を、楽しいと感じていたのだ。
「遥は、私のことを好きになってない?」
いつもの確認行為。なんとなく弱々しい問いかけに、いつも通りに答える。
「恋愛感情はないよ」
そう答えた。けれど、最後を名残惜しむ気持ちなのか、積み重なって疑問が湧き出たのか、何らかの感情が噴き出した。遥はいつもならいわない疑問を口にした。
「カナタは……俺のこと好きじゃ、ないのか?」
いつもとは違う質問の答えは、ワンテンポ遅れて返ってきた。
「……好きだよ。その気持ちに嘘はない。幼馴染として、だけどね。にゃはは」
翌朝、カナタはいつもより念入りに出発の準備をしていたため、遥は暇を持て余していた。ボーッとカナタの様子を眺めていたのだが、女の子の準備を見るのはマナー違反だと叱られ、一人で山道を散歩していた。
この数日に何度も行き来した景色も見納めだと思えば、歩みも緩慢となった。
無造作に設置されているベンチに腰をかけた。肌を刺すほどの冷たさと、澄んだ風が同居していて、気分は爽やかに晴れ渡っていた。
全身を空に向けて伸ばし、体をほぐしている最中。
「なんやにいちゃん。えらい元気そうやんけ」
声がした位置は後方からだった。そのまま首を逸らして視線を動かすと、くすんだ色をした鳩がじっとこちらを眺めていた。遥の人生において、人語を扱う鳩に心当たりは、一羽しかいなかった。
「あっ、いつぞよかの喋る鳩さんじゃないか」
「おうにいちゃん。探してた人はちゃんと見つかったやろ?」
「おかげさまで。その節はお世話になりました」
「それは良かったな」
鳩に頭を下げる構図は、側から見たらとても奇妙なことだろう。けれど、礼はきちんと尽くさねばなるまい。
鳩は満足げにクルッポークルッポーと鳴いていた。様々な不思議を体験した今となっては、鳩が喋るという事実を、受け止めることは容易だった。
「鳩さんってこんなとこにもいるもんなんだな」
「普段はここにはこないんやで。今日はにいちゃんに会いに来ただけや。こないなサービス、滅多にしないんやからね」
「鳩さんに恩を売られたのか、俺は」
「ワシが人間やったら、銭でも要求しとるとこやけどな」
鳩さんの一人称はワシだったんだ。鳩なのに。
遥の思考は、一瞬だけ無関係な方向に逸れた。
「それで、俺に会いにきたって、一体どんな用があってなんだ?」
遥は買ってきた缶コーヒーに口をつけた。
「そうそう。にいちゃんたちは、今日には元の時代に帰るつもりなんやろ?」
口に含んだコーヒーを全て吐き出した。
「こほっ、げほっ。な、なんで知ってるんだよ?」
「ワシは色んなことを知ってるんやで。それで一つ忠告なんやけどな」
くすんだ鳩は、注意を促すように、広げた羽を遥に向けた。
「帰ろうとしても、まだ帰られへんで」
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