2ー3 時空を超えるくらいだから鳩も喋りますよね

 がむしゃらに走りながら、遥はおぼろげになりつつあった母親との思い出を探していた。

 思えば、昔から表情の変化には乏しくて、ちりのように掴み所がなかった。笑っているところ、泣いているところ、怒っているところなどを見た覚えがほとんどなかった。喜怒哀楽の表現に乏しかった印象が強い。なるほど、宇宙人だと母親を表現した父の言葉は、すごくしっくりとくるのかもしれない。


 そういえば幼い頃、母親と川遊びに出かけたことがあった。

 清流の気持ちよさについつい調子に乗って深いところまで踏み出したところ、足がつかずに溺れかけた。必死にもがいて助けを求めていたと思うが、肝心の母親は何をするでもなく、じっとあがく姿を見ていた気がする。

 遥は「助けて」と声を上げるが、母親は一言、「がんばれ」とだけいっていた。目を離すことなく、じっと見つめられている感覚だけはあった。それは心配でおろおろとしているというよりは、遥の行動の全てに注目しているように感じた。そのような血も涙もない対応に、いっそこのまま溺れ死んでしまおうかと反発心もわいてきた。

 がむしゃらに足をばたつかせて、なんとか岸まで体を乗り上げると、母親に抱きとめられた。今更なんだよとむかついた気持ちもあったけれど、母親の体温に安心して泣きじゃくってしまった。


 これだけの話であれば、ただのひどい人のような印象を抱いてしまうけれど、その後の母親の行動は極端だった。

 この出来事からその後一ヶ月に渡って、遥にべったりだった。

 食事や入浴はもちろん、幼稚園に送り届けた後も、木陰や近くのビルから見守られていた。あまりにも心配が強い時もあるようで、意味もなく幼稚園を休まされて一日中抱きしめられていた。心配の言葉を口にするわけではなかったが、何か思うところはあったようだった。

 一人で出来るようになったトイレにまでついてこられた時は怒ったけれども、大好きな母親を独り占めできることは、恥ずかしくもあったけれど、とても嬉しかった。


 大好きだった母親、今宮リムはいなくなってしまった。

 父親と、遥を置いて。


「なんで、なんだよ」

 いなくなった日に感じた悲しみが再び押し寄せて、立ち止まってしまう。あの日感じた理不尽さは、未だ胸にくすぶっていて、心に押し込めていられるわけじゃなかった。

 こうして過去に来たって、空いた穴を埋められるわけなんかないんだ。


「なんやえらい落ち込んだ顔しとるやん。男前が台無しやで。お世辞やけどな」


 えらく甲高い作り物めいた声が聞こえてきた。声のした方を探ろうと、ぐるっと辺りを見渡してみるけれど、声の主は見当たらない。


「こっちやこっち」


 まさかと思い視界を上に向けると、家や空が映るだけで、人など見えない。

 見えたのは、電柱のボルトに立っている、一羽の色あせた鳩だけだ。


「やっとこっち向いたな、にいちゃん」


 これは何かの冗談だろうと思う。現実的に考えて、鳩が言葉を喋るわけがない。さっき頬をつねった時に痛かったのも、きっと幻肢痛げんしつうだ。

 となると、これは悪い夢だ。

 過去に戻るとか、女子高生の母親と出会うとか、タチが悪すぎると思った。挙げ句の果てには喋る鳩だぜ。

 そろそろ夢から覚めよう。

 そう思い、遥は寝転がってはみたものの。


「起きんかいボケ」

「いってえ」


 謎の鳩にクチバシで顔を突かれて、遥は飛び起きた。どれだけ現実逃避をしても、押し寄せてくる現実は、とても痛かった。もしこの痛みが幻肢痛だというのならば、もう何も信じられない。


「いきなり人の前で寝だすのは、マナー違反と違うんか?」

「いや、お言葉ですが人ではないでしょ?」

「はああああっ。これやから最近の若いもんは。上げ足ばっかりとりよる」

「いや、厳密にいうと最近の若もんですらないんだけど」


 そして上げ足をとるよりも、いっそのこと揚げ鳥にしてやろうかと黒い感情を燃やしたが、口には出さなかった。


「嘆かわしいわ、ホンマ。日本の将来はどうなってまうのかね」

「壮大な話し中、申し訳ないですけど、アンタ様は鳩だよね?」

「せや。見てわからんか?」

「むしろ違ってて欲しかった。喋る鳩なんて見たのは、生まれて初めてだよ」

「世の中何が起きるかわからんもんやで。永遠に続くもんなんてない。それは世界のルールですらも、や」

「それはそうかもしれないけどさ」

「日々にどれだけの生き物が死に絶え、どれだけの命が生まれとるんや。そんな世界の出来事に比べたら、鳩が人語を使うくらい、些細なことやないんか?」


 遥は切り返す言葉を失った。煙に巻かれている気はするが、勢いに押されてしまいそうだった。タイムトラベルができるくらいだから、鳥が喋るのもありえるのか。


 ……いや、どうだろう。


「そんな世界を憂うお鳩さんは、いきなり喋っちゃって大丈夫なのか?」

 テレビに売り出せばいくらぐらい稼げるのだろうかと、密かに値踏みした。

「なんやゲスいこと考えてそうやな。今日はほんの顔合わせだけやし、普段は喋らんわ。これから、お目にかかることもあるやろう」

「はあ」

「まだ信用してないようやな。それならば、一つお役立ち情報を教えたるわ」

「お役立ち情報?」


 首を傾げる遥に、喋る鳩は立派な鳩胸を反らせた。


「あんたの探しとる奴は、山の方へ飛んで行ったで」

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