3ー10 バイバイありがとさようなら また来周
カラオケを楽しんだのちに、リースに彩られたオシャレなレストランで食事をして、雑歌夫妻の経営するアスタロイドにも立ち寄った。最後に伊坂山へ登り、展望台でまばらに光が揺れ動いている夜景を眺める。電灯が少ないためか、灯りの数が少ないながらも、暗闇が多い分とても映えていた。
ムードに酔った暁がリムに告白し、見事に玉砕されていた。それでも諦めねえ! と涙目で宣言する姿は、ある意味では男らしいと感じた。
麓まで降りて、名残惜しいと感じながらも、手を振ってさよならをした。暁はまたなーっていってくれた。その何気ない一言が永遠に叶えられないのだと思うと、胸が締め付けられるようだった。
手を振っている最中、リムはチラチラとこちらを伺うようだった。いっそのこと、自分が将来の二人の息子であると、いってしまえば良かったんじゃないかとすら思った。
それでも、思い直した。いけないな、過剰な干渉はマナー違反だ。
カナタと見つめ合う。寂しげな笑みを浮かべていた。きっと自分も、カナタと同じ表情をしているだろうと、遥は思った。
「それじゃあ、帰ろっか」
「ああ。なんだかんだで、楽しかったよ。ハルカナコンビの冒険も、一旦は終了かな」
「ご愛読、ありがとうございましたって感じかな」
「それじゃあ打ち切りみたいだろ」
ははは、と遥は一人で笑っていた。カナタの表情は曇るばかりで、笑い声はカラカラと乾いていくばかりだった。
「遥、本当に気をつけてね」
「わかってるって」
そうはいっても、いざ現代に戻った時、脅威をうまく回避できる自信はなかった。落下してきた看板に押し潰されるのは、痛いだろうか。痛いだろうな、ものすごく。
それでも、とりあえずは帰ろう。
「湿っぽい雰囲気はおしまいにしてさ、そろそろ帰ろうぜ。別れが惜しくなっちまうよ」
「うん……そうだね」
カナタは、ひとしきりこの時代を目に焼き付けるように眺めて、最後に一言呟いた。
「さようなら」
二人は、再び展望台に登った。帰るための場所はどこでも良かったのだが、最後に見晴らしのいい場所を選んだ。まばらに輝く夜景を眺めながら、さよならをすることにしたのだ。
「じゃあ、起動するよ」
「ああ」
黒々しかったペンダントから、強烈な光が漏れ出してきた。本体はこんなにも暗いというのに、どこから光がやってきているのか、その原理はわからなかった。
遥は、この時代にきてから起きた出来事を、順番に思い出していた。母親を押し倒しての出会い、赤ちゃんが産まれることを切望していた雑歌夫妻。街づくりに心を燃やす将来の市長。軟派だけど、母親のことを大好きな愛すべき父親。そして、喋る鳩。
帰る寸前になって、遥の心に疑念が走った。そういえばあの鳩は、なんていってた?
「ありがとう……さようなら」
「行かないで」
突如として重みを感じて、遥の身体が揺れた。抱きつかれたのだと認識して、その相手を見ると驚愕に目が見開かれた。
どこにいたのかはわからなかったが、先程別れたはずのリムが、遥の胸元に抱きついていた。
「ちょっさっき別れたはずじゃ」
「どこか行っちゃうんでしょ? 行かないでよ」
「リムちゃん、詳しくはいえないけど、私たちもう帰らなきゃいけなくて」
「いや。遥もカナタも、ここにいればいい」
カナタの説得にも、子供が駄々をこねるように聞き入れられない。カナタは、タイムペンダントをいじっていた。一度起動をといたのか、激しい光は収束していった。その様子を、リムは横目で見ていた。
「ねえ、遥」
「な、なに?」
遥の眼前には、リムの顔が迫っていた。わずかな光を内包し、明滅するように瞳が揺れていた。それはまるで、途方も無い距離から届く星の光のようだった。小さく細い鼻筋、薄いが艶もあり官能的な唇には、思わず触れてしまいたくなる。
普段は深く隠されている、性衝動の感情を認識した。先程まで気付かなかった、無臭のはずなのに、感じた匂い。何故かリムから目が離せなくなる。
背中に回された手は、さらに硬く結ばれた。リムの胸が密着する。母親の姿には包容力しか感じなかったが、今触れられている部分に集まるのは、確かな熱量。
息が荒くなる。鼓動が早くなる。思考は制限されて、本能が前面に押し出されているようだった。
リムが口に出した言葉は、甘く官能的な、悪魔の囁き。
「ずっと私と、一緒にいて」
思わず応じてしまいそうだ。女性としての性を最大限に利用し、遥の判断力を奪っていった。断らなくてはいけないと理性はいうが、本能が増殖する予兆を感じていた。
このまま、ここにいてもいいのだろうか。
望めば手に入る安易な選択を引き寄せてしまう寸前、声が聞こえた。
「遥!」
自分の名を呼ぶ力強い声に、理性の本流が再び流れ出す。幾度となく聞いた声が、幾度となく支えてくれた声が、遥の心を優しく撫でる。
その声の主は当然。
カナタ。
「……ごめん」
たった一言だけ呟き、遥はリムを引き剥がした。リムはそのまま地面に膝を付き、顔を伏せた。
一歩二歩と後退した時、カナタが再びペンダントを起動した電子音が聞こえた。
いよいよ帰る瞬間が訪れてしまったようだ。
朧げに原理を知った今、自身に起きた変化を自覚した。体は分解され、情報となり素粒子iへと結合される。砂粒のごとく小さき粒が飛ばないようにか、視認できない透明な膜で覆われていく。やがて一本の光の糸となり、時空の狭間へと飛んでいく。視界が滲んでいくが、最後に認識できたものは混ざり合う情報。プリズムは本来の色で表現される範疇を超えた。圧倒的な虹色が収束し、何も見えなくなっていく。
薄れゆく意識の中、遥は思う。
何故リムは、遥に執着していたのだろうか。
「待って」
感情で表すなら悲願と表現できる声を聞いて、遥の意識は途切れた。
「遥! 遥ってば!」
「……まだ眠いって……っていってる場合じゃないな」
今にも看板に押し潰される寸前のはずで、せめて訪れる痛みに耐えるために、体を引き締めて歯を食いしばった。
けれども、地に足が着いていないことを、感覚が教えてくれた。重力がかかり続けている。地上に降りているのであれば、そのような感覚を抱くはずもない。
遥は、嘘みたいな結論を確認するために、ジワリと目を見開いた。
「えっ……落下、してる?」
「そうなんだよ! どういうことか私にもわかんない。だけど、これだけはわかる」
カナタは、動揺に声を震わせながらも、なんとか口を開いた。
「元いた時代に戻ることは、失敗したんだよ」
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