5ー3 一番好きだった
それからの日々は、常にリムと一緒だった。まるで監視されているようにべったりで、居心地の悪さと嬉しさは一緒にあった。学校はまだあるはずだが、登校する気配はなかった。まだ世界はおかしな状況のままなのだろうし、改めて指摘する気にはならなかった。
ずっと家の中に居続けることも息がつまりそうなので、散歩に出かけた。元々少なかった人通りは、さらに減っているようだった。わずかな灯りに照らされた商店街も、余計に物悲しく見えた。
人がいなければ寂しくなるもので、ビルが次々と打ち壊されている再開発エリアに足を伸ばした。
街にそびえ立つビルから、瓦礫の山へと壊されていく様子に、かつての栄光の儚さを見た。どれだけ発展しても、形あるものはいずれは無くなってしまう。実際に発展していた頃の様子は見たことはなかったが、虚しさのような感情を抱いていた。
去来する思いに浸りながら、工事現場を眺め続けていると、濃紺のスーツの男性が、小走りで近づいてきた。
「こんなところに一般人の若者カップルとは、珍しいな! しかし、あまり接近することは控えたほうがいい。残念ながらアクシデントは付き物で、危険に溢れているのだからね」
清涼飲料水のように爽やかでうるさい声の主は、中道広重だった。タイムリープを経験する中、遭遇場所の大抵は工事現場付近だった。
真冬であっても、溢れ出す熱量は感じられ、暑苦しい雰囲気を感じた。短く切り揃えられた短髪は男らしさを象徴していた。
「すいません、ちょっと気になったものですから。ところで、ここには何ができるんですか?」
「よくぞ聞いてくれた! ここに建てられる予定のものは、未来への希望だ」
「未来への、希望?」
「うむ。まずは商業の中心となる象徴的なタワーを建設する。まずは商業の発展を築き、安定した財源の確保。徐々に街全体に潤いを与えて、活気を取り戻していくことが目標だ」
「随分と野望に燃えてますね」
何気ない遥の一言に、中道はハッと目を見開き、一人で頷き始めた。
「野望、ときたか。ふむいい言葉だ。これはもはや野望といっても過言ではないな」
「あなたは、どうしてそんなに希望を持てるの?」
リムの問いかけに、中道は一瞬悩む素ぶりを見せるが、再び爽やかに歯を光らせた。
「どうしてと問われると難しいな。強いていうならば、滅亡を逃れたとはいえ、世界的に正常な雰囲気を取り戻しているとは、言い難いのが現状だろう。それでも、現に我々は生き延びている。ならば、その事実を純粋に喜び、未来へ向けて闊歩していくことが、我々の使命ではないだろうか」
「未来へ向けて、か」
「なんだか暗いぞ。これからを作っていくのは若者の仕事だ。もっと元気に明るく行かなきゃ」
無責任極まりない慰めも、今では正しいように感じた。力のこもった根拠のない演説も、本気で信じていれば説得力になり得る。中道が将来この街の発展を築き、成功を収めていった理由がわかったような気がした。
「ありがとうございました。きっとその願いは、叶いますよ」
「こちらこそありがとう。そういって貰えると、私も頑張っていく力になるというものだ」
豪快な笑い声を聞きながら、その場をあとにした。
「ところであの人は、知ってる人?」
「いや、知らない人。でも将来はきっと有名になるさ」
「そう。まるで知ってるような感じだったけど」
「気のせいだよ」
遥は元いた時代の様子を思い返した。
街を象徴するセントラルタワーは、圧倒的な存在感でそびえ立っていた。知らないところで地道な努力があり、様々な人の想いが込められているのだろう。
努力や歴史の結晶を、再びこの目で見てみたいと、願った。
遥とリムは、二人きりで穏やかな時間を過ごした。
ただ、遥にとっては深刻な悩みがあった。スキンシップは過剰気味であり、遥は気持ちの昂りを抑えることに苦労しているということだった。他人の家で処理するわけにもいかず、意識を逸らすことに母親に対して欲情してしまう自分を戒め、意思の力で耐えていた。
情欲の件を除けば、夢にまでみたリムとの生活は、楽しいものだった。一緒に食事をして、他愛もない話をする。二度と訪れないと諦めていた日々に甘えていた。
さらに二日が経過し、もう何度目かもわからないクリスマスイヴが訪れた。
遥とリムは、バルコニーで星を眺めていた。気のせいかもしれないが、明滅する星の輝きが以前よりも減っていることに気づいた。前よりもハッキリと、月が見えていたから。
今まで通りであれば、もうすぐこの周も終わりだ。リムと過ごす時間も終わってしまうことに、寂しさを感じていた。
「遥、なんだかまた元気ない?」
「そんなこと、ないけど」
「うそ。浮かない表情をしてる。熱はないかな?」
リムの額が押し当てられる。目と鼻の先にはリムの顔があり、思わず動揺してしまった。
「だいじょうぶだって。ただちょっと、気になることがあってさ」
「気になること? それは何?」
「それは……」
抱えている疑問を、正直に吐き出すべきか迷った。繰り返す世界。そんな突拍子もない出来事について、リムに話をしても良いのだろうか。
遥が中々いいださないためか、リムは遥の顔を包み込むように触った。
「悩んでいるのなら、いってみなさい」
リムにこういわれてしまうと、遥は逆らう気持ちも湧いてこなかった。やはり母親には敵わない。遥は、漆黒の瞳を見つめながらいった。
「なんていうか、袋小路に迷い込んだっていうか、迷路に放り出されたっていうか、元いたところに、帰れないから、どうしたもんかって思ってさ」
「そんなことなら、答えは簡単」
リムはそっと包み込むように、正面から遥を抱きしめた。
「ずっと私と、ここにいればいい。それで問題ない」
もう何度目になるかわからない、甘い誘惑。今まではギリギリのところで振り払ってきた、選んではいけない選択肢。わかってはいても、思わず頷いてしまいそうだった。
何度も何度も帰ることができなかった。未来への道は閉ざされていて、解決の糸口は掴めない。これでも諦めずに頑張り続けていた。二人で力を合わせて、未来へ帰ろうという願いを持ち続けていた。
けれども、もうカナタはここにはいない。一人きりだった。
今まで自分を保っていたものが、もう何も無いように感じた。カナタはきっと未来に帰り、目標の一つは達成できた。自分も帰らなければいけないが、カナタを帰したことで、自分自身の動機が薄れているように思った。
いっそのこと、リムの言葉に従ってしまうほうが、諦めもつくんじゃないだろうか。
「ずっとここに、いてもいいのか?」
「遥がそう望むなら。遥が本当に私のことを好きなら、いいよ」
リムのことが好きかどうかなんて、いうまでもないことだ。好きで好きでたまらないからこそ、過去にまでやってきた。実際に会うことに戸惑いはあったけれど、それでも嬉しかった。
果たされなかった、リムとの日々を取り戻す。遥が願えば、あっさりと手に入るかもしれない。もう願ってしまっても、いいのかもしれない。
「俺はリムのこと……」
好きだって言葉を伝えようとしたが、その言葉はいえなかった。決してその気持ちに嘘があるわけではない。けれども、去来したのはより強い感情だった。
カナタ。
どうしてこのタイミングでカナタのことを思い出したのかは、自分でもわからなかった。けれど、まるで脳髄に直接植えつけられたように、思いが溢れて止まらなかった。寒くて繋いだ手の温もり。どこへ行くにも、二人だった。感情が爆発した姿には驚きはしたけれど、今まで見たことがなかった一面が見られて嬉しかった。頭を撫でると甘えたように体を擦り付ける仕草。記憶は自動的に、感触を伴って流れ出した。リムの気持ちに応えてしまうと、もう二度とカナタに会えない。
そんな気がした。
自然と、答えは決まっていた。
「好きだけど、一緒にいることはできない。俺は帰らなきゃいけないから」
リムは、一瞬寂しげに目を伏せた。
「そう。私は遥のことが一番好きなのに」
リムの言葉に引っかかりを覚えたけれど、疑問を口に出すことはできなかった。もう幾度となく経験した、世界が巻き戻る感覚。
体が自分のものではなくなりそうな喪失感。消失の感覚は眠りにつく前のように思考はもやとなり、そのまま薄れていくようだった。
意識が途切れる直前に、リムの声が届いた。
「もう、私が一番じゃないのね」
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