4ー10 ハルカナコンビは解散します

「どちらが帰るか、決めたら教えてな」


 そういい放ち、質問も許されないまま鳩は茂みの奥へ消えていった。残された遥は、しばらくの間動けなかった。

 詳しい事情はほとんどわからなかったが、残された事実は一つだけ。

 遥かカナタ。

 どちらか片方だけは元の時代に帰してくれるということだ。

 どのような意図があり、どんな方法を使うのかは教えてもらっていない。帰ることを実行するための方法は、ただ喋る鳩に告げるだけ。

 あまりにも胡散臭くて、非現実的な現状。しかし、繰り返される世界を経験して、何が起きてもおかしくはないと、価値観は変わっていた。だからおそらく、遥かカナタの一方だけ帰れるという話も、嘘ではないはずだ。


「遥。おーい遥! どうしたの考えこんじゃって?」


 覗き込むように顔が近づいてきた。伴って体も密着していった。以前から近かった距離が、より一層縮まっている気配を感じた。

 誰かと仲良くなることは嬉しい。心を交わせると、自身に価値を感じられる。笑ってくれると、自分も嬉しくなる。

 けれども今は、近くなった距離が、とても切ない。


「ああ、ちょっとな」

「なんか変なの。せっかくのお休みなんだから、もっとゆったりと楽しもうよー。ほら一緒にグデーって」

「そうだな」

「もーやっぱりなんだか上の空。ちょっとソファーに座りなさい」

「あ、ああ」


 促されるままにソファーに座ると、カナタは無理やり足の間に潜り込んできた。若々しい香りは何かを狂わせる。けれど、この甘みを跳ね除けることはできそうになかった。以前とはすっかり変わってしまった心の在り方。

 カナタの腰に手を回し、すこしだけギュッとした。

 それだけで、心が充足した。

 少し体が近づいて、少し心が近づいた。

 自分の心の中には、色々な人が入り込む部屋があって、それぞれ独立している。そんなイメージ。カナタがいる部屋は、どんどんと広がっていき、それはもう自分では制御できないくらいに大きなものへと変質していった。他の思考は入り込む隙間もない。ただ、彼女のためだけの自分自身に、あっさりと変質させられてしまった。

 そのことは不覚にも嬉しくて、認めたくないほど切ない。


「カナタ」

「なーに?」


 以前より弾んだ声。熱くなった体温。甘えてくる仕草。揺れる想い。複雑な思考は解体されてしまって、シンプルな感情だけに満たされる。

 だからこそ、口に出せない言葉は、身勝手な嘘でごまかした。


「なんでもない」

「変なの」


 本当は、こういいたかった。

 一人で行かせて、ごめんって。





「決めたよ。カナタを、未来へ帰してくれないか?」

「にいちゃんは、本当にそれでいいんやな?」

「ああ」


 闇もすっかり広がって、風が強くて指先がかじかむ、そんな冬の夜だった。遥は、鳩に決意を告げた。低く、世界に響きそうな声色だった。

 結局、カナタには相談できなかった。きちんと相談するべき事柄であることはわかっていたが、どうしてもいいだせなかった。自分自身の臆病さを自覚しながら、遥は臆病な心に従ったのだった。

 それに、相談をしたとしても、カナタの答えなんて決まっていると考えていた。

 一人では帰らない。

 二人で帰る方法を探す。

 カナタの優しさも想いも、わかっているからこそ、遥はこのチャンスを無駄にしたくはなかった。世界の観測者とやらが、次に優しさを見せてくれるかなんて、わからないのだから。

 だから。


「なあにいちゃん」

「なんだよ鳩さん。俺だって悩んだんだから、ちょっとくらい感傷にでもひたらせてくれよ」

「いやあ、どうやらにいちゃんに、そんな暇はあらへんみたいやで」


 一体、それはどういう意味なんだろうか。

 遥が真意を理解する前に、聞き覚えのありすぎる声が、遥のもとに届いた。


「遥! どういうことかな?」


 聞き覚えがありすぎて、間違いようがない。誰よりも守られて、誰よりも守りたくて、誰よりも愛しい。そんな刻まれすぎた声の主なんて、いうまでもない。


「カナタ……良かったな、未来へ帰れるぞ」

「私一人で、でしょ? 私はそんなことを頼んでない」


 いつからかは知らないが、カナタは鳩との会話を聞いていたらしい。もはや隠しておく意味もなく、遥は肩をすくめて、覚悟を決めた。


「頼まれてなくたって、行くんだよ。何もかも投げやりな俺なんかより、カナタが帰る方がいいに決まってるじゃないか」

「そんなの理由になってない。私一人で帰るくらいなら、二人で一緒に頑張ろうよ」

「バカなことをいうなよ。どういう理由かは知らないけど、あんなに頑張っても解決できなかったのに、帰してくれるっていうんだぞ。こんなチャンスがまたくる保証なんてないじゃないか」

「バカなのはどっち? 遥は勝手に、可能性を潰して諦めてるだけだよ。それに、残された遥はどうするの?」

「俺だって、きちんと帰れる方法を探すさ」

「嘘だ。遥は一人になっちゃったら、きっともう帰る理由なんて無くしてしまう。自分だけのために頑張れないんだもん。こんな自分を犠牲にするようなやり方は、ただ弱虫でワガママなだけだよ」

「そうだよ。カナタのいう通りだよ。弱虫でワガママで投げやりに生きてきた。結果的に、自己犠牲的な行動を優しさだっていってくれる人もいた。けど、ただ俺にとってはそれが楽なんだよ。なにがいけないんだ」

「ダメなんかじゃないけど、諦めさせなんかしない。私と一緒になる未来は無くても、それでも一緒に帰るの!」

「は? カナタそれはどういうことだ?」

「うるさーい。とにかく、一人で帰ることなんて、お断りだよ」

「分からずやが!」

「遥こそ!」


 感情の爆発が言葉となって溢れ出た。理性的に物事は処理できなくて、思考はぐちゃぐちゃだった。どれだけのエゴにまみれていたとしても、遥はカナタの未来を願った。自分なんかとは違う、無限の可能性を持つ可愛らしい少女に、未来を紡いで欲しかった。

 それだけは、真実だった。


「にいちゃん。これが最後の質問や。どちらが未来に帰るんや?」


 遥は、次々と言葉を吐き出すカナタを一目見て、そっと心に焼き付けた。


「カナタを、帰してやってください。ハルカナコンビは一旦解散だ」


 遥がそう告げた瞬間、両頬に強烈な痛みを感じた。この時代にきてから何度かは目撃したことはあったが、実際にくらうのは初めてだった。

 力強く放たれたそれは、往復ビンタだった。


「遥のばかっ。絶対帰らないからね」


 風を切るような勢いで、カナタは走り去ってしまった。両手で顔を拭い、その背中を痛ましく感じた。もしかしたら、泣いていたのかもしれない。


 立っている力もなくなり、音をたてて地面に寝転がった。両頬の痛みは、熱を帯びたように続いていた。それよりももっと痛い部分があったけれど、意識しないよう努めた。


「なあにいちゃん……これで良かったんか?」

「いいわけ……ねえだろ」

「ようわかっとるやん。やけど、ほんま人間って不思議な生き物やなあ。より自然で、当たり前のことをせえへん。厄介で不条理なものなんやね。心ってもんは」

「ままならねえなー……カナタ」


 世界の観測者とやらは、無事にカナタを未来に帰してくれるのだろうか。どうなるかについては、祈る他なかった。

 本当は倒れている場合では無く、自分自身も帰る方法を模索しなくてはならなかった。

 けれど、今はとても疲れていた。体はピクリとも動かないのに、心はズキズキと仕事をしっぱなしだった。もういっそ休んでくれてもいいとすら思った。


 仰ぎ見た空では星たちが踊っているようだった。悲しみを添えたワルツ。そう見えるのは、自分の心の色のせいだ。いつもなら流星群が観測できるはずだが、何故か今日は見えなかった。けれど、今は星々の輝きすら、眩しすぎた。


「あーくそ。綺麗だなあ」


 かつて暁がいった言葉を、思い出していた。

 世界を見守っているような輝きのどこかで、きっとママは見守っているさ。

 確かに、そうかもしれない。

 これだけ明るい星々に照らされているのであれば、誰かが見守っていても、おかしくはないと思った。






 目が覚めた場所は、伊坂山の山道だった。寝ぼけ眼をこすりながら、周囲を確認する。太陽の位置を考えると、まだ昼過ぎくらいだろうと予測した。

 まだうまく頭が働かなくて、木陰の石に座り、回復するのを待った。

 おそらくここはまだ過去のはずで、先周はカナタと休みを満喫していて。


「そうだ、カナタは?」


 辺りを見渡しても、カナタの姿は見当たらなかった。

 おかしいな。いつも通りなら、カナタと一緒に空から落ちる場面から始まるはずだ。そういう流れだったはずだった。


「……カナタ? なんでいないんだ?」


 そう呟いたところで、先周の記憶が蘇ってきた。思い出すと、それだけでどっと疲労感が増した。後悔は強くて、正しさのかけらもない。自分勝手な行為だった。

 それでも、一番恐ろしかったことは、自分自身が未来への帰還を放棄して、カナタとずっと暮らしていくことを、受け入れてしまうことだった。その提案は魅力的で、おそらく退屈することもない、蜜月に満ちた悪魔の選択肢。そんな閉じられた未来を選択することだけは、なんとしても避けたかった。自分自身のため、カナタのため。

 カナタがいないということは、きっと無事に帰れたはずだ。自分はきっと、やり遂げたのだ。


「ははは。やったよ。とりあえず、目的達成だ」


 自嘲的な笑い声は、誰に届くでもなく、山林に消えていった。

 遥は、周囲に人がいないことを念入りに確かめた。そして少しの間だけ、壊れそうになるほどの慟哭どうこくを、自分自身に許した。

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