4ー7 カナタ爆発

「あーもおおおおおお。わかんないわかんないわかんなーい!」

「カナタ!? どうした!」


 もう何度目になるのか数えることすら不毛な作戦会議の最中、急に押し黙ったかと思えば、カナタは駄々をこねる子供のように暴発した。

 体をバタバタと動かし、地面と手足が接触する。叩くような音が響くほどに強く、手足を奮って喚き散らしていた。

 遥は戸惑って動けなかった。人目を憚らず、好き勝手に感情を爆発させるカナタを見るのは、初めての経験だった。

 遥の心情などお構いなしに、カナタは溜まり続けた感情を吐き出していた。


「どうして! どうして帰れないのかな! 遥のパパにもママにも何度アプローチしてもダメだし! 雑歌さんや市長さんと関わってみてもダメ!」

「カナタ、一旦落ち着いて、な」

「落ち着いてられないよ。こんなことは初めてなんだよ。これでも私は今まで順調にやってこれたはずなのに。ああもおおやだあ」

「大丈夫だって、別にカナタが悪いわけじゃないからさ」

「そうだけど。そうかもしれないけど。そうだったとしても現状帰れていないし、帰る糸口も掴めてない。私はダメダメだよ。無力だよ」

「だから落ち着きなって。どうどう」


 ゴロゴロと床を転がりだし、もう目も当てられない癇癪かんしゃく模様だった。穏やかにニコニコとしている普段のカナタとは、似ても似つかない様子だった。思えば、直近の学力テストでも、カナタはほぼ満点をとっていた。決して自分でひけらかしたりはしないが、自尊心は立派に磨かれていたのだろう。

 少なくとも、今のカナタはプライドがグシャグシャになるほどのストレスに晒されていたのだろう。なりふり構わず、醜態を見られることも計算にいれられないほどに。


「もう何もわかんない。ごめんごめんなさい遥。何にもお役に立てなくて」

「気にしてないから。それに、カナタが役立たずなんて思ったことねえよ。いつも感謝してるよ」

「嘘だー。色んなことを引っ掻き回して、挙げ句の果てには何もわからなくなって駄々こねる私なんか、遥にとっての価値なんかないよ」


 売り言葉に買い言葉のように、何をいってもカナタには響かなかった。何一つ思い通りにならない現状に、心は悲鳴をあげていた。カナタが喚き散らすたびに、遥の心も温度が上昇していくようだった。駄々こねる子供を叱りつけたいと思う、怒りの感情が湧き上がる。嘆いたって仕方がないと残酷な真実を暴力的に突きつけたい衝動に駆られた。

 怒声が口から出かかった瞬間、それを止めたのはわずかに残る幼い頃の思い出だった。

 ふと思い出した記憶は、自分自身が子供の頃の物だった。まだワガママだけをいって、両親にひたすら甘えていればよいだけの時代、くだらない出来事で喚き散らしていた自分の姿は、今のカナタの姿と重なった。

 母親は、そんな遥に怒鳴り散らしたり、ましてや怒りに任せて手をあげたりはしなかった。

 そんな時は、そう根気強く、優しく。


「カナタ、ちょっとごめんな」

「わわわわーにゃーにゃああー」


 遥は、ジタバタと蠢くカナタを、後ろから抱きしめた。左手は腰に回して、右手でそっと頭を撫でた。綿毛に触れるような繊細さで、何度も髪をすいた。恥ずかしいのかくすぐったいのか、カナタはもぞもぞと体を動かし抵抗していた。


「遥のえっち変態お触り禁止! にゃーにゃあああ」

「はいはい。怖くない怖くない。いいよ。好きなだけ騒いで、好きなだけ吐き出せばいいから」

「ううう。うー」

「うんうん。いいこいいこ」


 カナタが抵抗しようとも、遥は頭を撫で続けた。段々とカナタの抵抗は弱まり、今度はうーうーと唸りだしていた。いちいち相槌を打つことも面倒ではあったけれど、きちんと聞いていると伝えるために、唸り声にも答え続けた。

 どのくらいの時間続けていたのかはわからない。カナタはついに声も発しなくなり、聞き取れないほどのかすかな衣擦れと、カナタと遥が触れる摩擦音のみが響いた。

 カナタの反応が完全になくなったことで、遥はようやく安堵できた。いい加減疲れも感じたため、カナタを撫でていた手を引っ込めた。


「……もうちょっと」


 もっと撫でろと主張するように、頭を擦り付けてきたので、再度頭を撫で続けた。こんなに甘えん坊なカナタを見るのは、初めてだった。

 数回撫でるたびに、カナタは身じろぎしていた。喜んでくれているのなら、腕のだるさなんて大したことではないと思った。


「遥はさ、どうして私がこんなにワガママでも怒んないの?」


 カナタは、心底不思議そうだった。

 なぜ怒らないかといわれても困る。だから思ったままの気持ちを伝えることにした。


「怒る理由がないし、怒っても仕方がないからだよ。それに、俺が昔、癇癪かんしゃくを起こした時、母さんは優しく包み込んでくれた。怒って従わせるより、俺はそうやってしてあげたいんだ」

「そっか。そうなんだ」


 不意にカナタの重心が後ろへ向いた。遥に完全に体を預ける形になった。いくら幼馴染といっても、これだけ密着することは今までなかった。感じる体温や香り、感触。カナタという存在を、より鮮明に感じた。


「ごめんね、遥。あまりにもうまくいかなくて、自暴自棄になってた」

「謝る必要もねえよ。俺の方こそごめん。カナタに甘えっぱなしで、随分負担をかけてしまってたと思う」

「ううん。そんなことないよ。でも、ちょっとだけ疲れたから、お休みはしたいかも」

「……よし、決めたぞ」

「何を?」


 カナタは上向きに顔を上げた。遥とカナタの顔は、キスが出来そうなくらいに近づいていた。艶めいた唇が視界に入り、不覚にも心臓は跳ねた。

 けれども、悟られないように努め、いった。


「今周は、休みの周にしよう」

「休みの周?」

「ああ。今周だけは、帰ることは一切考えない。ただカナタのためだけにリフレッシュする周だ。どうせ何もわからないんだし、一周くらい息抜きをしてもいいだろう」

「……うーん」


 カナタは悩んでいた。たとえ一周といえども、時間を無駄にするかのような行為に、抵抗があるのかもしれない。

 カナタの決断を待つ間、疲労で気だるさを感じながらも、カナタのことを撫で続けていた。


「うん、わかったよ。遥に心配かけちゃうのも嫌だし、今周は遥も一緒にリフレッシュしようか」


 久し振りに見せた穏やかな笑顔に、遥も気持ちが穏やかになっていく気配を感じた。

 さあ、今周はどうしようか。

 考えている間に手が止まっていたせいか、カナタは再び頭を擦り付けてきた。

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