6ー5 遥が望んだその未来

 遥は欲望のうねりを耐えきり、なんとか眠ることができた。カナタの様子が心配だったが、意外にも普段と変わらぬ様子に戻っていた。

 身支度を整えて、いつもより早い時間から出発した。もう帰る必要はなかったため、拠点にしていた部屋を収納して、立体投射装置は回収した。ありがとうオーバーテクノロジー。

 そのまま山道を散策して、思い出の展望台にも登ってみたけれど、リムの姿はなかった。伊坂山からの景観は、街の営みを眺めることができた。ほんの少しだけ言葉を紡がず、見とれた。

 ハルカナコンビはがむしゃらに走った。まだ見ていない場所を見て回り、不法侵入になろうとも、民家に立ち入ることを辞めなかった。とはいえ、誰とも遭遇することはなかった。この世界から、人がどんどん消えているようで、自分たちもこのまま消されてしまうのではないかと、不安がよぎった。ついには形を保てなかった物たちは、どこかしらへ消えていった。もともと物があった場所に不自然な空白があった。正確には漆黒の空間だけが広がっており、触ることはためらわれた。

 どれだけ広範囲を探しても、どれだけ思いを叫んでも、リムを見つけ出すことは叶わなかった。

 そして、ついに最期の夜が訪れた。


「はあっはあっ。もうダメ限界」

「はあっ。あ、諦めんなよ。まだ時間はある」

「でも、もうどこを探したらいいかもわかんない」

「それでも、探すんだよ。ここで諦めたら、俺たちの未来は無くなっちまうかもしれないんだ」

「わかってる。わかってる、よ」


 口では強気な言葉を吐きながらも、遥も限界を感じていた。駆け回るほどに動き続け、ほとんど休むことなく捜索を続けた。今までの人生の中で、ここまで歩き詰めだった思い出はなかった。

 下は地面だったにも関わらず、遥は倒れ込んでしまった。カナタの体も揺れて、重力に従い落ちてきたところを受け止めた。呼吸は荒くて、意識は今にも吹き飛んでしまいそうだった。


「カナタ。しっかりしろカナタ!」

「ちょっと疲れちゃった。動きたくても、動けないかも」

「無理でも動かなきゃダメだ。一緒に未来へ帰るんだって、約束したじゃないか」

「もちろん約束を破るつもりはないんだけど、でもこうも思うんだ。リムちゃんは遥に酷いことをするわけはないはず。だから、私たちが帰れなくなったらきっと、三人だけの世界になるんだよ。他者から介入されない、時間から切り離された無限の世界。そんな気がするんだ」

「そうかもしれない。けれど、俺はそれを断ったんだ」

「私は、遥がいるのなら、そんな結末もありなのかもって思える。そうなれば、私ももう我慢しなくてもいいかなって。そんな反則みたいな結末があるのなら」


 覆いかぶさったカナタは、そのまま遥に抱きついた。熱に浮かされて正常な思考はできていないようだった。

 遥はカナタのいう未来を想像した。カナタがいて、リムがいる。それだけで充分だと思えてしまう、そんな閉じられた世界。可能性も苦痛も、一切の考慮を捨て去ってもいい、無限の世界の可能性。リムならそんな絵空事すらも実現できそうな気がした。

 きっとそこは素敵な世界だ。大好きな母親に大好きな幼馴染。好きなものだけに囲まれて、砂糖のような甘さで満たされた楽園。自由に享受できる悦楽の宴が待っているだろう。世界に三人だけしか存在しないのであれば、常識や倫理など意味はなくなってしまう。禁忌などはないのだ。男としての夢が果たされるかもしれない。煩わしさなどないだろうし、未来への不安も存在しない。なぜならそこは、理想郷なのだから。どれだけ望み焦がれても、現実では決して手に入らない。開かれることのないブラックボックスの中身。その快楽に浸りきってしまえば、もはや人である意味すらもないのかもしれない。


「そうだな。それはとっても素敵なことだろうな。世界に俺とカナタとリムだけか。それなら我慢する必要もないよな。カナタ、そうなったら覚悟してもらうぞ。酒池肉林の幕開けだ!」


 だからこそ。

 その理想に満ち溢れて閉じきった未来を、遥は唾棄だきすることに決めた。


「けどそんな未来を、俺は望まない」


 この時代に来てからの、色々な思い出が遥の心を駆け巡った。出会い、抱えた思い、そして感じた自らの気持ち。

 息を大きく吸い込み、誰にいうでもない思いを、目一杯吐き出した。


「俺はまた父さんと仲良くしたい。素直にも会いたい。どんどん活気を取り戻していく、この街をもっと見ていたい。もっと人を好きになって、色々なことをしたい。いつか結婚して子供を授かって、親になりたい。自分の子供を育ててみたい。きっと嫌なことやうんざりすることもあるけど、そんな苦労を愛した相手と分かち合って、年をとって笑い合いたい。そんな未来に、カナタも一緒にいて欲しい。喜びも苦しみも、一緒に感じ合いたい。俺は、俺の未来を取り戻したいんだ!」


 冬の夜空を揺らすように、願いは世界にこだました。恥ずかしくも嘘偽りのない本音だった。どこまででも、遥か彼方へ届いて欲しいと思う。どこかで見守っている、リムに届くように。どこまでも、どこまでも飛んでいけ。


 突如、街灯に照らされて降り立ってくる物体を目撃した。もしも希望の光がこの世に現れるのであれば、それはきっと鳥の形をしている。そのように感じた。


「よく吠えたなにいちゃん。ワシは不覚にも感動してもうて、思わず涙がちょちょぎれそうやったわ。まあワシは鳩やねんけどな」


 最期の夜に降り立った、未来を繋ぐ最期の希望は、くすんだ色をした鳩さんだった。






「鳩さん、今日は何のためにきてくれたんだ?」


 遥とカナタは、態勢を立て直して立ち上がった。少し希望が見えてきたおかげで、動く元気が湧いてきた。


「うむ。ワシはこの世界における、お助け役みたいなもんやからな。正直、前みたいにヘタレとったら助ける価値もないなんて思うてたけど、今のにいちゃんは見違えたで」

「鳩さん、急を承知で聞いちゃうけど、リムちゃんはどこにいるの? もう時間がないんだよ」

「まあそんなに焦りなさんなって。ワシは答えをいうことはできへん。あくまでヒントだけや。あのな、この世界で作られたもんはこの街全体だけで、その先に行っても何もないわけや」

「それは、リムから聞いた話で大体わかってる」

「話はこれからや。でもなんやおかしないか。作られたのがこの街だけなのに、本来変化しようもないところがあるはずや。けれど、きちんと変化が起こっている。となると、そこも作られた場所なわけや」

「本来変化しようもないところ?」


 二人は、今までのタイムリープ体験について思い出していた。もともとあった本来変化しないもの。この街以外に作られた世界。

 思い当たることが見つかりカナタを見ると、カナタも口を開けて瞳を開いていた。


「星の数が」

「減ってる」


 二人で答えを合わせた嬉しさに、思わず両手を繋いで飛び跳ねた。そうだ、眩く空を埋め尽くしていた流星群が、タイムリープを重ねる度に明らかに減っていったことを思い出した。リムの自宅に置いてあった写真からも、明らかな変化は見て取れた。

 そして変化した夜空の中で一際輝く場所。そう考えると、答えはもう一つしかなかった。


「リムがいる場所は、あそこだな」

「うん。さすがに私も予想外だったけど、もうそれしかないね」


 ハルカナコンビは、揃って光量の減った夜空を見上げた。


「月」


 半分に欠けた月が、誘っているような瞳をしていた。






「とはいえ、月までどうやっていけばいいんだよ」

「そう。そこが問題なんだよ……」


 二人は頭を抱えた。せっかくゴールが見えたというのに、ゴールをくぐる手段がなかった。直接リムをこの目で捉えるまで、見つけたということにはしてくれないだろう。


「あのな、試練いうのは超えられるものにしか与えられへん。逆にいえば、あんたらなら超えられるはずなんや」

「そうはいわれてもなあ。なあカナタ、そもそも月って、人が生身で行っても大丈夫なところだっけ?」

「生身では無理だよ。空気はないし重力は地球の六分の一。地球の生物が住む環境じゃないからね」

「過酷な環境ってわけか」


 遥は自分でいった一言に引っかかりを感じた。過酷な環境でも生きていくための道具。そんなものをカナタが持ってきていたことを思い出した。


「カナタ、適応スケルトンスーツとかいうの、持ってるんだよな?」

「あー! そうだった。長らく使ってなかったから忘れてた。これを着ていけば、月に行っても大丈夫だよ」

「あとはどうやって行くかについてだな」

「そうだね。情報照射や立体投射ができても、移動はできないからね。あと頼れるアイテムっていえばタイムペンダントくらいだけど、これは時空を超えるためのものだから」

「光を超えると、時の図書館への扉をくぐれるようになるんだっけか?」

「そう。今までは光を超えることができなかったから、時間移動ができなかったんだけ、ど……」


 カナタの歯切れが悪くなり、ついには黙り込んでしまった。不安になって顔を覗き込むと、何やら神妙な面持ちでブツブツ呟いていた。呆気にとられて、しばらくカナタの姿を眺めるしかなかった。

 思考がうまくまとまったのか、カナタは顔を上げた。

 その顔には、晴れやかな笑みが張り付いていた。


「わかったよ遥。月に行く方法が」

「本当か?」

「うん。試したことはないけどおそらく理論上はいけるはず。タイムペンダントを使って素粒子iと結合する。そこまでは一緒なんだけどあえて光速を超えずに低速移動で設定する。それなら時の図書館に到達せずに純粋な移動のみができるはずだよ」


 カナタは早口でまくしたてるようにいった。興奮している時特有の喋り方だった。

 遥は紡ぎだした希望に胸を震わせた。咄嗟の思いつきのようなもので、絶対の安全なんてないはずだった。それでも、生まれた可能性を信じずにはいられなかった。


「さすがカナタ。ただ今は一刻を争うから早いとこ準備を頼む。あとで目一杯褒めてやるから」

「任されたよ。それじゃあ、ハルカナコンビの出撃だね」


 ハイタッチを交わす傍ら、鳩は二人の様子を眺めながらクルッポーと鳴いた。

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