6ー6 たゆたう星に見つめられ、大切な人に捧ぐ歌

 二人はタイムペンダントを使用し、月面に降り立った。適応スケルトンスーツを着用したおかげで、普段と同じような動きを取ることができた。危険から身を守るためか、感触は緩和されている様子だった。踏みしめた砂はふわふわしていて、地上の砂に比べると雪のようだ。大きく開けた穴や、何かが通った跡らしき溝が広がっていた。

 リムはどこにいるのだろう。そう思った矢先。


「二人とも、よくがんばりました」


 突然、背後から声をかけられた。振り向くと、いつもと変わらぬ様子のリムが、無表情で出迎えてくれた。


「なあカナタ。リムを見つけたってことは」

「うん。目標達成!」


 遥はカナタと顔を合わせた。見つめ合った表情は崩れて、そのままハイタッチで喜びを表した。


「こうなることはわかっていたけど、実際に目にすると言葉がでない。ご褒美があるから、こっちきて」


 リムに連れられてわずかに進むと、月面には不似合いな木製のベンチが置いてあった。極めて自然的な岩や砂などで構成されている中、ポツンと佇むベンチはノスタルジックに感じた。

 遥は促されるままに真ん中に座ると、当然のようにリムが左隣に座り、カナタは右隣に座った。

 一体何が行われるのだろうと考えていると、リムはその思いに応えるように指先を空に向けて、何かを操作するように振った。


「おおっー」

「うわぁー」


 二人揃って感嘆の声を上げたことで、リムは自慢げに口元を緩めた。

 リムの合図によって、浮かんでいた地球の様子がより鮮明に映し出された。写真や動画でしか見たことのない地球の姿は、圧巻の光景だった。


「月を眺めることはあるでしょうけど、地球を眺める機会なんて、そうないでしょ?」

「ああ。月並みな言葉だけど、この青さに感動してる」

「うまく言葉は出てこないけど、とても綺麗」


 遥か遠くで息づく、地球の姿をただ眺めていた。表面の青さに加えて、所々雲に覆われて、今この瞬間しか見れない模様となっていた。時間経過とともに形を変える姿は、地球自身が生き物であるかのように感じた。

 さっきまで過ごしていた世界の広大さを、改めて思い知った。全体を捉えてはいるけれど、地球に関することなんて、まるで理解していない。自分たちが過ごしている場所について知ろうとしないなんて、無責任であるように感じた。

 ただ眺めているだけで、じんわりと押し寄せる波は感動という名の感情だった。命が生まれ、育まれ、奪われても、尚世界は回っていく。世界にとっては、人の感情なんてとてもちっぽけなものでしかない。けれどもそのちっぽけなものは、人にとっては笑ってしまうくらいに大事で、理解を得られないくらいに必要だった。

 何もかも感動で吹き飛んでしまうなんて、そんな嘘くさいことはいえない。ただ綺麗で感動的なだけで、きっとこれから生きていくには関係のないような光景でしかないのかもしれない。そう思うけれど、今この瞬間だけは、その美しさに浸りたかった。

 確かに今は生きていて、生き続けるには場所が必要だった。人としてだけでは生きていけない。命を守るあらゆる条件が揃った地球という星がなければ、今まで生きてこられなかった。そう考えると、言葉すら奪われるほどの美しさにも、納得ができるのだ。

 思わず、遥は手を握っていた。大切に思うカナタの手を。大切に思うリムの手を。自分がここにいる証を、自分以外に求めたかった。きちんと繋げて、仄かに熱を感じて、心もきちんと温かくなった。


「遥。それにカナタ。私がここにあなたたちを呼んだのは、この景色を一人で見ることに飽きて、一緒に見たかったからかもしれない。本当は人間じゃない私がいうのも、おかしいかな?」


 遥とカナタは、首を横に振った。


「美しい景色を誰かと見たいって気持ち。それをきっと、心っていうんじゃないか?」


 リムはとても人間らしい表情をして、笑った。






「そろそろ、お別れしなきゃいけないよね」


 淡々としていたが、どこか寂しげにリムはいった。


「ちょっと待って。帰る前に、俺からリムにプレゼントがあるんだ」

「プレゼント? 何か持ってるわけじゃなさそうだけど」

「別に物じゃなくってもいいだろ。俺はリムのために、歌をプレゼントしたいんだ」


 決して自分の歌が上手いんだと、おごる気持ちがあるわけではなかった。リムがいなくなっても、頑なに歌うことだけはやめなかった。まだ幼く何も知らなかった子供の頃、ただリムに上手だねって褒められた。たったそれだけで大好きになった歌を、送りたい。その気持ちはずっと持ち続けていた。


「ねえ遥、何を歌うの?」

「そうだなあ」


 カナタに聞かれて、遥は歌う曲に想いを馳せた。流行りのポップス、母親への感謝の歌、ハードな洋楽。どれもこの場には相応しくないように思う。


「じゃあ、あれが聴きたい。どこかの時代で遥が合唱で歌っていた、あの曲」


 リムが希望したその曲を、遥は思い出すことができた。それも当然のことだった。リムが初めて、遥の歌について褒めてくれた思い出の曲だったから。

 宇宙を思わせる壮大な歌詞は、今のシチュエーションには絶好だった。

 軽く深呼吸をして、喉の開きを確認した。首の周りをほぐして、階段上に単音を出して音程を確認した。観客は二人きりの最高な晴れ舞台。ベストコンディションで挑みたかった。


「それじゃあ、歌います」


 伴奏も何もない、たった一人の合唱コンクール。遥の心は宇宙のように落ち着いていた。喉から奏でられた振動は音となり共鳴した。音は連なって意味のある言葉となり、歌として踊るように宙に舞った。青々とした地球と目が合って、応援されているような気がした。リムとカナタは、目を閉じて歌を聴いてくれていた。やんわりと体が左右に揺れていて、遥はなんだか嬉しくなった。


 ひかりのこえが。


 そらたかくきこえる。


 歌の光景が、まるで本物の世界であるかのように映像となって流れくる。せせらぎに寄り添う鳥たちが、あるいはサバンナを駆ける動物群が、歌を通して見えてきた。歌詞にはそのようなものはないはずなのに、現実を超えたイメージはとどまることを知らなかった。ごちゃ混ぜな映像に共通して見えたのは、大きかったり小さかったりする、明滅を続ける光だった。

 それがなんなのかはよくわからなかったけれど、その光を見つめていたい。ただそれだけの思いが残った。


 歌い終わり、奏でられた拍手は二人分だった。遥にとっては、それだけで充分だった。それはどんなコンサートホールの歓声よりも、大きくて価値のある物のように感じた。

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