5ー7 未来を見たくなったから

「ごめん。それはできない」


 リムを真っ直ぐに見据え、遥は正直に思いを伝えた。今までのように揺れたりはしなかった。強固となった意思は鋼のようで、熱くたぎっていた。


「どうして? 私のことが嫌いなの?」

「違う。大好きだったから、寂しかったからこうして会いにきたんだ」

「大好きな人とは、ずっと一緒にいたいものじゃないの?」

「父さんがいて、母さんがいる。そんなありふれた未来があればいいなって、今でも思う。母さんがいなくなってから、どこか投げやりに生きてきた気がするんだ。だから、この世界にい続けてもいいかなって思った時もあった。けれどさ」


 遥はこれまでの日々を思い返した。タイムスリップをする前からの、記憶を巡る長い旅路を、再び歩む想像をした。時に悲しみながらも笑っていた父さんがいた。好きだといってくれた素直がいた。新しい命の誕生を、心の底から喜んでいる夫婦があった。未来への希望を一心に信じ続ける男がいた。

 優しく包み込み、安心をくれるリムと再び出会えた。涙が出そうなくらい嬉しかった。

 そして、ずっと遥を信じ、隣で笑ったりすれ違ったりした、最高のパートナーと約束した。一緒に、元の時代に帰るんだって。

 誰しもに過去があって、思い望む未来がある。他でもない自分自身にも、当たり前のように存在するものを、今まで見ようとしていなかった。今は、今だからこそ見てみたいものがあった。


「ちょっと未来を、見てみたくなったんだよ」


 リムは遥から手を離し、一歩二歩と後ずさった。糸のように細められた瞳は、どのような感情を宿しているのだろうか。怒っているのか、悲しんでいるのか。それとも全く別の感情か、想像する他なかった。

 リムは感慨を乗せた緩やかな声でいった。


「大きく、なったね。遥の意思はわかった。それじゃあ私から、最後の試練を与えます」


 リムは体を翻した。二人には背を向けたまま入り口まで歩いて行った。

 部屋を出て行く寸前、振り返りつつ二人に告げた。


「12月24日が終わるまでに、私を見つけなさい。それができたら、元の世界に帰してあげる。見つけられなかったら、その時は覚悟しておいてね」

「……わかった。それ以外にルールはないのか?」

「どんな手段を使っても構わないから、見つけてみなさい。私は決めた場所からは動かない。いつでも、見守っているから」


 リムは微笑んで部屋を出て行った。わずかに負の感情が混じった、悲しげな微笑みだった。リムの口ぶりか察すると、決して簡単に見つけさせてくれるわけではなさそうだった。


「な、なんだか、大変なことに、なっちゃったね」


 二人きりで残されたことで、ぎこちない空気が流れ始めた。カナタの言葉は歯切れが悪かった。


「そ、そうだな。でもだ、だいじょうぶだろ。ハルカナコンビは……」

「……む、無敵、だよね」


 お互いうまく言葉が出ないどころか、視線すら合わせられない状態だった。リムの乱入で有耶無耶になったから良かったものの、自分のやっていたことを思い返すと、無理やり行為を迫ったゲス野郎に他ならなかった。羞恥と罪悪感を感じるとともに、カナタに触れた感触も蘇った。甘くとろけた声に、潤んだ瞳。艶かしい湿り気。思い出した感覚は再び遥の理性を蝕むようだった。

 こんな状態じゃ、だめだ。


「カナタ!」

「は、はい」


 体を抱きしめて後ろへ下がったカナタに、遥は向き直り、全力で頭を下げた。


「ごめんなさい。完全に俺が悪かった」

「違う、違うの。遥がああなったのは、私のせいなの」

「いいや、何がなんだかわからなかったけど、俺が自分を抑えられなかったことは事実だ」

「だから、違うんだよ」


 カナタが近寄ってきたところを、遥は声で制した。


「近づくな!」


 カナタは体を震わせて動きを止めた。


「ご、ごめんなさい」

「違う! 怖がらせたいんじゃないんだ。ただ、今近寄られるとまたヤバそうで」


 やはり、溜まりに溜まった欲望は、一度吐き出さなければ冷静になれそうになかった。

 遥は情けなさのあまりに唇を噛み締めた。血が滲みそうな力で圧迫しても、性衝動は収まらない。解決する方法は、一つしかなかった。カナタに対してこんなお願いをしなきゃいけないことに、いっそのこと死にたいとすら思った。

 それでも、カナタをこれ以上傷つけるよりはマシだった。


「カナタ、重ね重ねごめんなさいとしかいえないけれど、一つだけお願いがあるんだ。聞いてくれないか?」

「お願いごと?」


 逡巡するようにカナタは顔を伏せていた。何をお願いされるのか、考えを巡らせているようだった。遥は、襲い来る衝動に耐えながらも、カナタの答えをじっと待ち続けた。

 カナタは、握っていたシャツに裾を、強く握りしめた。表情は弱々しいものから、決意を秘めた鋭いものへと変化していた。


「私も、覚悟を決めたよ。いいよ、私のせいでもあるから……なんでもいって!」


 遥はカナタの思いつめた様子に、さらなる申し訳なさを感じつつ、勢いよくいい放った。


「今から20分……いや10分だけでいいから外に出ててくれないか。それで、俺が何をしていたか……絶対に聞かないでください!」


 人生至上最高に美しい角度で頭を下げた。顔を上げると、カナタはキョトンとした表情をしていた。どうやらカナタが考えていたこととは違ったようだった。

 辺りを沈黙が支配した。その色は暗く淀んだピンク色をしているように感じた。


「……あっ」


 カナタは、遥が行う行為の意味を察したのか、顔を真っ赤にして部屋から出て行った。

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