5ー8 罪と誓い
「それで、カナタは何を謝ってたんだ?」
「う、うん。実はね」
穏やかさを手にした遥とは対照的に、カナタはまだ気まずそうだった。気にしないようにと気遣ってくれているが、感情の処理が追いついていないようだった。
遥は何も気にしないことにした。カナタに何をしていたかはバレているだろうけど、気にしていたら話が進まない。
「えっと、遥がえ、エッチな感じになっちゃったのは、私のせいだっていったよね。それはきっと、この道具のせい」
カナタが取り出した道具は、小さな電波塔のような形をした置物だった。土台の部分にはスイッチが付いている簡素なもので、とても凶悪な物には見えなかった。
「これは、なんなんだ?」
「直接見せるのは初めてだよね。前に説明した、人の認識に直接情報を投射する装置だよ。遥が危険視したアレ。これを使ったの」
「……マジか」
遥はうまく言葉を見つけられなかった。思い当たるのは、カナタを帰そうとした日の朝。蜜のような甘い匂いを感じた気がした。どこかで覚えのある香りだと思ったけれど、のんさんの質問を誤魔化す時に嗅いだ記憶があったのだと思い出した。
カナタは叱られる前の子犬のように縮こまっていた。そんな姿を見ていると怒る気にもなれなかった。脳の認識を変えることはとても危険なことだとわかっていても、決して遥は怒鳴り散らしたりはしなかった。
「怒らないから教えて欲しいんだが、一体どんな情報を俺は与えられたんだ?」
「いわなきゃ、ダメだよね」
「嫌なら別にいわなくてもいいんだ」
「いや、いうよ。それが私の罪だから」
カナタは遥をまっすぐ見据えたが、すぐに視線を逸らしてしまった。チラチラとうかがうような視線は落ち着かなかった。
「ほんといいたくなかったらいわなくていいから」
「いう!」
カナタは大きく深呼吸を行った。息を吸い込み吐き出す動作を繰り返し、気持ちを落ち着かせているようだった。
数回動作を繰り返して、再び遥へと向き直った。
「遥が、もっと私のことを心配するようにって、暗示めいた言葉を植え付けたの」
カナタの告白内容は、遥にとっては意外なものだった。
「……なんでまたそんなことを?」
「私が暴走した時、優しくしてくれたことが嬉しくてたまらなかったんだよ。パパが死んじゃってから、あんなに人に甘えたことなんてなかった。あの日が終わっちゃったら、もう遥が甘えさせてくれないんじゃないかって、不安だった」
カナタが感じていた不安を、完全にではないにせよわかるような気がしていた。カナタも遥と同じで、幼い頃に親を失っている。だからこそ何かしら満たされない思いを抱えている。遥が母親との別れで無力感を抱いたように、カナタは父親が亡くなって強い不安を感じたのだろう。当たり前に受けていた愛情が受けられないんじゃないか。甘える相手がいなくなってしまうんじゃないか。苦い経験に象られた不安の形は、今もなお根付いているようだった。危険だとわかっている道具に、頼らなければいけないほど、強く。
「バカだな、カナタは」
「うん……こればっかりはそう思うよ。遥のことを考えてなかった」
「だからバカだっての。俺がいいたいのは、そんなことしなくてもいつだって甘えさせてやるってことだ」
カナタが道具を使ったのは、カナタを帰そうとした日の朝方だ。けれどその前からもうすでに、遥はカナタのことを愛しく感じていた。寝ているカナタの体に、いけないとわかりつつも触れてしまうほどに焦がれていた。道具なんか使わなくても、元から心配でたまらなかったのだ。
「ありがとう。でも、私がやったことはいけないことなのはわかってる。だから、まずは遥に植え付けた情報は解除するよ」
「そうすると、どうなるんだっけ?」
「すぐにではないけど、この心配に起因した出来事は徐々に忘れていくと思う。だから、私にしようとしたことも、時期に記憶の奥深くに眠ることになるよ。これでもう、この件はおしまい」
抱えた矛盾や植え付けられた情報に関することは記憶から消える。一見するとあとぐされはないように思うが、自らのやった出来事に関する、何らかのケジメはつけておきたかった。いくらカナタの行為も少なからず影響はあったにせよ、カナタに乱暴未遂をした事実は消えない。記憶から消えても、罪は罪として残り続ける。
覚えていられるうちに、罪は償わなければならない。遥はそう決意した。
「カナタ、どんな罵倒の言葉を浴びせてくれてもいい。どんなに力を込めたっていい。カナタの気がすむ方法で、俺のことを裁いて欲しい」
「そんなことできないよ。悪いのは私だから」
「きっかけがどうあれ、俺のしたことのケジメをつけないなんて、人として良くない。忘れてお終いなんて都合のいいやり方、俺は嫌なんだ」
忘れて終わり。無かったことにして終わり。そうやって済ませる事態もあるのだろうけれど、遥には許せなかった。
カナタは困ったように眉を曲げていたが、やがて意を決したのか表情が険しくなった。
「何をしても、いいんだよね?」
「ああ。何がきても受け止める」
「わかったよ。遥、目をつむって」
カナタの指示に従い、目を閉じて歯を食いしばった。視覚が遮断されて、カナタの動きがわからなくなる。不安が強くなるけれど、何がきても受け止めるという決意は変わらなかった。
「今から、一度限りの特大の一発をお見舞いするからね。もう二度とないこれっきりだから、逃げることは絶対に許さないからね」
「もちろんだ」
「それじゃあ、いくよ」
カナタの合図を受けて、遥の身はこわばった。見えない恐怖もあって、不安は増大するばかりだった。殴られるんだろうか、それとも蹴られるんだろうか。もしくは想像もつかないような痛みを与えられるんだろうか。別れ際にくらった往復ビンタの痛みを思い出した。体も心もボロボロにしたあの一撃は、できれば二度とくらいたくないものだった。それでも、絶対に受け止める。
訪れる衝撃を待っていても、なかなかやってはこなかった。いつ来るかわからないことで、恐怖は増大した。
始めに感じたのは、首に何かが回された感覚だった。絞め技は想定外だと身構えると、唇に触れたのは柔らかい感触だった。
何かの冗談かと流してしまいたかったが、カナタの体温を直に感じて、冗談ではないことを悟った。
抱きつかれてキスをされている。そう表現する他なかった。
押し付けられた胸元から鼓動が伝わってきた。とても早く、情熱的に思う。自分でもわかるくらいに、心臓は早鐘を打って、生まれてきた熱に浮かされて意識が飛んでしまいそうだった。一度重なった唇はなかなか離されなかった。粘膜を擦り付けるように唇が交差する。小さく呻くような声が漏れ出して、抑えたはずの欲望も暴れ出す予兆があった。同時に、感情が揺れ動く気配も感じた。ただ唇を合わせる行為。それだけでなんでここまで心が揺さぶられるのだろうか。いいようもないじんわりとした温かみ。リアルな幸福感は今までに感じたことはなかった。
「んっ」
唇が離される瞬間を、名残惜しく感じた。
「遥。目を開けて」
いわれるがままに瞼を開いた。上気した朱色の愛しさが広がっていた。少し顔を動かせば、またキスしてしまえそうな、それほどまでの近さだった。
ドキドキしていた。思考の全てがカナタに染められてしまったようだった。もう自分自身の自由なんて、どこにも残っていないことを知った。ドキドキにすべて支配されてしまっていた。
潤んだ瞳は、星々の煌めきのようだった。それを見続けることは辛かった。求められているように感じるけれど、何も応えられていないことを、とても切なく感じた。
「こんなことは恥ずかしくて、もう二度といわない。だからしっかりきいて」
返事もせずに頷いた。声なんて出せそうになかった。全てを吹き飛ばされる感情のせいで、声の出し方すらも忘れてしまった。
「私は、他の誰よりも遥のことが大好き」
もう我慢が出来ず、遥の方から唇を奪った。体が許すなら、心が許すなら、いつまでだってこうしていたかった。
永遠と錯覚してしまいそうな蜜月の最中、時計は刻々と時を進め続けていた。
「カナタ。カナター。聞こえてるか?」
「……聞こえてない」
「しっかり返事してるじゃないか」
「……返事してない」
カナタからの思わぬ一撃が終わると、カナタは部屋の隅で膝を抱えて羞恥に震えていた。勢いに任せた行動の意味合いが、重くのしかかっているようだった。遥にとっては嬉しい出来事だったけれど、その結果落ち込まれるといたたまれなかった。
カナタは、頭を抱えて地面を転がりだした。
「あああああ。なんだかすっごくいけないことをしている気分。誰も見てないからって、信号を無視した時のような罪悪感」
「そういわれると、むしろ俺の方が複雑な気分だよ」
「ちーがーうーのー。嫌だったわけじゃなくて、自分で散々ダメだっていっておきながらこのザマだったんだよ。もういっそぶって欲しい」
「落ち着けって。今は恥ずかしいかもしれないけど、徐々に慣れていけばいいさ」
「……それができないから、困るんだよ?」
呟くような一言も、遥は聞き逃さなかった。
「どういうことなんだ?」
「詳しくは私の口からはとてもいえない。けれど、事実が変わるわけじゃないからもう一回いうけど、私と結ばれる未来。そんな未来がないことだけは絶対だよ」
「そういい切られると切ねえな。カナタのいうことは、時々わからん」
「にゃはは」
「久しぶりに聞いたな、猫笑い」
「なんだか気まずくなったり恥ずかしいとつい出ちゃうの。それで誤魔化せないことはわかってるんだよ。それと、約束通り道具の効果を解除するよ。これで、遥に強制的に植えつけられていた情報は全て消え去り、徐々に関わっていた記憶は消えてしまう」
カナタがスイッチを切ると、再び覚えのある香りが広がった。もやもやした感覚が徐々に解きほぐされる。そのような感覚だった。
遥には理由はわからなかったが、カナタの表情は冴えなかった。
「そんな心配そうな顔をするなって。幼馴染としての絆を信じろって」
「うん……にゃはは」
それでもカナタの心配は尽きないようだった。腑に落ちない部分ではあるが、リムから課せられた試練はすでに始まっている。まずはリムを見つけて帰る算段を立てなければいけない。
自分自身の未来を掴むため、カナタと一緒に帰ろう。
「遥、約束して欲しいんだ。過去にとどまるのも、今周で最後。絶対にリムちゃんを見つけて帰るんだって」
「もちろんそのつもりだ。約束する」
「ありがとう。大丈夫だよね。ハルカナコンビは」
「無敵だからな」
指きりの代わりに、ハイタッチを約束の誓いとした。
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