2ー7 おやすみの前のお話。カナタの本音
「……ほんとすごかったね、あのご夫婦」
「ああ、あれが夫婦ってやつなんだな」
買い物を終え、寝ぐらにした洞穴に戻ってきた。夕飯を終えて、風呂に入り今日のところは就寝することにした。慣れない出来事が続いたせいか、遥は強い疲労を感じていた。水を吸った泥のように体が重くて、床の上だというのにあっさりと眠りにつけそうだった。
カナタは、ソファーに寝転がって、いつでも就寝できる態勢になっていた。毛布は一つしかないため、なんとか均等に覆われるようにかぶせた。さすがに一緒に寝るような年齢ではないし、カナタを床で寝かせることは
スーパーで出会った二人、
始めは親の跡を継いで、雑歌ダンさん一人で雑貨屋を経営していたが、たまたまお客としてやってきた、のんさんと知り合い、数年の交際を経て結婚した。
不慣れながらのんさんも店先に立ち、二人での店舗経営は楽しく、穏やかに続いていった。
夫婦生活は順調で、何も問題はないはずだった。ある一点を除いては。
二人とも子供を授かることを望んでいたのだが、なかなか妊娠にまで至らなかった。詳しいことについては聞かなかったが、お互いに原因があると聞いていた。精子数の問題が、子宮になんらかの疾患なのか、想像に任せるほかなかった。
ダンさんの両親は亡くなっており、兄弟はいない。一人きりとなった今、自分の子供という存在を切望していた。のんさんの両親は健在だが、子をなして始めて一人前になるという心情が強く、なかなか子宝に恵まれない二人を、時折つつくような発言をするのだった。
好きで子供ができないわけじゃない。心の底からお互いに望んでいるのに妊娠には至らない。満たされない淀みは溢れ出し、時には喧嘩にまで発展することもあったらしい。
重ねてきた月日は、五年もの期間を要した。そして、ついに念願叶って、のんさんは妊娠にまで至ったとのことだった。
現在は妊娠五ヶ月目。時折胎動も感じるようになり、親になるという実感を徐々に感じ始めている時期だ。
そのような想いがあったからこそ、ダンさんはのんさんのことが心配でたまらない。だからこそ、暴走的な行動をとってしまうことがしばしばあり、のんさんは少し辟易しているのだった。
「でもね、ああいうの、なんかいいなって思う」
カナタは、普段よりも幼いような、はしゃいだ声でいった。
「ちょっと過激なとこはあったけど、お互いがお互いを好きなんだってことは、なんかいいな」
「それもそうなんだけどね、二人が好きで、お互いに本気で望んで、子供が欲しいって願ってたっていうところが、すごく好きだな」
「好きな人と結婚しても、子供が欲しいって人ばかりじゃないらしいもんな」
遥の脳裏に浮かんできたことは、置いてきた素直のことだった。素直のことは好きだ、と思う。いつも一緒にいるような気がする、カナタに抱いている気持ちとは別物である。けれど、素直に対するこの気持ちに、何故だか確信を持つことはできなかった。
これもいつかにカナタからいわれた、諦めているということなのだろうか。
もし。もしもの話。
もしも、この気持ちを確信込めて、好きだって言葉に収めてしまえるのならば、素直との子供が欲しいって、心から思えるのだろうか。
「うーん、ちょっと私がいいたかったこととは違うなあ」
「ん、どう違うんだ?」
「私がいいたかったのは、好きになって、結婚して、そして大好きな相手との子供が欲しいって、時間を重ねてもそう思えたことが、いいなって思うんだ」
「好きになった時点で、相手の子供が欲しいって思うことも、まああるとは思うけど、それとは違うのか」
「わずかな違いかもしれないけど、違うよ。きちんと好きが続いた期間を経て、子供が欲しいって思うくらいにまで気持ちが大きくなったことが、すごい、と思うん、だよ」
カナタの声が途切れるように、か細く締めくくられた。遥からカナタの姿は見えないが、目で見る以外の感覚は告げていた。何かをためらいつつも、カナタはまだいいたいことがある。そんな確証も何もない勘に、遥は従うことにした。
「別に俺相手には、何をいってもいいんだぞ」
繋がっている毛布が揺らいだ。まだその感触の正体はわからない。
遥は、なんの模様も施されてない、鉄製の天井をひたすら見つめ続けた。なかなかカナタは次の言葉を紡がなかった。その沈黙の長さは、カナタが抱えるわだかまりの大きさなんだと感じた。
それでも、言葉にしたがっているような気がするのだ。
「……私の両親はできちゃった婚だから、さ。普通に好きになって、結婚して、子供を作るっていう、普通だっていわれる流れで生まれた家庭が、羨ましいのかもしれない」
「そう、だったのか」
カナタが生まれたきっかけが、できちゃった婚だということは、遥には初耳だった。
そして、カナタにとっての大きな悩みになっているということすらも、知らなかった。
「ママのことは好きだし、もう死んじゃったパパを恨んでいるつもりもないよ。でもね」
「でも?」
「高校生だった頃にできちゃったもんだからさ、相当苦労したんだって。幸い高校を卒業する前だったから問題なく卒業はできたみたいなんだけど、大学に行く予定だったパパは働きに出て、ママも家庭に入ることになっちゃった。それに、おじいちゃんたちも相当怒ってたって」
「高校生の頃にできちゃったのか……。そういった形を否定するわけじゃないけど、俺はちょっとそういうの抵抗あるな」
「……そうなの? うっそだー。遥って、迫られると断れなさそうな気がするんだけど。これは幼馴染としての、それと女の勘ってやつだよ」
カナタは、心底意外そうな口ぶりでいった。
「……んなことねえよ」
素直との出来事を思い出して、わずかに
素直に触れた感触が、幻の感覚として蘇ってきた。その時に伝わってきた体温、鼓動。かすれた吐息の色っぽさも脳裏に焼き付いている。そのことを思い出すと、どうしても潜めていた情欲が優位に立とうと暴れ出す前兆を感じた。
カナタが隣にいるのに、こんなことを考えているのは不純じゃないか。
遥は、カナタにはバレないよう、自分の額を一発殴った。
「……今回はなんか俺の母親と会うことはできた。正直色々と戸惑ってるけど、本音をいうと……嬉しいんだ」
「なんだか何かを誤魔化しているような感じがするけど、まあいっか。あははは、それは良かったよ」
「これでも、感謝してる。だからさ、またいつか機会があればさ、今度はカナタの父さんにも会いにいこうぜ。俺が何か力になれるかはわからないけど、ハルカナコンビは、無敵だから」
再び降りてきた沈黙。限りなく外部から遮断された室内には、音はほとんど響かない。静寂はただそこで次の音を待っているようだった。
どのような逡巡があったのかはわからないが、カナタはためらいがちにいう。
「ありがと……遥がいるだけで、もう充分だよ。それがわかったから。遥は遥でいてくれればいい。それだけだよ」
「それって、どういう?」
「遥が私のパパに会ったら、きっとめちゃくちゃびっくりすると思うよ」
「俺が知ってる人物なのか?」
「にゃははは。そうだよ」
唐突な猫笑いは、一体なにを誤魔化していたのかわからなかった。
それから、ポツポツと遥とカナタは話し続けていた。他愛ない話は深夜まで続き、眠気が本格的に襲ってきた。
「じゃあ、確認だけど、私のこと、好きになってない?」
「ああ。お前は仲の良い幼馴染だよ。それで、さすがにもう寝ないか?」
「うん、そうだね。確認も終わったし、良きかな。それじゃあ、おやすみ遥」
「おやすみ、カナタ」
カナタもよほど疲れていたのか、数分も待たずに寝息が聞こえてきて、遥は安堵を抱きながら、意識を微睡みに任せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます