プロローグ 遥とカナタは繰り返す

「いい加減強がりはやめて、素直になっちゃいなよ」

「強がりじゃねえし。俺は素直だし」

「繰り返すたびに、抱きつかれたり頬擦りされたり、告白されるのは嬉しいでしょ? なんせ相手が、大好きなママだもんね」

「うーれーしーくーねーえーし。適当なことを抜かすな。なんで過去にタイムスリップできたと思えば、実の母親とラブコメしなきゃならんのか、意味がわからんわ」

「……遥は本当にひねくれてるよねー。あの母親コレクションを知っている私としては、何をいわれても説得力は皆無だよ」

「カナタてめえ、それはいわないお約束だろうが。ごめんなさい触れないでくださいっ」

「にゃははは」


 重力に従い、落下している最中だというのに、会話に興じている今宮遥いまみやはるかと、天鳥あとりカナタは呑気なものだった。


 なぜなら、怪我や死を意識する必要はないからだ。何度も繰り返してきた体験から、落下し地面に叩きつけられたとしても、大きな怪我を負う心配を感じてはいない。

 そんな展開、今までにはなかったからだ。


 風を切り、落ちて行くにつれて加速度は増していく。初めは自身のコントロールが効かない落下という行為に恐怖を感じていたが、何度も同じ体験を繰り返すにつれ、恐怖の濃度は薄まっていた。


 落下しても怪我がないのは、ひとえにカナタが持ってきたタイムマシンの効果によるらしい。物語の世界にしか存在しない魔法の如き代物だが、実際に過去に来てしまっているのであれば、信じるしかなかった。


 遥とカナタは、下方を眺める。徐々に地面が近くなっていき、ミニチュアのようだったマンションや田んぼ、スーパーやコンビニなどは立体感を増していく。

 米粒ほどだった人の群れも、徐々に形がはっきりと見えてきた。


「落下地点はっと……いつも通りか」

「そろそろだねー。今まで通りなら怪我はないと思うけど、一応は気をつけてね」


 幼馴染のカナタは、まるで母親のような、もしくは姉のような振る舞いで、遥に注意を促した。幼馴染であるはずなのに、カナタは遥をまるで子供か弟のような扱いをすることが多かった。

 もし落下の衝撃に耐えうる球体の膜が張られていなければ、遥のシャツ襟を直すため、手を伸ばしていただろう。


「なんで毎回、地面にぶつかった後は、吸い寄せられるように母さんにぶつかるんだろうな?」

「さあねー」


 遥は今までの繰り返しの中で、一度も例外のなかったルールについて疑問をぶつけたが、はっきりとした答えは返ってこない。

 徐々に地面は近づいてくる。遠く幻にしか見えなかったアスファルトが、はっきりと確認できるようになった。

 もうすぐこのまま地面に落下し、勢い殺せずに体はエネルギーを帯びて放り出され。

 この時代の、まだ女子高生だった頃の母親にぶつかる。


 そういう、流れだ。


「遥、それじゃあいつもの確認をするよ」

「おー」

「私を好きになっちゃってない?」

「恋愛感情はない」

「よしっ」


 落下を続けた結果、高層ビルの高さまで追いついていた。二人が地表に降り立つまで、もうわずかな猶予しかない。


 地面と接触を果たす瞬間、衝撃を分散させるプログラムが働き、本来であれば損傷はなく大地を踏みしめることができるはずなのだが、どういった理由からか判然としないが、一旦遥とカナタは全く別の方向へと飛ばされてしまう。


 それが、何度も繰り返されてきた体験だ。まるで宇宙の真理のように確定的で、例外はなかった。


 そういう、流れだ。


 カナタは、ハッキリと聞こえるように、肺腑から共鳴させた大声で、遥に向かっていつもの決め台詞を飛ばした。


「ハルカナコンビは」


 遥はグッと親指を突き立て、得意げに表情を決めているカナタに答えた。


「無敵」


 二人はほぼ同時に頷いた。


 遥には、カナタがいれば大丈夫であり。


 カナタには、遥がいれば何も問題はない。


 幼馴染という絆で結ばれている二人の、信頼を確かめるやりとりが無事かわされれば、不安や疑心など、全て吹き飛んでしまう。


「うん。オッケーだね。それじゃあ……今周も、よろしく」

「ああ。また、今周」


 地面に接触を果たした瞬間、見えない壁がわずかに軋む。衝撃を吸収する作用により一度運動が止まる。

 行き場を失った落下のエネルギーが爆発する時、遥とカナタは逆方向に吹き飛ばされる。


 そういう、流れだ。


 衝撃が弾けるまでの刹那、遥の視線の先にはカナタがいた。視線は重なり、カナタは呑気に手を振っていた。

 遥も手を振り返す。


「それじゃあ、また後でな」


 その声が届いたのか、遥にはわからない。


 音もなくエネルギーは弾けた。奇跡的に通行人にはぶつかることはない。事故に発展しないように、生体を避ける安全機能が働いているらしい。

 だというのに、なぜ母親である星八リムにはぶつかるのだろう?


 ふと疑問が湧いてきた直後。

 運動の終着が、訪れた。


「どいてー!」

「え? きゃっ」


 安全のために貼られていた見えない壁は消え去り、遥は高校の制服に身を包んだ女子生徒に正面からぶつかった。

 一応声をかけたが、とっさのことに避けることができなかった。遥は女子生徒を押し倒すように、勢いのままに地面へと倒れこんだ。かろうじて遥が体を下に投げだしたため、女子生徒にかかる衝撃は大きくはないはずだ。

 守るためとはいえ、抱きしめるように両手を回していたため、あわてて両腕を外して女子生徒を解放した。

 両手を地面について、女子生徒は体を起こした。

 遥が女子生徒を見上げると、目が合ってしまい、そこから女子生徒は動かなくなった。感情が薄い印象の瞳が揺れた。瞳孔がわずかに拡張したようだ。

 側から見れば、まるで女子が男子を押し倒しているようにも見える光景なため、遥は気恥ずかしさを感じた。そろそろどいて欲しいと思いつつも、一方的にぶつかったのは遥のほうであるため、たった一言すらもいえないでいた。


 沈黙は続く。一分も経っていないはずなのに、まるで一時間のようにも、永遠のようにも感じた。

 相手の正体がわかっていても、若々しい女の子の雰囲気と、フェロモンなのか麻薬的な色香は不覚にも感じた。ドキドキと鼓動が脈打つ。


「初め、まして?」


 女子生徒は、疑問系で挨拶を口にした。

 本当は初めましてなんかじゃないけれど、色んな意味で。

 いいたいことも含んだ思いも、一旦は全部飲み込んだ。母親に会いたいと願ったけれども、まだ母親でない相手にそんなことをいっても、意味がわからないだけだろう。

 遥は、精一杯の作り笑顔で、応えた。


「初めまして」

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