3ー2 穏やかな時間

 遥とカナタは、あてどもなく飛び出した。視界を覆うような大きな建物は、まだ圧倒的に少なく、素朴な印象を受けた。木造の建築物がまだ多く残っており、人よりも妖怪が住んでいる方がしっくりくる家も多々見られた。

 根本の作りは同じなのに、醸し出された雰囲気はどこか懐かしい。まだ生まれてもいない時代の風景に、懐かしさを感じるのはおかしなことかもしれない。けれども、フィクションから学べる過去の空気にも趣を感じられる。そんな感性に身を委ねると、なんでもない生活の羅列にも、深い歴史が浮かんでくるようだった。


「ちょっと遥。あれっ、あれ見て」


 カナタが指を指した先には、軽快に歩く二人の女子高生がいた。

 その姿は、遥たちの時代では物珍しい装いをしていた。制服は着崩しており胸元は緩く肌が見えている。ソックスは随分と長く、余った部分がダボダボになっており、段々を作っていた。かつて女子高生の間で大流行していた、ルーズソックスだった。

 さらに人目を引くのは、金髪を通り越してくすんだような髪色に、光の反射で黒々と輝く、真っ黒い肌色。


「あれ、ガングロってやつじゃないか。テレビで見たことがあるな」

「地方都市とはいえ、田舎でもいるんだね……。すごい迫力。私も直接見るのは始めてだよ」


 まるで珍獣でも見ているような発言をしつつ、ついチラチラと眺めてしまった。ガングロギャル二人に、視線の動きを気付かれて、睨み顔を飛ばされてしまったため、そそくさと退散した。


「はーびっくりした」

「ほんとだよ。にしてもすごいな、この時代はああいうのが流行ってたんだな」

「そうみたいだね。あと結構驚いてることがね、誰も歩きスマホしてないってこと」

「そっか、まだないもんな」


 そもそも、携帯電話の普及がまだ浸透していないようで、電話はもっぱら公衆電話で行なっている者が大半だった。

 服装も、男性は簡素にコートとスラックスという組み合わせが多く、ファッションにおける多様性は、男性には望むべくもなかった。

 遥とカナタは、二十年という時間の重みに驚愕した。時代や流行は、急速な流れで過ぎ去り、新たな物が創造されて、循環する。スマホどころか携帯すらもほとんどない時代があったなんて、空想の世界のようですらあった。


 シャッターの並び立つ寂しげな商店街を進んでいくと、つい最近知り合った人物を発見した。驚くほど小柄で華奢であるのに、恐るべき声量と情熱を秘めた可愛らしい妊婦さん。

 雑歌のんが、閉まりきった店舗の中で、唯一営業をしている店の前を掃除していた。


「あっ昨日のお二人さん。おはようございます」

「おはようございます」

「のんさん、おはようございます。精が出ますね」

「もうすぐママになりますからね。安静にしてなさいってダーリンに叱られるんですけど、なんだかいてもたってもいられなくって」


 可愛らしく舌を出す姿は、実年齢よりもずっと瑞々しく見える。もう三十路を超えたらしいが、愛らしい丸顔と、大きな黒目にアーモンド型の瞳は、実年齢よりも幼さを強調していた。身長も140センチあるかないかといったところで、より童顔に拍車をかけていた。

 こうして見てみると、昨夜は熊の如き大柄なダンを叱りつけた挙句、土下座まで強要した人物にはとても見えない。

 初めはキラキラと笑顔を振りまいていたが、のんは何かに気づいたようで、表情は訝しげに歪んでいた。


「そういえば、二人とも、まだ高校生ですよね。学校はどうしたんですか? もしかしたら、サボっちゃうタイプの人だったりするんですか?」


 当然の疑問を投げかけられ、遥は返答に詰まった。

 カナタは右ポケットに手を突っ込み、なんらかの操作を行っていた。同時に、遥に小さな声で「任せて」と耳打ちした。

 カチッと音が鳴り響いたと思えば、甘さを連想させる、蜜のようなイメージの香りが漂ってきた。


「のんさん。私たちは大学生だっていったじゃないですか。テストも終わったし、もう学校に用事はないんですよ」

「そう、でしたっけ」

「そうですよ」

「そうでしたね。勘違いしちゃいました」


 照れ臭そうに頭をかく仕草は可愛らしく、とても大柄の男性に往復ビンタを叩き込むような人には見えなかった。

 それよりも、遥はカナタが施した細工について気がかりだった。おそらくまた怪しげな道具を使用したに違いない。


「カナタ、一体何をしたんだ?」

「今はちょっとアレだから、また隙を見て説明するよ」


 小声で応酬していることを見つめられていて、心臓がキュッと締まった気がした。


「お二人とも仲がいいですねー。せっかく来ていただきましたし、おもてなしさせてくださいね。さあどうぞ」


 心配は杞憂だった。ウキウキと嬉しそうにスキップを踏むのんさんに連れられて、店内に入った。雑貨屋というだけあり、古今東西様々な物が混在していた。しかしコンセプトはきちんと決まっているようで、女性用のお洒落道具、西洋の骨董品、日本に古くから伝わる伝統用具など、フロア毎に区分けされていた。

 雑多な印象をは受けるが、木漏れ日を存分に浴びていたような温かな香りは、どこか懐かしく居心地は良かった。


「さあさあせっかくだから、コーヒーでも飲んでいってください。お二人とも、コーヒーは大丈夫ですか?」

「大丈夫です。もちろんブラックでお願いします」


 遥は、咄嗟にカッコつけた。

 男子高校生の間では、ブラックコーヒーを嗜むことは、大人の魅力に通ずると考えられていたのだ。


「私は、ミルクと、あと砂糖を二杯ぐらいでお願いします」

「かしこまりましたー」


 のんは弾むように厨房へと消えていった。コーヒー豆を削る音が聞こえてきて、芳醇な香りが漂ってきた。のんは鼻歌を歌いながら、円を描くようにコーヒー豆にお湯を注ぎ、ゆっくりとドリップをしていた。湧き立つ香ばしさに、黒々と光沢を帯びた液体が注がれる姿を見ていると、いつも飲んでいるコーヒーよりも、とてもおいしそうな代物に見えてきた。


「おまたせしましたー。ダイヤモンドマウンテンですよ」

「わーいい香り」

「ブルーマウンテンやエメラルドマウンテンなんかは聞いたことありますけど、珍しいですね」

「ダイヤモンドマウンテンも、その二つに負けず劣らず、いい味出てますよ」

「それは楽しみですね。いただきます」


 カナタは、味わうように一口目は摘むように口に含んだ。そして、二口目はより多く注ぎ込み、笑顔で感想を述べた。


「とってもおいしいです。遥も飲んでみなよ」

「お、おう」


 強がってはみたものの、ブラックコーヒーはほとんど飲んだことはなく、ためらってしまった。

 ここで砂糖を入れることは変な意地が邪魔をしてできそうになかった。どんな味でも飲み込んでしまおうと、密かに決意して一口目を含んだ。

 恐れていた苦味と酸味は、訪れなかった。


「……すごく飲みやすくて、おいしいです」

「お口に合ったみたいで、良かったです」


 確かな苦味はしっかりと感じる上に、酸味もピリッと舌を撫でた。しかしそれは不快な味では全くなく、苦味と酸味の程よいバランス。おいしいと思わせられる感覚を刺激しているような気がした。より味わうためにもう一口を含み、舌で転がす。本来感じるはずのない甘味も、捕まえることができた。

 きちんとした手順を踏んだドリップコーヒーは、こんなにもおいしいものなんだと、価値観を改められた。

 しばしのんびりとした時が流れた。店内に流れるレトロなBGMは、オルゴール風の曲調で、ゆったりと心を解きほぐしてくれているようだった。


「あっ。そろそろダーリンも出てくる頃ですね。せっかくお二人が来てくれたのですから、きちんと挨拶しないとですね」


 のんは唐突にそういって、店の裏手に消えていった。

 遥はわずかに顔をしかめた。きちんと謝罪をしてもらったとはいえ、熊のような大男に対面するには、恐怖がつきまとう。胸ぐら掴まれたし。

 ビクビクしながら待っていると、床が軋む音と共に、ダンとのんが連れ立ってやってきた。


「いやあ、昨日は本当にごめんなさい。せっかく来てくれたんだし、ゆっくりしていってよ。まあ見ての通り、あまりお客さんも来なくて暇だからさ」


 昨日の怒り狂っていた姿とのギャップに、驚いた。柔和な表情に、温かみのある声色は、おじさんというよりも、気のいいお兄さんといった印象だ。

 そして何より、着用している深い青色のエプロンの中心には、手作りらしいアップリケがあしらわれていた。それはきっと、ダンを模したであろう、可愛らしい熊の形をしていた。


「改めてようこそ雑貨屋、アスタロイドへ」

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