20 KP作業

ふと目が覚める。

周りのうなされているような寝息に、時折誰かの歯ぎしりが交じる。

外は暗いし、まだラッパが鳴っていないので起床時間ではない。

寝ても覚めても周りはむさ苦しい野郎だらけ。

警察学校時代を思い出しながら、人生で2度もこんな目に遭うなんてなと倉間は考える。

警察学校には初任科と、実習を終えての初任補習科で2度入校したので正確には3度目だ。

そう言えば交番員時代の後輩の天満は自衛隊出身だったっけ。

あいつもあいつで因果な人生だ、と、かつていた元の世界を思い出しつつ、もう一眠りしようかと毛布をかぶる。

そしてグラハムは、再び幸福なまどろみの中に落ちていった。


営内作業の1つにKP作業というものがある。

正式にはKitchenPolice、つまり烹炊所作業のことで、芋の皮むきや肉の切り分け、パンの焼成などがある。

通常は週番として10人ほどが定期的に、あるいは罰直の一つとして臨時に課されるもので、敬遠されている作業の1つである。

だが、むしろグラハムにとっては今までの日常作業の1つだっただけに、今一つ罰直という実感が湧かない。

ことKP作業に関しては本業の補給員以上の働きぶりになっていた。


何しろ退屈な初年度教育だ。

非武装地帯は必要になる。

そしてグラハムにとっての非武装地帯は烹炊所で大麦パンを焼成する作業だった。

「芸は身を助く、ねえ・・・・・・」

昔親に口酸っぱく言われた言葉を思い出す。

曰く、技能は多い方が良いのでなんでもやれるものはやっておけということだったのだが、見事にこうして身を助けている状況である。


「お前が焼いたらパンが美味い」

パンの焼成作業中、手空きになった班員が声を掛ける。

入営初日、グラハムに突っかかってきた奴だ。

名前はオリバーというらしい。

あれから関係がややぎくしゃくとしていたものの、何だかんだ言葉を交わす仲にはなっている。

グラハムとしては、出来ればあまり関わり合いになりたくない人種なのだが、美味いものは素直に美味いと言ってくれるのはありがたい。

「大麦パンがこんなに美味いものとは知らなかったよ」

当然のことなのだが、やはり改めて美味いと言われるとそれはそれで面映ゆいものを感じる。

「グラハム二等兵だっけ?確か輜重科志望だったよな?」

横からKP作業監督の補給軍曹が尋ねる。

「はい、出来れば輜重科の中でも補給に行ければ、と」

「輸送になると大変だもんなあ・・・・・・忙しいし辛いし」

おまけに前線に行くから戦死率も上がるし、と縁起でもないことを補給軍曹が続ける。

「ロ、ロクでもないこと言わないで下さいよ・・・・・・」

はははと笑い、すまんすまんとグラハムの肩をぽんと叩く。

「まあ、運だよ」

「運・・・・・・」

隣でオリバーが呟き、何やら考えているが、こいつの考えていることはよく分からないし、あまり理解したくもない。


ふとグラハムが作業台の方に目を向けると、焼成作業用の砂時計の砂が降りきろうとしていることに気付く。

兵営の砂時計はどうも店で使っていたものより少し計測時間が短いらしい。

もう一度砂時計をひっくり返し、その砂が半分降りる手前くらいで窯を開けると丁度良い仕上がりになる。

時間が短いのは、戦地で焼き上げる際に必要最低限の時間で大量に焼き上げるためらしい。

何でも大昔、輜重科をはじめ、チリン陸軍の偉い人たちが真剣に時間を測って、ぎりぎり美味いと思えるラインのパンが焼成出来ると判断した時間を基準にレシピが作られた、という逸話が補給員の間でまことしやかに語り継がれている。

だが、ここは戦地からは程遠い内地の連隊だ。

KP作業員がいる以上、何とかかんとか焼成時間は確保できる。

どうせやるからには美味いものを、というのはパン職人グラハムとしての信念だ。


「よっせい!」

握ったタオル越しに伝わる焼成板の熱気を前に、ぐっと力を込め、窯からパンを引き上げる。

店で使っていた窯よりも大振りで力が要る。

ごん、とパンの載った金属板の鈍い音が響く。

ざっと仕上がったパンを見渡す。

今回も上出来だ。

同じタイミングで何人か手空きになったらしく、烹炊所のあちこちからわらわらとKP作業員が湧いてくる。

「他の班が焼いた時との差が歴然だから出来ればお前以外のは食いたくねえんだよな」

「褒めてもパンしか出ねえぞ」

軽口を叩きながらも、急ぎ次の分の仕込みを始める。

しかし、パンを前に集まった班員を尻目にグラハムは一人考える。

「運、か・・・・・・」

願わくば平和な内地で、パン焼きだけで任期が満了出来ますように。

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