29 第一当事者
「これは何だ」
日課後。すっかり日も落ち、間も無く消灯の喇叭が響こうとする、消灯前点呼の時間のこと。小さい樽を手にしたコープランドが営内班を練り歩く。21営内班の総員がベッドの端に整列させられ、一人一人の顔をコープランドが覗き込む。
第一当事者のことを倉間が元いた警察という組織では「1当」と呼称する。コープランドの手にある小樽に関して言えば1当であるグラハムはその折、ふと今日の昼間の烹炊所での会話を思い出していた。
時を遡り、昼。
グラハムが徴兵されてから4ヶ月が過ぎた時期で、新兵教育の基礎課程も終わりが見えてきた。この頃になると歩兵連隊に残って歩兵教育を続けるか、あるいはその他の兵科配置になるかが概ね決まる。そしてどの兵科に誰が配属されるかが何となく風の噂で流れ出す。
「どこになるんだろうな、俺ら」
慣れない危なっかしい手つきでジャガイモを剥くマイルズが言う。
「さあな。でも俺はこんだけKP作業をやってるから補給に行けるんじゃねえかな」
グラハムは笑って返す。
「補給かあ・・・・・・楽そうだよなあ」
演習前、歩兵科や槍兵科を志望していた敢闘精神旺盛だった人間が、演習が終わった今となっては揃いも揃って後方職種で希望を出せばよかったと嘆いている。「楽をしたい」という人間の本能に基づいた欲求がこの4ヶ月という時間をかけて徐々に表出してきていることと、先週の演習での疲労が歩兵科をはじめとする戦闘兵科がなんたるかを物語ったのが主な理由だ。歩兵科に次いで、ただでさえ低かった工兵科の人気もだだ下がりしている。
「兵科の選択肢は兵役生活を左右するからな」
ジャガイモの皮むきを終え、慣れたパン作りの作業に移りながらグラハムが笑う。
「人生の節目かあ・・・・・・」
一歩間違えばそのまま指を切り落としかねない包丁さばきでジャガイモと格闘しながらマイルズが呟いた。
ところが、人生の節目は肝心な時に限って突然やって来る。
そして、グラハムの「節目」のきっかけはコープランドの一言だった。
「演習から一週間経つが、爾後の手入れは充分済んでいるか?」
ちょっと見てやると言い、営内班を一巡して、グラハムとゲオルギーのベッドで足を止めた。
「なんでここ、樽が一つ多いんだ?」
そして、樽の蓋を開けてしまった。
グラハムの意識がふと現在に戻る。
「随分と変な臭いを放つ洗濯物があるなと思ったら、何だこれは」
歩くたびに、コープランドの手元の樽からちゃぷちゃぷと水音が響く。
「ゲオルギー」
「ハイッ!」
「お前は洗濯物が液体になるまで放置したのか」
「いいえっ!」
「じゃあこれは洗濯樽じゃないんだな?」
「っ!・・・・・・いいえっ!洗濯樽です!」
「洗濯樽には洗濯物以外を入れていいことになってるのか?・・・・・・ベクター!」
「ハイッ!洗濯樽には洗濯物しか入れてはいけませんっ!」
「そうだよな?じゃあこれは一体全体何なんだろうな?」
「それはっ・・・・・・その・・・・・・」
尻すぼみになる発言にコープランドの目が光る。
「おいてめえ、さてはなんか知ってるな?」
「知りません!」
「嘘ぶっこいてんじゃねえ!てめえの腹掻っ捌いてハラワタ全部口にぶち込まれてえんか!?」
腰から吊った銃剣を揺らしながらコープランドが掴みかかる。営内における故意犯的な殺人、障害は重罪だ。軍隊内務令を詳細に把握していなくとも、誰もが知っている基本的な規則である。もちろん本気では無いはずだが、その一歩手前まではやりかねないようなコープランドの眼光にベクターがたじろぐ。
頼むから言うなよ共犯者第1号。目つきを鋭くして、グラハムはベクターを睨む。そもそもの共犯者は営内班総員なのだが。
すっとコープランドがベクターの隣に標的を変える。まずいことに、よりにもよってオースティンだ。こいつは最後の最後まで反対していた。
「てめえのモツ食わされたくなきゃ正直に全部吐け!」
「ハリス二等兵です!」
「・・・・・・あ?」
要領を得ない顔をしているが、オースティンの言わんとしていることを汲み取ったのか、標的がグラハムに向く。
「てめえ、何を知ってやがる」
徹頭徹尾、感情のこもっていない疑問文をグラハムにぶつける。
「持ち込んだのか?」
黙っていると、変な方向に話が進みそうになる。洗いざらい吐くべきだろうか。
「この間の演習のときか?警衛にいくら渡した?」
諦めて決心をつけた。
「食料庫の備品を使って作りました」
グラハムの発言に少し目を丸くしながら、しかしすぐ無表情に戻りコープランドが続きを促す。
「数週間前、食料庫の余剰資材を見て、廃棄するくらいならと醸造を決心しました」
理解に苦しむような顔だが、なんとか無表情を装うコープランドが言葉を継ぐ。
「・・・・・・なぜだ?」
「任期満了除隊をした際に元の職場で腕前が落ちては困りますから、悪いこととは思いましたが・・・・・・」
こんなもの全て出任せだ。一瞬、まとめて一個班総員でやったと正直に自白すれば規模が大きすぎてかえって懲罰が無くなるのではないかとも考えた。だが、周囲を道連れにするくらいなら、1人でまとめて抱き込む方が遥かにマシだ。
単なる自己犠牲精神というよりは、不和を防ぐ目的の方が大きい。ここで同じ釜の飯を食った仲は少なくとも兵役期間中、それこそ生涯に渡って続く可能性がある。ここでヘタを打つと、いかに配属先の同期が少なくても仲間から何かしら助けてもらえる確率が限りなく低くなる。最悪、戦場で後ろから撃たれる可能性すらある。
「・・・・・・分かった」
抑揚なく、コープランドが呟くように言葉を吐いた。グラハムは一人、懲罰房に送られることを覚悟していた。重営倉は軍隊手帳の軍歴欄に記載される程度の重大な服務事故だ。今後の兵役期間だけでなく、それこそ、徴兵期間が終わった後の生活補填の一時金にも影響が出る。
「追って沙汰を知らせる」
だからこそ、後に続いた班長の言葉に一瞬反応が遅れた。
「はっ?」
「聞こえなかったか?これはな、もはや俺個人の領分を超えている」
だから首を洗って待っておくように、とコープランドは続けた。そしてそのまま下士官部屋へ消えてしまった。
間をおいて、1人、2人と、言葉を交わし始める。なんとか、極刑判決は免れたらしい。一先ず、周りが動くよりも前にオースティンへの私刑を禁止することにした。恨んでも仕様がない。
「一発くらいぶん殴んなくていいのかよお前?!」
オリバーが声を上げた。その語気に、後ろでオースティンが怖気付く。どうにもこいつは感情的に行動する傾向が強い。
「やるからには露見する覚悟を持ってやったさ。恨んでも仕方ねえ」
元を辿れば囃し立てた周りも悪いのだが、実行犯なりの覚悟を持った上での醸造だ。周りを恨むのもお門違いだ。
ことがなんとか丁重に処理されそうな気配を悟り、マイルズを始め実行犯たちが、にへらとした顔を覗かせた。
「ヘコむなよ、グラハム」
「まあ、お前らを信じた俺が馬鹿だった」
しかし、自然と笑みが浮かぶ。
「クソ、もっと飲んどけばよかった」
心底残念そうにベクターが呟く。
「え?飲んだことあんの?」
オリバーが純粋な疑問を問いかける。周りも似たような顔をしている。
「演習明けの帰隊直後」
周りが唖然としている。
「なぜ起こさなかった・・・・・・?」
「あの状況で起こしたとして、起きられたか?」
マイルズの言葉に再び沈黙が訪れる。
今度の沈黙を破ったのはベクターの一言だった。
「グラハム、心配事とかは何か無いか?」
ふと考る。今のグラハムにとっては、何よりも大きい、それこそ人生設計を揺るがしかねない懸念が一つある。
「俺、輜重科行けるかな・・・・・・」
大きく、がっくりとした音が聞こえた気がした。
「お前の懸念そこかよ」
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