番外・エコー少尉の憂鬱

教育隊長室への足取りは毎度重たい。教育隊長の元へ赴く際は大体が定期報告か問題が起こった時のどちらかで、教育隊という組織においては後者が圧倒的にその回数のうちの大半を占めている。

だが、ただ事案報告に行くだけなら別段面倒なことはない。よっぽどのことがない限り、少々のお小言を頂いてそれで終わりだからだ。足が重いのはそれ以外のところに理由がある。どうにも教育隊長という人物が苦手なのだ。

教育隊長自体は、28歳の若さで少佐に昇進している。前例がないこともないが、相当優秀か、あるいは相当な功績を挙げない限りは20代で少佐の階級章を付けることは稀だ。何をしたのか知る者は51連隊に誰一人としていないが、事実として教育隊長は現職にある。しかし当の本人は飄々とした調子でどうにも掴み所がない。なんというか、地に足がついていないような。言うなれば、軽薄でちゃらちゃらとしている。性格的には間違いなく自分と合わない。だが、そんな人間でも若くして少佐になれるあたりにチリン陸軍という組織の限界があるのか、それともああしたタイプの人間だからこそ上手くいっているのか、どちらなのかは分からない。その部分を考え出すと、どうにも自分の将来を心配するより他に考えが進まなくなる。


「エコー少尉、入ります!」

がちゃりと戸を開ける。地方の歩兵連隊に併設されているだけの教育隊で尚且つ、司令、副長に次ぐ比較的低めの役職だというのにも拘らず、教育隊長室は随分と重厚な雰囲気を纏っている。奥に鎮座する軽薄な存在を除けば。

若き教育隊長は、特に手入れしている風でもない、軽くウエーブのかかった、やや長めで色素の薄い金髪が印象的だ。いつ見ても長さが変わった感じがしないので、一応手入れはしているのかもしれないが、ぼさぼさとしているのも見た目の軽薄さに拍車を掛けている。この組織においては、偉くなれば髪が長くなるか、刈り上げて極端に短くなるかのどちらかが目立つ。

軽薄さといえば顔付きも何だか、よく言えば取っ付きやすそうだが単にへらへらしているだけの印象を受ける。何が一々面白いのか顔ににやけ気味の表情を常に貼り付けている。

「何か用かな?」

そして何故か言葉の端々が妙に癪に触る。その鼻っ柱に一撃拳固をくれてやりたい衝動をぐっと抑え、本来の用件を伝える。


「先日の方面総監以下の幕僚の救出に際してなのですが」

「ああ、あれかぁ」

ぱたりと読んでいた本を閉じ机に置き、卓上メモを用意する。傍に置かれた本を盗み見ると、「歩兵用兵論」と書いてある。だが大方、表紙だけすげ替えて娯楽図書でも読んでいたのだろう。カバーの大きさと本の大きさが微妙に合っていない。

最近になって、チリン王国で流通する書籍に紙製のカバーが付けられるようになった。表紙とデザインは共通なのだが、カバーを付けたという目新しさからの売り上げ拡大を狙う意図があるのだろう。残念ながら、近隣諸国に少々遅れを取る形となっているが。


「先方から司令宛と、そして教育隊総員宛に感謝報が計2通届いてます」

「うん」

「さしあたって、教育隊宛への返礼報についてですが」

少し待ってみる。手元の報告書からちらりと教育隊長を見やると、じっとこちらを見ている。

「続きは?」

面食らう。「続きは?」だって?

返礼を送る送らない、文面はどうするどうしないというのは自分の中に考えこそあれ、最終的に部隊宛ということは指揮官宛、つまりは隊長名義になるのだ。言うなれば隊長の仕事で、そこに小隊長程度の人間には提案も何も、考えをさし挟む余地はない筈だ。

「・・・・・・送るのが妥当と判断いたしますが」

「うーん」

考えているようにはまるで見えないような表情のまま、考えているかのような言葉だけが聞こえる。嫌な予感を覚え、何とか部屋を辞する言葉を探すが見つからない。

「君、やってみてよ」

「はっ?」

今なんと言った?やる?俺が?

「名義は心配しなくてもいいよ。僕の名義で」

心配しているのはそこではない。

「しかし、その」

「名義が僕ということはさ、何を書いても責任は僕が取るということだし、いずれやることになるんだから、やってみたらいいじゃないかい?滅多にない機会だよ?」

待て待て待て待て。体良く雑事を押し付けてるだけだろ。

だが返す言葉がない。本来それは私の仕事ではありませんと言いたいところだが、別段礼式には必ずしも部隊宛報の返礼を隊長級が出すとまで規定されていない。どちらかと言えば同階級あるいはそれ以上が慣習として返礼しているだけである。だから「名義は貸す」というところに繋がるのだ。更に言えば今回は「教育隊総員」というかなりぼんやりした宛先のものである。否定の根拠がない以上、元より拒否権など無いのだ。

「試練、試練だよエコー君」

「は、・・・・・・分かりました」

「よろしく〜」


部屋を出て営内班へ戻る。その足取りは重いというより、床板を踏み抜きたいくらいのものだった。

途中の通路で今日の営内当直の新兵と遭遇した。姿勢を正し、びっと敬礼を寄越してくる。確かグラハム・ハリスとか言ったか。元を辿れば、あのハリス二等兵とかいう21営内班の当直が受領した感謝報を21営内班長に渡して。そして班長から忌々しいことに2小隊長たる自分のところに回ってきて。そして、1小隊長のハイストーンと教育隊長配達ジャンケンをして。そして、忌々しいことに自分が負けて。そして、忌々しいことにこうして仕事を増やされて。実に忌々しい。

よくよく考えてみればハイストーンは士官学校の同期だが、士官学校時代からどうにもあいつには忌々しいことに煮え湯を飲まされるところが多かった気がする。

そう言えば、忌々しいといえば土砂撤去作業の時の新兵共もそうだ。わざわざ安全が確保できる道を模索しようというのに、指揮官の指示に従わずに危なっかしい方法を選んで、忌々しいことに作業を完遂させてしまった。忌々しいことに、あの時は班長連中も俺の言うことを聞かなかったような気がする。


色々と考えているとなんか腹が立ってきた。

いつまでも答礼をしない自分に、ハリス二等兵はどこか不審な顔を浮かべている。分かった、なら答礼してやる。これが俺の答えだ。

つかつかと近付き、通り過ぎざま、拳固を一発くれてやる。何が起きたか分からないというような顔をしていたが知ったことか。ふんと鼻を鳴らしずかずかと歩き去る。どいつもこいつもいらん雑務ばっか寄越しやがって。


虫の居所が悪い新人少尉と、床にぶっ倒れた運の悪い新兵と。

そして、その後ろ姿を遠巻きに見守る影が一つ。

「試練、試練だよ」

その影は一通り見届け、はっはっと笑って満足すると、元の教育隊長室に引き返していった。

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