28 帰隊

ぞろぞろと隊列を組んで、小隊単位で行進する。総員、雨天の下でイレギュラーな事態に対処したせいで疲労が極限まで溜まっている。今日だけでどの位歩いただろうか。足回りをはじめ全身に付いた泥に気を留める者はおろか、51連隊の営門が見えたところで誰一人として口を開く者はない。最早無駄口を叩く余裕すらなくなっていた。この状況で落伍者が出なかったのは半ば奇跡とも言えた。


営門に立つ、雨衣を着た完全軍装の歩哨が敬礼する。疲労の色を見せず、見事な答礼をエコー少尉が返すが率いる小隊員は疲労困憊。殆どの者は死んだ獣のような目でちらりと歩哨を見やると、そのまま正面を向きなおす。残りは顔を上げることすら忘れたように俯いたまま、ざくざくと歩く。


そのまま営庭に整列し、演習最後の命令下達が行われた。総員ご苦労であった、という型通りの挨拶に始まり、今日この時間からは丸々休養に充てるという指示が続き、よく休めという締めの言葉を以って、演習が完了した。しかし、何人の耳に届いたことやら。グラハムの隣に立つマーカスに至っては、既に立ったまま眠っている。小突いて、なんとか隊舎に向かうよう促す。周りも似たような有様だ。


「よく泥を落とせ」

隊舎に入る前に聞こえた声は誰の声か分からない。もしかしたら班長かも知れないし、同期の誰かかも知れない。だが、今はどうでもいい。泥だらけの靴底を払う力なんてとっくの昔に無くなっている。掃除は明日にでもするさ、という心の声が聞こえてくるようだった。

営内班に向かって、歩く屍のように足を引きずって通路を歩く。そして、ベッドに辿り着くやいなや、一人、また一人沈んでいく。かくいうグラハムも限界が近かった。だが、グラハムには落ちることが出来ない理由があった。

「ゲオルギー、生きてるか?」

「いや、死んでる」

「そうか」

おもむろにベッド下から樽を引っ張り出す。

「多分出来てる」

「ああー、なんか喉乾いたな俺」

不意に元気を取り戻したゲオルギーは水筒のカップを片手に、すすっとグラハムの側に寄る。いつの間にかベクターとマイルズまでそこにいた。


「バレないように、な」

そろそろとカップに琥珀色の液を注ぐ。

「では皆さん、土木作業の程、お疲れ様でした。乾杯」

マイルズの、場馴れした静かな一言を合図に、4人が無言で盃を交わす。くっ、と飲み、誰ともなく声を発する。

「旨え・・・・・・」

あり合わせだけで作ったものなので、恐らくあまり旨いものではないのだろうが、この状況ではなによりも旨かった。

ふと周りを見回してみる。残念ながら4人以外は全員固い毛布を前に轟沈していた。オリバーに至っては器用なことに、立ったまま上段のベッドに首だけ預けて眠っている。遠目に見るとまるで首吊り死体のようだった。

からん、とアルマイトカップの転がる音がした。目を向けると、ベクターの意識が遠い彼方の世界に旅をしている。ベクターだけではない。マイルズも頭を下に垂れたまま動いていない。ゲオルギーは最後の抵抗とばかりに半分だけ目が開いているが、時間の問題だろう。

ベクターとマイルズはともかく、ゲオルギーの寝台はすぐ横だ。なんとかそのままベッドに入るように促すと、意識があるのかないのか、ん、とだけ言ってゲオルギーがのそのそと寝台と毛布の間に挟まった。下段はグラハムの寝台だが、やむを得まい。

ベクターとマイルズの方を見やる。2人のカップは空だ。溢れた分もなく、臭いは特にない。むしろ身体に着いた泥臭さがそれを補って余りある。放置しても問題は無さそうだ。

疲労の割に冷静な思考をしているが、グラハム自身も限界は近い。上段の寝台に入り、横になる。いつもは固く、ちくちくとする寝台が何よりも柔らかく感じられた。そして、そこでグラハムの記憶は終わっている。


それから数十分後。

全滅し、静かになった新兵隊舎を歩く音が4つ。営内班長たちの見回りである。日頃は就寝体制の点検が目的だが、今日はそこに罰直的背景は兼ね備えていない。

コープランドがふらりと通路から営内班を覗く。そのままおもむろに部屋に入り、まずはオリバーを寝台に押し上げた。それから、向かい合って座談をしていたような姿勢のまま動かないベクターとマイルズを担ぎ、向かいのベッドに下ろす。最後に一通り見回し、昔を懐かしむようなどこか遠い目をして、そして、コープランドは無言で部屋を出て兵舎から歩き去った。

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