35 経緯
そもそもこの連隊の大麻汚染はどこから始まったのだろうか。いくらなんでも創設当初からの筈はない。
着任してから2週間経った頃の安息日。
ふとグラハムは思い立ち、連隊史を紐解いてみることにした。
史料室だか閲覧室だかいう部屋に行くと、兵器の資料、教養図書、そして記念誌や連隊史が読むことができる。連隊史をあたればそれなりに沿革なり歴史なりが分かるはずだ。
写真はまだ発明されていないか、あるいはほとんど普及していないため、どの本も時折挿絵が挟まれるくらいで実際のところ、正確性には欠けるかもしれない。しかし、歴史さえ分かれば見当はつけられる。
内陸のラコニアは湿度が高く蒸し暑い。この時期は兵舎の戸口と窓を空けておかないとそれだけで営内に湿気がこもる。聞いた話ではうっかり閉めたまま通路の帽子掛に軍帽を1日掛けておいたらそれだけでカビが生えたこともあったらしい。
史料といった類のものの保管には最も不向きな気候だが、こればかりは致し方ない。ひどくじめじめとした居心地の悪さが予感される史料室に向かう。
史料室に入ると、予想された通りの湿度と、予想していなかった先客がいた。
「珍しいな」
「そりゃこっちのセリフだ」
ベクターだ。
「何してんだ?」勉強という柄ではないだろお前、とグラハムが聞く。
「そっくりそのまま返してやるよ」
ぱたぱたとハタキで本棚の埃を落としつつベクターが答える。
「この調子なら明日は雪か?」
「知らんが埃だったら今降ってる」
どうにもベクターという男が掃除をしている様ほど不釣り合いなものはない。どちらかといえば何かと口実を見つけて掃除しかり作業しかり、何かしらを要領よくサボるタイプの人間だ。
昨日の昼な、とベクターが口を開く。
「掃除をやってたらブロア軍曹が、「すまんが少し席を外す。しばらく戻らん」と俺に伝えてきた訳さ」埃を払う作業を続けながらポツポツと語る。
「しばらくいないならこっちのもんだと思ってさ、酒保に行ったんだ」
「・・・・・・酒保だって?」
課業時間中に酒保に行くという状況は上官からの使いっ走りなどの条件でも付与されていない限りはどう控えめに見てもサボっているようにしか見えない。
牛乳でも飲んでくつろごうと思ったんだ、と説明を補足する。
「まあ、俺の天下だと思ったよ。一口牛乳飲んだ30秒後に酒保にサボりに来たブロア軍曹とホーマー中尉に見つかるまでは」
ありありと情景が浮かんだ。お互いにサボろうとしてサボりに行った先で鉢合わせた格好だ。
「ははあ、さてはそれで「史料室の掃除でもやってもらおうか」と相成った訳だな」
分かってんじゃねえのとベクター。
「ホーマー中尉は「この短時間で終わるとは掃除の要領が相当にいいらしいな」と目を細めてニヤニヤしながら言ってきたくらいだから、まあ半分冗談みたいなもんで済んだが」
それに向こうも向こうでサボりに来たという負い目があるからなと隣の棚に移動する。
「そういやグラハムは何しにきたんだ?」
「ああ、連隊史でも読もうかとな」
「連隊史ぃ?」
途端にベクターの顔に怪訝なものが浮かぶ。
「なんだってそんなもんを?」
「歴史が分かれば体質が分かる。ならどんな気質の連隊か分かるだろ?」なんとなく生活してる上でもまあまあ分かるがなと言い訳くさく補足する。
「・・・・・・なんかここの連隊、風通しは良さそうだがどこかに油断ならん何かがある気がするんだよな」
グラハムの説明を聞いたベクターが感想を漏らす。あながち間違いでもない。
さて、と連隊史を手に取ると机に向かう。
奥付は無かったが、書類としての取得年月日が書かれたラベルが貼られており、どうやら連隊史の発行は5年前らしかった。比較的新しいものだ。
記事は古ければ古いほどいいが、ネタの多さでは新しいものが歓迎されてしかるべきだ。
57連隊に配属されている人間は砲兵科、衛生科、輜重科の3科に渡っている。
それぞれに分かれて項目分けされている。
まずは砲兵からあたる。
それらしい記述は見当たらず、どちらかと言えば砲兵としての活動記録のようなものが多分に含まれていた。
当初は予備役のための連隊として開隊したものの、長らく戦闘もなく、ここ20年ほどは専ら徴兵の後期教育としてその用を供するに至っている。
読み進めて行くと、2戦級部隊と連隊長は着隊時に言ったものの、存外ここの部隊の砲兵科としての活動は活発らしく、15年ほど前には砲兵用の測量が行われたらしい。
だが、よくよく読むと、どちらかというと陸軍本部がいつまで経っても測量班を寄越さないのでしびれを切らして砲兵の測量技術を以ってローカルマップを勝手に作ったというほうが正しいらしかった。
そこには「早く全土の正確な地図を測量しないことには仮に最悪の事態に陥った場合、国内全土を活動地点とした防衛戦を行うことになるが、その場合は部隊の移動にも支障を来し、増援で寄越した他部隊が地図を有していないという事態が生起することは目に見えている。それこそ地方の連隊の土地勘や現地人の力のみでやりくりする羽目になるので早くなんとかしろ陸軍省」と読み取れる、苦言にも似た言葉があった。
更に読み進めて行く。何やら、竜騎兵連隊ともしばらくの間は合同演習を行っていたらしいが、何やら騒動があったようで、この5年、つまり連隊史から起算すると10年は演習をやっていないらしい。
砲兵と、本命と目していた衛生科からも収穫は得られなかった。そして件のハーブに関しては輜重科のページにようやく記述があった。脱線が続いたが、ようやく本題にぶち当たった。
当連隊においての例のハーブについては「効果は分からないがなんだか気分が高揚するものとしてよく連隊内の行事で積極的に提供している」との記述があった。
思ったより厄介そうな経緯がありそうだと頭痛を覚えはじめたところで、その初出がどうやらここ30年ばかりの話だと気付く。
ラコニアの村自体はそこまで大麻汚染が進んでないのだろうかと期待したところで、「地元では長く煙草として親しまれていたことから当連隊でも盛んに乾燥させて刻むことが流行り出した」という記述を見かけ、頭痛の悪化を覚えた。
そして3年ほど前、つまり起算して8年ほど前に「パンの風味付けにハーブを練り込んだパンを作ったところ、体調不良者が続出したところで食用には不適と判断した」という旨の記述を見かけたところでグラハムは連隊史を閉じた。
本棚に戻し、扉に向かう。最早ほかの記念誌や古い連隊史をあたる気力はまるで無かった。
「収穫はあったか?」
ハタキを持ったベクターが尋ねる。
痛む頭を抑えながらふと思い出したことがあった。倉間のいた盗犯係の小豆畑係長という男の口癖にも「収穫はあったか?」というものがあった。
そして、今なら倉間にも言えることが1つあった。
「頭痛なら」
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