34 後期教育
砲兵科というものは敵陣を薙ぎ払い、まっさらにしたところで戦列歩兵の突撃支援をする--というのは今となってはどちらかといえば過去の話。今は砲兵科でもやはり魔物相手の戦いが主流らしい。
「戦闘用意、配置に付け!」
各々の配置に向けてばたばたと新兵が走り回る。全員が最短距離で1つの砲座に向かおうとするせいでお互いにぶつかり、転んだ人間にまた別の人間が足を引っ掛けて転んではぶつかりを繰り返し、さらには装填手と砲手が配置をお互い間違えたりして、最終的に配置に付けた頃には2分は経っていた。
「敵直上!火球直撃!第1砲台、総員戦死!」
綺麗に晴れ渡る青空の下、筒先の長い、黒々とした砲の前に立つ砲兵士官のホーマー中尉という教官の元でグラハムたちは今、実践型の座学を受けている。
「元の位置へ」という号令に従い、グラハムたちはぞろぞろと砲座から離れる。
「いいかぁ、竜というものはな、毎秒30メートルの速さでやって来る。姿を見つけてから準備してたら、間違いなく死ぬ!」
大仰な物言いでホーマー中尉は教務を継続する。
「それも1人じゃない。砲兵6人1門、陣地1つ、歩兵部隊諸共道連れにして皆死ぬ!1人の準備不足で、だ!」
随分な喋り方だが、筋は通っている。そのせいか、周りの新兵は真剣に聴き入っている。
「一度戦闘用意が下令されれば、1分以内に配置に付いて、2分以内に砲撃用意までは終わらせる必要がある」
この砲撃用意には相手との距離を測定する、測距作業も入っている。測距も終わらせて少なくとも初弾で至近弾を打ち込める程度にしておかなければならん、と更に説明を続ける。
砲撃は初弾で命中させられるほど甘い話ではない。
「見極めろ、撃つ時、撃つ距離、撃つ相手」と隊舎のあちこちに、無論教場にも掲げられている標語を前に最初の座学でまず一番に教わった事項だ。弾が大きい分、百発百中というわけにもいかないが、しかし無駄弾を撃つことは当然許されない。
「おいアルバート」
不意にホーマー中尉がアルバートに質問を飛ばす。
「毎秒30メートルなら竜は2分でどれだけ前進する?」
「は、えーと・・・・・・」
「そうだな、3.6キロメートルだな。では、この砲の有効射程は?ベクター?」
アルバートが指折り数え始めたところで打ち切るようにホーマー中尉は次の質問に移る。
「練度にも依存しますが最大で2500メートルです」
満足気にホーマー中尉が頷く。
「測距しても動目標を相手にする以上はその分の仰角を計算しなきゃならん。砲弾が飛んでいく速度と射程距離と相対高度、つまり放物線を描いて飛んでいく砲弾のどのタイミングで相手に当てるかを計算した上で仰角を決定しなければならんからな」
教務を受ける上で基準となっているこの砲はまさに大砲で、空を飛ぶ竜を相手にするならば高射砲の方がよいのではないかとグラハムは考えたが、どうにもまだ高射砲は発明されておらず、あるいはその概念すら生まれていないようだった。
砲兵鞄と呼ばれる雑嚢からすっとホーマー中尉が射撃盤を取り出す。
「確かに砲撃前にはこの射撃盤を操作して仰角決定をする。だがな、その入力諸元はざっと暗算出来なきゃいかん」
射撃盤の操作法はまだ習っていないが、なんとなくいわゆる計算尺のようなものだとグラハムは認識している。
暗算能力をよくよく鍛えておくことだと言ったところでホーマー中尉が空を見上げる。太陽の位置を見て何事かを考えた後に口を開いた。
「よぉし、そろそろ休憩するか」
そしてホーマー中尉はおもむろに煙草を巻き始める。それに合わせて周りも煙草を巻き始めた。グラハムとベクターは素知らぬ顔で草地に座り込む。
「そうか、お前らは吸わないんだったな」
「ええ、まあ、我々はどうやら煙草より酒の方が性に合ってまして」
その発言に吹き出しそうになったベクターをグラハムが軽く小突く。
「勿体ねえなお前ら」
火を着けながら同期のアルバートがどことなく憐れむように話す。とはいえ、アルバートをはじめ周りの同期も51連隊時代は違う営内班だったものの密造酒騒動の顛末は知っている以上、それより深くは突っ込もうとしなかった。
「そういえばアルバートは計算が苦手なのか?」
同期のエリオットがふと投げ掛ける。
「ん、まあ、ああ・・・・・・」
歯切れが悪くアルバートが答える。計算が遅いという自覚があるのをどことなく負い目に感じているらしい。
グラハムがこの砲兵連隊に来て気が付いたことがある。割とこのチリン王国という国は数学教育が遅れているのかもしれないということだ。もちろん、放物線の問題なぞは倉間も高校物理で習ってそれきりの知識なので思い出すまでに時間がかかりそうだが、一方で九九程度の暗算などでも周りは随分苦労している。
砲兵科を出ると頭が良くなるなんて話を小耳に挟んだが、それもあながち間違いではなさそうだった。
軍隊で様々な出身の者と交流し、職を身に付けさせる、言わば社会福祉的側面も徴兵制度にはあるのかもしれない。
しかしこうなるとグラハムは、大麻と暗算という相入れにくい要素が共存しているこの砲兵連隊の存在がどうにも不思議で仕方がなかった。
「コツでもありゃあいいんだが・・・・・・」
「計算ならコツはあるぞ」
悩むアルバートに不意にホーマー中尉が口を挟んだ。
「へえ、どうやるんですか?」
「竜を、相手を、そして砲弾の軌跡を音として捉えるんだ」
「へえ?」
九九でも伝授するのかと思っていたグラハムの予想を大きく裏切る、よく分からないアドバイスをホーマー中尉は投げかける。
当のアルバートも、エリオットも、それこそ新兵全員が心底分からないという顔をしているが、構わずホーマー中尉は続ける。
「最後にはな、自分と砲弾は一体になって、竜に飛んでいき、敵を討つ。全ては感覚で繋がっていると感じることができれば、必然的に・・・・・・自ずと数字が頭に浮かぶさ」
「そんなもんなんですか?」
「ああ、そんなもんだ」
どことなくぼうっとした目をし始めた中尉の顔を見ながらグラハムは、あるいは大麻のお陰でこの連隊は上手くいってるのかもしれないと馬鹿げたことをぼんやりと考えた。
教務終わりの昼飯時までは残念なことにまだまだ長かった。
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