33 第57砲兵連隊

ラコニアの駐屯地に着いた途端、グラハムの中で長らく眠っていた倉間晴彦としての勘が働いた。

「何か変だ」

倉間刑事は確かに経験はまだ浅いが、勘は確実に養われていた。そして、「事件」を嗅ぎ取る能力も。


その「兆候」を探すべく辺りを見回していると、営門の警衛詰所から一人の下士官が出て来た。ブロアと名乗ったこの軍曹がどうやら新兵の班長らしい。

「ようこそ」班長と握手を交わす。その時、ブロア軍曹から口臭とも体臭ともつかない、妙な臭いを倉間は嗅ぎとる。その臭いに、記憶の底で引っかかるものを感じた。


一通りの説明を受けながら営門をくぐる。営庭を抜け、兵営に近付くにつれて勘は確信に変わりだした。営内に入ると、グラハムは班長の後に続きながら絶えず視線を左右に飛ばす。ふと記憶が蘇った。この営内の香りは倉間晴彦の頃に嗅いだ。人手が足りない時に本部の捜査員と協力して踏み込んだ違法クラブで嗅いだ臭いだ。


「正確な着隊報告は明日の朝礼で実施する」

今日のところは偉い人に先んじて着隊報告をするだけ。それまでは特にやることがないので身辺整理をしてくれと言い切ると、ブロア班長がおもむろに胸元から金属の箱を取り出す。中から小刻みにした茶色の葉を薄い紙に置くと、そのまま巻きつけ、吸い始める。君らも吸うといい、と言ってブロア班長は新兵たちに喫煙を促す。倉間がかつていた世界では俗にタバコミュニケーションと呼ばれたものだが、様子は大きく異なる。何しろ元いた世界ではまかり間違っても証拠品保管庫から出てくることがあり得なかった物件を、目の前のブロア班長は旨そうにふかす。新兵たちも自分で煙草を巻き、吸い始めるが、グラハムは気になってしょうがない。

「班長の煙草は何を刻んだものなんですか?」

不審でないように自前の煙草を巻きながらグラハムは尋ねる。

「ああ、これか?この辺ではメジャーなハーブらしくてな」

ブロア班長は窓側に歩いて行くと、そのまま窓から身を乗り出す。よっという声とともに何かを千切る音がした。そのまま戻って来た班長はこれなんだが、とグラハムにその手に握っていたものを見せる。

うっ、と声が漏れそうになるのをグラハムは必死で抑える。

「・・・・・・今度頂いてみます」

「おう、中々に旨いぞ」

間違いない。かつて幾度となく教育を受け、資料でおなじみの、出来れば現実には見たくなかった、長く機械的とも言える切れ込みが入った特徴的な奇数枚の掌型の葉がそこにあった。


大麻草だ。


煙草休憩を終え、ある程度の身辺整理をしたところで、連隊長に挨拶に行くと言われ、揃って部屋を出る。部屋と言っても扉すらない、仕切りだけの粗末なものだが、贅沢は言うまい。戸口の小銃掛けにはまだ銃が掛かっていなかった。おそらく明日以降にでも小銃貸与があるのだろう。

通路を歩きつつ、各部屋の出入り口から中を覗く。別の営内班でも、班員が煙草盆を前に談笑しながらぷかぷかと煙草をふかしている。あれもきっとただの煙草ではない。


営内班隊舎を出て、隣接する庁舎地区に向かう。その間、日陰のあたりに目を向けると大麻草がやはり元気に生い茂っている。時折近くを歩く兵卒が、葉を千切って煙草缶に詰めていた。

隊舎から庁舎までの短い区間に、元いた世界では違法になる行為を軽く3件以上現認し、なんとも言えない気分になりながら、こじんまりとした勝手口から庁舎に入る。庁舎の作りは流石に隊舎のそれよりは豪勢だが、やはりここにもなんとも言えない違法クラブのような臭いがこもっている。勝手口から正面玄関までの間に資材班や総務班といった事務室が並んでいた。どの事務室にも扉がちゃんと付いており、中の様子を伺い知ることが出来なかったが、大方想像はつく。営内班とさして変わらない光景が展開されていることだろう。

ブロア班長に引率され、庁舎の中央階段を登る。正面玄関から階段にかけ、上品な雰囲気の造りをしているが、正面玄関横の当直室を応対用窓口から覗くと、当直員がやはりぷかぷかと煙草をふかしていた。


だが、取り分けひどかったのは連隊長室だった。

連隊長室に入ると、連隊長はちょうど、大麻草の葉を豪快に使用した葉巻を手で少しばかり弄んでいたところだった。ふうと一度葉巻をふかすと傍らの灰皿に置いた。

「ようこそ、第57砲兵連隊へ」

一体なんの冗談だろうかとグラハムが考える間も無く、マイヤーと名乗った連隊長は、気楽に休めと言い、更に訓示を続ける。

「諸君らを待ってたぞ。まあ、君たちは徴兵で来た、教育を継続して受ける身分だし、何よりここは後方。実戦とは程遠い、言うなれば二戦級部隊だ。配備されている武器も旧式。だが、砲を取り扱う基礎は全ての砲に共通している。是非とも真剣に砲を学び、砲の専門家として残る期間を過ごして行ってほしい。以上!」

最先任のアルバートの号令で一斉に敬礼し連隊長室を辞す。


ブロア班長があれこれと説明しながら兵営に引率して引き返すが、グラハムは一人、この不安な先行きを思うと何一つ頭に入ってこなかった。

営内班に戻るとブロア班長の勧め通り、周りの新兵が大麻草を千切り、早速乾燥工程に入る。

「なあ、グラハム、この煙草ってなんだと思う?」

ベクターが大麻草を片手に興味深そうに尋ねる。

「吸わねえ方がいい気がする」

気に留めていない風に返す。ベクターは煙草を吸わない。どちらかといえば商売道具として半分、交渉材料として半分の心持ちで携行している。

おそらく周囲の同期に吸うなと言ったところで大麻草の薬効どころか、その存在すら知らなかった人間たちが聞く耳を持たないことは想像に難くない。

頼りに出来そうな仲間は胡散臭いベクターだけ。

「厄介なところに来てしまった」という感想が働く一方で、ふとあることに気付く。

そういえばよりにもよって「57」か。

一人グラハムは倉間に戻り苦笑した。先行きを嘆くのはいつまで続けよう。

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