32 下士官部屋

「備品の樽が1つ足りない時点で何かしらを疑うべきだったなあ・・・・・・」

煙草をふかしながら第21営内班長兼備品掛け下士官のコープランドが頭を抱える。

「いや、まさかパン職人だからってあそこまでやるか?」想定できるかあんなもん、と23営内班長のチャーリーが続ける。

時を遡り、グラハムの密造酒騒動の直後。営内班長だけでの下士官部屋における臨時班長会議の一幕である。

「まさかなあ、こりゃマズイぞ。不祥事どころの騒ぎじゃない」

「監督不行き届きで俺ら全員国境警備隊行きかな」24営内班長のフィリップが煙草をもみ消しながらぼそりと呟く。

「おいやめろよフィリップ、俺この間子供が生まれたばかりなんだぞ」

国境警備隊勤務はチリン陸軍のみならず、周辺諸国の陸軍ではかなりハズレの部類に入る。魔物が攻めてきた際、基本的に真っ先に虐殺の憂き目に遭う部隊筆頭であることがその主な理由である。チリン陸軍では国境警備隊は独立した兵科ではない。そのため、様々な兵科の分遣隊が集まった統合部隊であり、どの兵科に在籍していようと全員に配属の可能性が逃れようのない割合で存在する。

周辺諸国では侵略意図のない、ただの威力偵察的行動により壊滅的打撃を被ることが稀ではあるが度々生起している。魔物が国境警備隊を攻撃するものの、その後侵略意思を見せない部分の意図は不明のままだ。魔王軍との戦闘を経験した他国からの報告によると、魔王軍は国境警備隊のほか戦闘中の野戦病院、町や村などを積極的に襲撃する傾向が強く、逆に駐屯地など正規の軍事施設への襲撃は少ない傾向にあることが判明している。本来、軍事施設を先に襲撃してから町などを侵攻するのが一般的な軍事作戦の流れだが、後々の軍事的報復の可能性を無視してまで無抵抗の人間を殺傷する意図は「面白半分でやっているのでは」という意見のほか未だ掴めずにいた。


チリン陸軍では建軍以来、未だ国境警備隊が虐殺に遭った経験はない。だが、夜間警戒勤務中に行方不明者が年間数名出ており、ここ数年その数はわずかながらだが増加傾向にある。

ただの行方不明なら通常は脱走兵としての捜索措置を取るものの、行方不明から程なくして本人のものと思しき破損した装具や被服の一部がすぐ近くで発見されるパターンがほとんどであり、国境警備隊勤務中の行方不明は事実上の戦死と見なされている。

チリン王国の陸軍法では戦時と平時における軍隊行動従事中の死者とその遺族に対する補填に関してかなりの開きがある。現在では限りなく戦時に近い平時というのがチリン王国の認識だが、国境警備隊勤務だけは戦時勤務として取り扱われる。そのため、行方不明者の家族には戦死恩給を支給するものという形で法的運用がなされている。

「そういやチャーリーも最近結婚したところだったな」

そうなんだよと消え入りそうな声でチャーリーが答える。

「コープランドも次の任地が決まってたよな」

「ああ、後方の歩兵連隊勤務と、おまけに軍曹昇任付き」げっそりとした顔で、肩の階級章を指で撫ぜながらコープランドが答える。本来めでたいはずの昇任話なのだが、吹っ飛ぶ可能性を前に半分心ここに在らずだ。

ふと、そこで22班長のリチャードが声を上げる。

「任地といえばよ、うちの教育隊長、今度は隣の51連隊で大隊長だとよ」

「ほお、スリッパ転勤か」

俗にスリッパ転勤と呼ばれる文化がチリン王国の軍隊にはある。チリン陸軍の営内においては、営内靴と呼ばれる革製のスリッパで歩き回ってよいことになっている。転じて、同じ敷地内にある他部隊に転勤するときはスリッパを履いたまま次の赴任先まで移動できる、という意味合いから誕生した呼称である。無論、次の赴任先にスリッパでは移動しないのだが。

そして、スリッパ転勤が決まった人間には新しい営内靴を贈るという慣習がある。

「この場合、誰がスリッパを贈るんだ?」

「アレ微妙に高いんだよな」

「じゃあ・・・・・・小隊長かな・・・・・・」

小隊長といえば、とリチャードが思い出したように更に続ける。

「エコー少尉とハイストーン少尉、アレ士官学校の同期らしいな」

「へえ、お互いどんな士官候補生だったんだろうな」

「・・・・・・待て、話が逸れたぞ」

「あー・・・・・・」

チャーリーの言葉に、全員が束の間の現実逃避から一気に、今現在直面している喫緊の課題に引き戻される。

「なんとか資材及び器材の不適切利用という角に落とし込めないだろうか」

「いや、それだと服務事故速報を出さなければならなくなるぞ」

服務事故速報とは、大小問わず何かしらの事故が発生した際に提出するもので、「細部は不明だが、取り急ぎ判明している事故の概要とその当事者について」を記入する必要がある。

誰ともなく壁際の時計を見る。何年か前に定年退職した准尉が寄贈した、名入りの振り子時計は、既に服務事故速報提出の目安となる時間にさしかかり始めていることを示している。

馬鹿正直に出す?まだ小隊長にすら報告をあげていないのに?


「・・・・・・無かったことにしよう」

コープランドが絞り出すような声で言う。正直なところ、皆が皆その言葉を誰かが発するのを待っている節があった。だがこの際あーだこーだ言ってる余裕はない。

仕方ない、やむなし。ぽつぽつと声が上がる。

「一応、罰直の1つもねえと示しが付かねえな」

「でもどうやってやりゃいいんだ?根拠になる部分は無かったことになってるんだぞ」

「それは・・・・・・」チャーリーが口ごもる。

「だが、この局面で一つだけ言えることがある」

「なんだよコープランド」

「こいつは輜重科に入れられない」

これ以上の不祥事を後期教育中に起こされたらここでの出来事が全て露見する可能性が極めて高い。

「じゃあ、さ・・・・・・何か理由つけて輜重科の適性を消さないか?」

「しかしどうする?歩兵としてここで監視するにしても、これ以上面倒見きる自信はないぞ」

少し悩み、チャーリーが呟く。

「・・・・・・砲兵57連隊・・・・・・」

がたりと音を立て立ち上がり、チャーリーの提案に全員が文字通り飛び付く。

「あの魔境に送り込むわけか・・・・・・!」

「仮にそこで自殺でもしたら死人に口なしだろ」


「まだ適性検査の紙はここにある。小隊長に出す前にいじるぞ」

コープランドがあらためて適性検査用紙に目を通す。幸いなことに適性検査は鉛筆で受検することになっている。そして更に幸運なことに、ハリス二等兵はさほど筆圧が高くないらしいことがここで判明した。試しに消しゴムをかけてみると、紙の上に乗った黒鉛は綺麗に消えた。

「これ、使うか?」

チャーリーが持つ冊子を一瞥して、3人が顔をしかめる。それは別にいい、という答えを待つことなくチャーリーは、まあ冗談だが、と冊子をしまう。

背表紙に「適性評価統一化事項」と書かれたその冊子は、適性検査と配属先の兵科を決定するための資料という位置付けであり、教育隊においては各指揮官の部屋に常備されている。だが、本部人事課の人間は何を考えて作成したのか見当もつかないくらいに複雑な資料で、かなり細分化されている。そのせいで大抵の人間は興味本位で1ページ目を開いた時点で少なくともそれ以上読む気にすらなれず、ほとんどの教育隊では単純化された別紙の適性一覧表だけで配属先の草案を、そして最後は指揮官の経験に基づく勘によって選ぶ場合が多い。


チャーリーがコープランドに適性一覧表を手渡す。

「歴史は夜作られる、だな」

「うるせえリチャード」

こうして、グラハムの検査用紙と下士官四人組の長いにらみ合いが始まった。






「・・・・・・以上が2小隊の配属先の最終案ですが」

エコー少尉の報告に耳を傾けながら、教育隊長はうんうんと頷き、身上調書に目を通す。しかしある新兵の身上調書でぴたりと指を止めた。

「・・・・・・うん?この21班のグラハム・ハリスとやらは輜重科志望とあるけど?」

「ハリス二等兵ですか?」

エコー少尉がメモを手繰る。

「・・・・・・ああ、班長メモによると、本人の適性評価が輜重より砲兵の方が遥かに高かったそうです」

「砲兵と輜重って確か希望対適性の数値は5:1くらいだったよね?」

希望対適性とは、本人の希望と適性の合致率を指す。チリン陸軍では、輜重科志望の人間は輜重科か衛生科、憲兵科に高い適性が出る一方、砲兵科には低い適性が出る傾向が多く見られるとされている。細かい比率を含め、統一化事項に載っている情報なのだが、把握している者は少ない。

「悩んだんですが、班長から適性面を強く推す声がありましたので、まあ・・・・・・」

「適性評価統一化事項は読んだかい?」

咄嗟に、人事課員であっても、読みこそすれ覚える気には到底なれない、複雑極まりない冊子の存在がエコー少尉の脳裏をよぎる。

「いえ・・・・・・」

沈黙が場を支配する。2ページ目で頭が痛くなり、3ページ目で吐き気がして目を通すのをやめた、とはとても言えそうにない。

こうした希望対適性の関係性がさっと出てくるあたり、エコー少尉は目の前に陣取る教育隊長が見た目こそ軽薄だが、実は階級章に見合うだけの切れ者であるという匂いを嗅ぎとる。

「・・・・・・まあいいや。うん、分かった」

そしてふむふむと再び身上調書に目を通す。

ところどころで質問が出されるが、ハリス二等兵の配属先ほどの、矛盾に近い疑問に基づいた質問はなかった。

しばらくの質疑応答を繰り返したところで教育隊長は了承し、判を押した。特に変更もなく決裁が通ったことになる。エコー少尉は内心、胸を撫で下ろした。これ以上知識で殴られては敵わない。

「じゃあこれで決裁を出すよ。各班長によろしく」

「はっ、分かりましたっ!」


書類を持ち、エコー少尉が退室する。

「・・・・・・砲兵科、ね・・・・・・」

決裁印をしまいながら、1人となったところで誰ともなく教育隊長は呟いた。


「これもまた試練、試練だよ。

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