46 魔女狩り

「グラハム、ちょっと来てくれ」

日出頃の警戒第3直を迎えたグラハムは起き抜け頭でブロア軍曹の呼びかけに向かう。

敵襲から、休養方法が3時間の3直制に切り替わり、夜通しの警戒態勢へ移行した。兵力を3分割して夜の3時間毎に直を切り替え、日替わりで第1直から3直までを入れ替える。つまり、初日に第1直の人間は次の日に2直、そしてその次の日には3直の時間を警戒してを繰り返して夜警を交代することになる。

この3直制は、夜間の警戒を集中力を絶やさずに行えるという利点があった。ただ、睡眠時間の分割により疲労度も負担も平時より重くなりがちであることが最大の短所だった。

この直のハズレくじは睡眠時間が真っ二つにされる真夜中の2直目だと考えられがちだが、一番のハズレはそのまま朝を迎えて日課通り活動を開始する3直目だろう、と半覚醒の頭を引っ提げたグラハムは、歩きながら現状をぼやいた。


呼ばれた先にいたのは、麻酔薬の調合法を伝えた軍医だった。

ソーンブリッジと名乗った軍医は、ちょっと聞きたいことがある、とグラハムに質問を始めた。

「率直に言って、お前はこの野戦病院と治療方法に改善点があると思うか?」

疑問そうな顔の軍医にグラハムは、頭をクリアにしながら意見を述べ始める。

「まずは、衛生的環境を作ることから始めるべきかと」

「どうやって?」

「瓦礫だらけで衛生もなにもありませんが、高濃度のアルコールには殺菌効果があります。傷口にはこの菌が繁殖しており、これが悪さをして傷の悪化や化膿といった諸症状を引き起こすのです。まずは殺菌と消毒をして、それから同じく殺菌した器材で治療を実施すべきです」

「麻酔薬は・・・・・・」

「使用すべきでしょう。もっと麻酔成分を高濃度に抽出する方法があるやもしれません。ただ、いかなる副作用があるかは分かりません」

重要なところはぼかした。倉間としても、そこは研究してくれ、としか言いようがなかった。


それから、とグラハムは傍の救護所を見る。

「よし、血を抜くぞ。耐えろよ」

「耐えろ、耐えろ・・・・・・」

明らかにもう手遅れの域まで血を抜かれた兵士が青白い顔をして横たわっていた。

最早今更止めたところでグラハムにしてやれることは何一つなかった。

「止血法の研究が急務かと」

チリン王国の医学では、体液のバランスこそが健康を維持するものと信じられている。

血液、胆液、その他。

それぞれが適切な比率で体内に存在することが正常な状態だというのがチリン王国の医者の常識なのだ。

「血液は多いに越したことはありません。体内の循環を促し、治りが早くなります。むしろ血液こそ流出を止めるべきで、つまるところ止血帯を導入すべきです」

「止血帯?」

「個人で大きめの布でもなんでもいいので、止血帯を2本携行させるべきです」

「つまり?」

「前線で負傷したならば、例えば左足の腿から先が吹っ飛んだならば、その手前で止血帯を巻き、血が体内に多く存在するうちに後方の救護所で傷口を消毒して、適切な治療を実施する、後送方式を徹底すべきかと。言うなれば、止血で治療までの時間を稼ぐのです」

「2本の理由は?」

「腕を吹っ飛ばされて片腕しか使えない状況で、右か左かのどちらかにしか止血帯を装備していないと手が届かず、止血帯を持っているのに失血死、ということになりかねません」

軍医が怪訝な顔を浮かべる。

「その、「失血死」とはなにか?」

グラハムは表情にこそ出さなかったものの、驚きを隠すのが精一杯だった。

「人体は一定以上の血液を失うと生命機能が維持できず、死にます。成人の場合、1リットルでも危険ですが、まだ動けます。しかし、2リットルも失えば間違いなく死に至ります。これが失血死です」


グラハムの説明を黙って聞いていた軍医が口を開いた。

「貴様、なぜそこまで詳しい?」

ここに至り、罠にはまったことにグラハムは気付いた。

「人体解剖でもしたのか?それとも人体実験でも?」

20世紀の技術をこんな得体の知れない世界で、根拠となるものが無い状態で妙なことを力説してしまった格好になる。そもそも、さっきの止血法の概念に至っては21世紀の救命生存法だ。

「貴様、さては魔王の一味か?」

不穏な動きを察知したか、周囲から警戒の歩兵が集まりだす。

「どうした?」

「なんです?」

「こいつ、なんか怪しいんだ」

「こいつですか?」

「医官でもねえのに、やけに医学に詳しい素振りをしやがる」

徐々に騒ぎが大きくなる。

「魔王の一味?」

「魔王の?」

「魔王・・・・・・」

少しずつ、だが、空気が張り詰めだす。

いっそ他国に留学したことがある、とでも言おうかと思ったが、事態はどう転んでも悪化の気配を見せている。

処刑される。

その一言がグラハムの脳裏をよぎる。


「味方同士で殺し合ってどうするのさ」

ふと声をした方に顔を向ける。そこには、チリン王国に来て以来、探し求め続けていた軽薄な顔があった。

「どうかしたのかい?」

「大隊長!そのう、この男が妙なことを・・・・・・」

「妙なこと?」

軍医が「軽薄な」大隊長に一部始終を報告する。

対する大隊長はその報告に耳を傾け、ふんふんと頷いた。

「そこまでいうなら、やってみようよ。どうせ最早それ以外にいい案もないんでしょう?」

「そう仰るならば、まあ」

「試験的に、やってはみますが・・・・・・」

不思議と、殺気立った空気が瞬間的に収まるのが分かった。

「さ、持ち場に戻ろうよ。そうこうしてる内に殺意を持った魔物が来たら一網打尽にされるしね」

三々五々、持ち場に向かって散り始めた。

「ああ、君はちょっと残って」

大隊長がグラハムを指名してこの場に留まらせた。


さて、と大隊長が口を開く。

「これで僕は命の恩人となった訳だけど」

「今まで何をしてたんだこの野郎」

「失礼だなあ君、僕は少佐で君は二等兵だよ?」

階級を盾にされるとただただ礼を失しただけの二等兵になる。

その事実に、ぐっ、と尻込みしそうになるが、そもそもこっちは殺害までされた被害者だということを思い出す。

「今の今までどこにいたんです?」

歯を食いしばりながらまずは疑問の解消を図る。

「僕は結構近くにいたよ?例えば君が新兵の時分には僕は教育隊長だったよ?」

「何だって?」

敵意むき出しだねえ、と笑う。

「まあ、今はあまり時間がないから後で来てよ」

「後で、ですか」

「ちょっと来づらいかもしんないけどね」

すたすたと大隊長が指揮所方面に歩き始める。

もうすぐ交代だ、と呼ぶ声でグラハムも陣地の方に足を向ける。

そういえば、と大隊長が振り返る。

「君、ビール造り上手いんだね」

再び大隊長は元の指揮所に向かう。

何かしらを言い返そうとしてグラハムは言葉が出なかった。

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