45 合流

「目標!右30度!距離1000!装填用ー意!」

アルバートはまだ見つからない。

「装填よし!」

照準手は、受け持ち砲台が全滅したハービストンと名乗った上等兵が代わった。

グラハムが伝えた「麻酔薬」は大きな効果をもたらし、強力な鎮痛剤として広く活用される運びとなった。

そして、野戦病院の機能確保のため、多少の怪我は我慢しろという命令と共に総員に「麻酔薬」が支給されることとなった。

「撃ち方用ー意!」

「用意よし!」

だが。

「撃ーっ!」

グラハムはそれでも瀕死になるまでは流石に使う気になれなかった。


野戦病院に薬を持っていった当初は歯牙にも掛けない、といった感じの冷ややかな対応だった。

しかし「手術台」に載っていた、先程手術を受けていた兵士とは別の、重傷の兵士に勝手に投与し、反応が鈍ったのをいいことにアルコールで浸した布を用いて鋸を消毒し、切断させるところまでなんとかこぎつけた。

このときの痛みを感じない兵士に対する軍医の驚きようは他にないくらいだった。

調合法を聞かれたので、持てる限りの知識を伝授する一方、我ながら非人道的なことをしているな、という良心の呵責があった。だが、それよりも下手な感染症の蔓延は避けたい、という思惑の方が勝った。結局は我が身がかわいいのだ。

そもそも、グラハムは何が何でもスコピエに戻らなければならない。そして、戻ったら戻ったで、あの軽薄な表情の男を見つけ出して、まずは一発ぶん殴らなければならない。そのためにも、こんな変な所で戦死する訳にも戦病死する訳にもいかなかった。


現状、砲兵は既に総員が帰隊。徐々に戦列に復帰していたものの、敵も数が多く一進一退。砲兵という部隊の特性上、前進は難しく、また、敵の陣地と見られるものが見当たらないのも問題だった。

つまるところ、戦線は硬直していた。


「撃ち方止めー!」

戦場には不思議なことに、敵襲の切れ目とも言うべき、攻撃が相互に止む瞬間があった。

「装薬抜け、砲身調べ!」

「砲身よし!」

「雑布通せ!」

黒色火薬のこびり付いた砲身に、雑布と呼ばれる、モップのような大型の洗い矢を通す。

連射により熱を持った砲身が、じゅう、と音を立てた。


この「切れ目」は短い。

敵方がなにをしているのかは知る由もないが、止んだかと思えばまたすぐに攻撃が再開する。あるいは、撤退するわけでもなく、息を潜めて長時間待ち構えるときもある。厄介な驟雨のようなものだった。

「装填用ー意」

簡単な射後手入れが済むと、再び装薬と砲弾を込める。警戒姿勢を取り続けるのだが、これがまもなく日没になりそうな現在に至るまで、既に数時間にわたり続いており、総員の神経をすり減らしている。

夜間射撃どころか、つい数時間前まで実目標への射撃すら未経験だった新兵たちにしてみると大きな疲労を伴う実戦だった。


「残弾は?」

「今補給が来ました」

見ると、赤い腕章を巻いた砲兵の一団が炸薬と砲弾を台車に載せてこちらに向かってくるところだった。

「これで満タン、もっぺん全力投球ってわけか」

「損傷は少ないですよ。おそらく今にピークは過ぎます」

「どうだかな」


補給隊を見送り、再び双眼鏡を覗いたブロア軍曹が舌打ちする。

「早速おいでなすった」

視線の先を辿ると、黒い影がぽつぽつと現れたところだった。

「目標、正面!距離2500!撃ち方用ー意!」

「照準よし!」

「撃ーっ!」

砲弾はわずかに右にずれた。しかし、目標の動きはゆっくりとしたものだった。

「修正射!苗頭左1、赤黒なし!静かに!」

せっせと弾を込め直す。

「照準よし!」

「用意よし!」

「撃ーっ!」

近くの砲台も砲撃を開始したのか、まばらな砲声が続く。

「目標撃墜!」

照準眼鏡を覗くハービストンが叫ぶ。

「やるなあ、お前ら」

「指導の賜物ですよ」

は、とブロア軍曹が笑う。

「ピークとやらが過ぎるまで、戦わせてもらおうじゃねえの」


ブロア軍曹の双眼鏡がある一点で止まった。

「新たな目標、左30度、距離1700!」

「照準よし!」

「用意よし!」

「撃ーっ!」

砲弾は敵の僅かに後方に落ちた。魔物の移動針路がブロア軍曹たちの砲台側に変わった。

「修正射!苗頭左右なし!赤200!静かに!」

敵の目標は蛸のような長い、触手状の足をくねらせながら移動する、気味の悪い魔物であることが分かってきた。

「照準よし!」

「撃ーっ!」

吐き出された亀はその「蛸」の上を通り過ぎた。気味の悪い姿の魔物は、やはり気味の悪い動きをよりはっきりとさせながら、徐々にこちらに向かってくる。

「修正射、左右なし!赤300!静かに!」

「照準よし!」

「用意よし!」

「撃ーっ!」

ごん、と鈍い音がしたような気がした。

「目標命中!」

歓声が上がりかけたこのとき、照準眼鏡を覗いていたハービストンの顔色が変わる。

「もう一体いる!」

そして同じく双眼鏡を覗いていたブロア軍曹も。

「新目標、黒いドラゴン!照準そのまま!急げ!」

「用意よし!」

弾を込め直す間にもぐんぐん姿は大きくなっていく。

「撃ーっ!」

迫りくる亀を新目標の黒いドラゴンは横に動いて回避した。

「修正射!苗頭左2!赤500、いや700!炸薬倍量!急げ!」

炸薬倍量の指示に一瞬ハービストンが怪訝な顔をしたが、質問は後回しにしたらしく、再び照準眼鏡に向き直る。

「照準よし!」

「用意よし!」

「撃ーっ!」

ごう、と飛んだ弾はむなしく目標のすぐ横を掠めた。

「・・・・・・早い!」

火球を放つか、渾身の体当たりか。

どちらにせよ最早対処は困難だった。

ドラゴンがすぐに触れられそうな距離に迫る。

漆黒の瞳が、まるで感情がなく、そのまま呑み込まれそうなまでの黒が、真っ直ぐ突っ込んでくる。砲台の全員が気圧され、身体が硬まった。

近過ぎる。

逃げるにしても、身体は動かなかった。


文字に起こせない、形容し難い咆哮を上げながらドラゴンが、一人残らず喰い千切らんと砲台に向かってきたそのとき、破裂音が連続して響いた。

ドラゴンの行き足が止まる。

砲の音とは違う、かなり軽い音だが、グラハムには聞き覚えのある音だった。

この状況を打破したこの音は、誰のものだろう。そもそも、いつ聞いた音だったか、と考えが二重三重に頭を巡る。

「第2陣、撃ち方始めーっ!」

再び破裂音が連続して響く。

ああ、そうだ。

これは、小銃弾の発射音だ。

ぎゃあ、と喚いて小さなドラゴンが地に堕ちる。

「着剣!」

がちゃがちゃと抜剣し、小銃に銃剣を取り付ける音が上がる。

「突撃にィー」

ほんのすぐ、グラハムたちのわずか数10メートルばかり後ろにいる誰かが息を吸い込むのが分かった。

「前へーっ!」

やあああ、と喚声を上げて突っ込んでいく。

追い越し様にグラハムが見ると、第51歩兵連隊の襟章を付けた兵士たちが、銃剣付き小銃を槍の如く構え、走り抜けていく。

呆然としていたグラハムたちをよそに、歩兵隊は堕ちたドラゴンに一斉に襲いかかる。

未だかつて聞いたことのない地響きのような断末魔がこだまする。

「怯むな!刺せ!」

既に返り血だらけになりながら、確実に死ぬまでドラゴンを刺せと伍長の階級章を付けた男がサーベルを抜き放ち叫ぶ。


「歩兵の皆さんは勇ましいなあ」

ぽつりとハービストンが漏らす。

「徴兵組なら少し前まで歩兵教育を受けてたんでは?」

「もう忘れちまったよ」

ベクターの言葉にハービストンが返す。

「500メートルまで接近されたら歩兵の出番だ、なんて言われた当初は仲良くお陀仏かと思ってたが・・・・・・」

「小銃って当たるもんなんだな」

周囲を警戒するのも忘れて、各々が各々で好き勝手に感想をこぼす。


どれくらい経っただろうか。魔物は動きを止め、いつしか声もしなくなっていた。

「警戒!」

小隊長らしい少尉の号令に即応して、さっと伏せると徐々に横一列に歩兵が広がる。

「状況知らせ!」

あちこちで動く影があった。

それはどうやら各班長を担当している下士官らしく、先程の伍長も抜身のサーベルを片手に走り回っている。

「第1班!損害なし!残弾600!警戒方向前方正面から右60度の丘稜!」

「引き続き警戒せよ」

「了解!」

同様の報告が3度ほど続き、双眼鏡を覗いて警戒を続けていた小隊長が「警戒解け、集合」を令する。

信号兵の喇叭に応じ、散兵線を展開していた歩兵たちがあちこちから走って集合した。

一方でグラハムたちは、後方に退いていく魔物の後ろ姿を夕暮れ空に見送る。

「やっと落ち着いたか」

「みたいですね」

今度の「切れ目」は長そうだった。


「人員報告!」

歩兵指揮官の声が日没間際の空に響く。

それに負けないくらいの声量で各班から報告があがる。どうやら負傷者も異常もないらしい。

「これより、分散し各拠点への立哨に移行する!」

歩兵指揮官の指示で兵力を小分けに分散し、各砲台付近の警戒員を編成する。1組5人程度の警戒班に並び替えたところで、各個にかかれと指示が飛んだ。

ぞろぞろと陣地に向かって歩いていく隊列の中に見覚えのある顔がいた。

「オリバー?」

「グラハムか?」

あまり顔を合わせたい人間ではなかったが、こんな状況では見知った顔は妙に安心する。

「ベクターも無事だ」

「同期会、か?」

「随分だな」

「水筒で乾杯でもすっか?」

ベクターの提案をオリバーは、いや、と断る。

「それよりもお前ら、一緒にいるならまたやってんだろ?」

「何をだ?」

ふ、とオリバーが笑う。

「とぼけんなよ。今度こそ俺にもビール飲ませろよ」

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