21 第21醸造所

「しかし珍しいよな。パン職人だってのに徴兵なんて」

「入営前にも常連客から言われたよ」

ある日の日課後、営内で靴を磨きながらグラハムは自分の二段ベッドの上の住人、ゲオルギーと雑談に興じる。

「俺も職人や弟子は徴兵が回避できるって聞いてさ、徴兵逃れ目当てで家具職人のところに弟子入りしようとしたんだ」

「どうなったんだ?」

靴紐を解きながらグラハムが尋ねる。

「厳しくって3日で逃亡した」

はははと2人揃って笑う。

「この話には続きがあってな。申告が遅れてたせいで役人が徴兵書類を家に持ってきてて、親が職人のところに弟子入りしましたって説明してるところにひょっこり帰っちまった」

「で、現在に至るって訳か」

「役人には「次の職場は厳しくないといいな」とにこりと返された」

笑いながら続けたゲオルギーに、靴底を見ながらグラハムが笑う。


「やっぱりお前の店でも大麦パンが主流なのか?」

「最初はそうだったが、小麦パンを作ったら随分と受けが良くてな。いつの間にかそっちがメインの商品になってた」

丹念に靴の縫い目に挟まった泥をブラシで落としながらグラハムは話す。

「珍しいな。小麦なんて」

「色々あってな」

あまり深く話すと闇小麦の存在が露呈しそうなのでぼかして話す。

一方のゲオルギーはそんな事情を知る由もなく笑顔で話を聞いている。

「なんかお前のパン屋って面白そうだな。他に何か売れ行きの商品はあったのか?」

「他?ああ、円盤状に広げた生地にチーズと野菜を載せて焼き上げた、円盤小麦パンってのがよく売れたよ」

なんだよそれ美味そうだな、と感想を漏らしたところで、ふとゲオルギーが考え込む。

「なあ、お前んとこの教会ってパン売ってなかったのか?」

「いや、たまに回ってきてビールと一緒に売ってた」

「お前の店の小麦パン1個の値段は?」

「銅貨3枚。安いもんだろ?」

教会の小麦パンの平均的な値段は銅貨5枚。単純計算で半額程度だ。

「お前が徴兵された理由ってそれじゃないか?」

「それ?」

自然と口をついて出た言葉だったが、グラハムはここに至り、あっ、と声を出す。

「気付かずにやってたのか?」

「ああ・・・・・・今ので合点が行ったんだが、俺はどうやら政治的な判断に基づいて徴兵された気がする」

「何の話だ?」

靴底の泥を落としながらゲオルギーが尋ねる。

「・・・・・・実はビールも売ってた」

「は?お前ビール作れんの?」

純粋な驚きからゲオルギーの手がぴたりと止まる。

だが、手が止まったのはゲオルギーだけではなかった。

「ビール」の単語に周りの新兵たちも反応した。

各々が被服手入れだの何だのに励む中、止めた手を再び動かし、しかし耳だけをグラハムとゲオルギーの会話に集中させる。


「ああ、やってた」

「・・・・・・幾らで売ってたんだ?」

「・・・・・・一本銅貨5枚」

味にも自信があったんだが、と少しばつが悪そうに答える。

教会のビールは銀貨1枚。

通貨単位は20進数なので、銅貨換算で教会のビールは一本あたり銅貨20枚。つまり4分の1の値段設定となる。

思いもよらずグラハムは徴兵の理由にぶち当たり、額を押さえる。


ゲオルギーがさらに質問を投げかける。

「しかし、その、簡単なのか?」

「材料と醸造樽があれば、少しばかりコツとノウハウは必要だが、慣れれば出来るさ」

視線を靴に向け、顔を上げることなくグラハムは保革油を塗り込みながら答えるが、ゲオルギーのみならず、密かに聞き耳を立てていた周りの新兵たちも目の色が変わる。

「・・・・・・ところで、ビールの材料って一体何なんだ?」

「そりゃお前、大麦と酵母と・・・・・・」

ここで不穏な空気を感じ取ったグラハムはふと靴を磨く手を止め視線を靴から離し、辺りを見回す。

既に周りの期待に満ちた視線が集まっている。

嫌な予感を充分すぎるほどに察知し、グラハムは諌めるように説明する。

「おい、落ち着けよ?材料も環境も無いし、有ったにしてもここで醸造すると流石にバレるぞ。気持ちは分かるが今は耐えろ」

だが、諦めきれない新兵たちは、いつの間にか集まり出していた隣の営内班員共々、何とか頼むとグラハムにすがる。


同じ営内班員のマイルズが尋ねる。

「具体的に、どうやって醸造ってやるんだ?」

「いや、やるなよ?頼むから」

「さっき醸造には樽がどうたらとか言ってなかったか?」

こうなると最早、堰を切ったように意見が溢れ出す。

「これ、使えないかな」

ベッドの下に置く、洗濯物を入れておくための小樽を片手にベクターが尋ねる。

「いや、流石にやるにしても不衛生だろそれ」

「違う違う、倉庫から未使用品を引っ張って来たんだ」

しれっとベクターが答える。

一瞬、コープランドに見つかって死ぬほど怒られろと思うが、とばっちりは全部班単位でやって来る。


「仮にやったとして、ここで手に入る材料で一体どんな味に仕上がる?」

名前も知らない隣の営内班員が尋ねる。

「仕上がるとしたらかなり味気ないものになると思うが・・・・・・いや、やらないからな!」

まずい流れが来ている。

それも、確実にグラハムの兵役期間を破滅に導く流れが、グラハム個人にピンポイントで。

「必要なものはなんだ?」

集めて来るぞと周りは既に意気込んでいる。

この熱を帯びた勢いを殺すことは不可能になりつつあるとグラハムは悟る。

マズい。なんとか最大限の譲歩を以って対処しないと本当に醸造する破目になる。

善処などの生易しい言葉では多分止まらない。

それどころか、期待がそのまま怒りに変わってグラハムに流れが直撃する可能性が高い。

それだけは避けたい。


「・・・・・・条件がある」

いくら法律に規定がないとはいえ、兵舎での密造だけは避けなければならない。

規則がどうなっているかは知らないが、そうでもしなければ、確実に後の兵役期間が地獄になる。

醸造する破目になったら、なにかしら適当に作って、なおかつ発酵を抑えた味気ないものを飲ませて周りには諦めてもらうよりほかはない。

仮に露見した場合でも、発酵していなければ「酒ではない」という言い訳が出来る。

万が一に備えて抜け道を用意しなければならない。

そこまで咄嗟に計算して、グラハムは口を開く。

「俺にも職人としての矜持がある。材料が足りない場合は諦めろよ?」


譲歩しているようで、どう転んでも醸造出来ない条件を提示する。

度重なるKP作業により、何が手に入り、何が手に入らないかは分かりきっている。

まず大麦。これはパンを作る必要性から、山程転がっている。

モルトにする段階まではなんとか持っていけるだろう。

問題はホップと糖だ。

ホップは少なくともこの辺に自生していないから、まず手に入らない。

糖、すなわち砂糖だが、これも厳しい。

何しろ砂糖の管理だけは非常に厳しく、常に補給士官が目を光らせている。

持ち出す際は帳簿に持ち出し量と氏名を書かねばならない。


「実はホップという植物と砂糖が必要になる。最悪ホップが無くても作れないことはないが、砂糖は必須だぞ」

これだ。

最大限の譲歩を見せるそぶりだ。

「砂糖?」

流石に「砂糖」が必要だというのは予想外だろう。

砂糖だけは、有るのに手に入らない。

醸造は不可能だという結論に持っていく下準備を整える。

しかし、そうした目論見を根底から覆す一言がベクターから出る。

「砂糖なら従軍牧師がちょろまかしてる分を掻っ払ってくればいいな。どの位必要なんだ?」

おい嘘だろという言葉が口から出そうになったが、自分で条件を提示した以上、断ることが出来なくなってしまった。

「・・・・・・ざっと2kgほど」

「任しとけ」

ベクターが即答する。

マズイ。

「で、ホップとやらは無くても出来ると言ってたが、実際出来るのか?」

ゲオルギーが質問を飛ばす。

自分で自分の首を絞める格好になってしまったが、最早引き下がれない。

「・・・・・・分かった、やってみよう」


周りから歓声が上がりそうになったのを冷静にマイルズが止める。

「おいおい騒ぐなよバレるぜ」

早くもベクターは砂糖を取ってくるとだけ言い残し、兵舎を出て行った。

「なんでこうなるかなあ・・・・・・」

熱気沸き立つ初年度兵の只中で、1人グラハムは頭を抱えた。

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