24 訓練検閲
その日は雲が立ち込めていた。
訓練検閲前日、朝の点呼。
営内班ごとに整列し、当直員が人員報告をする傍ら、グラハムは西の空を見やる。
随分と暗く発達した雲が広がっている。
暗さはどうも太陽の位置の問題ではなさそうだ。
今日は3日に一度の食パンの配給日で、朝食時には飯盒を片手に、配食場の最後に配置されたパンを一斤受領して、それから各々が喫食する。
だが、その間にも徐々に気温は下がり、雲域の東進とともに、雨の気配はより濃厚なものとなって行く。
今朝はベーコンと茹でたジャガイモにキャベツスープ。
昨日の夕飯にキャベツを足した簡素なスープだが、ジャガイモにせよ、今は体が暖まるだけありがたい。
パンは防水紙で包んである。
焼成作業自体は前もって行われているもので、当然のごと焼き立てではない。
包装を解き、切り分けてからふと考え、グラハムは一枚を更に半分に切った。
そしてベーコンを挟み、即席のサンドイッチにした。
大きさが合わず、少し味気なくなってしまったが。
演習場での特別日課が始まって数時間後。
ぽつりぽつりと雨が降り出した。
季節は春先。
下がり続けている気温に、追い討ちをかけるように雨が降り始め、体温が奪われる。
次第に雨脚が強まっていく。
粗末な防水処理の施された雨衣を羽織り、雨漏りするテントの中でグラハムたちは、時折稲光が走る中をただひたすらじっと待機命令に従い、時間を潰す。
地面に染み込んだ雨がじわりじわりとテントの中を侵食する。
三角形の一枚布からなるテントは、個人携行している分だけでも設営が可能だが、二人分を合わせて設営することを基本として開発されている。
ベッドバディのゲオルギーと仲良くテントをつなぎ合わせたのは最早遠い過去の話。
今やお互いに会話すらなく、雨に打たれて使い物にならなくなった煙草の巻紙に舌打ちしながら募るストレスと戦っている。
「暇だな」
「・・・・・・ああ」
この会話も、どちらが話しかけるでもないもので、既に幾度となく繰り返した。
お互いに会話を求めるためのものではなく、ただ暇なので口をついて出るだけであり、実際、会話らしい会話はかれこれ数時間の間に一度もしていない。
この状況では訓練検閲はおろか、戦闘訓練どころではない。
仮に雨が上がったとしても、泥だらけの中の戦闘訓練は被服が悲惨なことになる。
元々ラシャは汚れに、特に泥汚れに強い生地だが、今着ている被服とは別に支給された営内衣からも、訓練よる擦過を伴う汚ればかりはどうしようもないことが容易に読み取れた。
営内衣と呼ばれる使い古しの被服は、営内において通常日課を過ごす上で着用することとなっている被服だ。
元は正規の被服だが、礼装としての使用が不適と判断され、不要決が出たところを員数外として、雑用その他の用に供すことになったもので、本来は存在していないことになっている。
通常は不要決が出たところで廃棄になるのだが、それでは勿体無いとのことで、チリン陸軍では現場判断的に、特に新兵教育では訓練の性質上、積極的に支給することが暗黙の了解として存在している。
営内衣はきまって総じて状態が悪く、かつての訓練の激しさを物語るかのように、あちこちに落としきれなかった汚れが目立ち、中にはカビを熱湯で処理した跡が残っているものすらある。
ふと雑囊を漁る。
幸いなことに、パンと非常食の防水紙は相当に出来が良いらしく、じっとりと浸水した雑嚢の中で自らのスペースを確保し続けている。
しかしこれはこれで湿度に弱そうだとグラハムは思う。
その時、轟音とともに近くの木に落雷した。
瞬間、腰を抜かして喋れなくなる。
5秒経ち、10秒経ったところで、感覚が息を吹き返した。
自分の呼吸が荒くなっているのが自覚できた。
「なあ、グラハム・・・・・・俺、生きてる?」
ゲオルギーが呼びかけた。
「頬抓ってやろうか?」
「・・・・・・生きてるらしいな、お前も俺も」
なんとはなしに、手を握って開いてを繰り返してみる。
どうやら2人とも感電死はしていないらしい。
不意に2人の耳が誰かの声を拾った。
声というよりは叫びだった。
「いやだああああああ!ここにいたら皆死ぬしか無いんだああああああっ!!」
見ると誰かがテントを飛び出して駆けずり回っている。
後から同じテントから遅れてもう1人、更に別のテントから2人が出てきた。
叫んだ奴は確か、二つ隣の営内班の奴だ。
雨で声は遠くまでは聞こえないが、すぐ近くのテントだからか、はっきりと聞こえた。
「アレ行った方が良いんかね?」
さあ、と返しながらも周囲を観察するとわらわらと人が出て来ている。
こういうときの恐怖心の伝搬は厄介だ。
「一応班長を呼んだ方がいいかな」
よっと腰を上げ、グラハムはテントを出る。
今、班長たちは指揮所で訓練の打ち合わせを行っており、この場には不在である。
指揮所は少し離れた位置にある。
「なら暇だし俺も行くかな」
のっそりと這い出て、ゲオルギーが雨衣を羽織り直す。
軽く駆け足で行こうという、グラハムの提案にゲオルギーは頷き、2人で連れだって指揮所まで前進した。
そして、指揮所の大型テントの前まで前進した折、2人は泥だらけの上等兵と出くわした。
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