23 吶喊

「前方距離1000!目視距離、ドラゴンが依然として向かってくる!」

足元ほどの草が生い茂る平原。

今グラハム達は小銃を構えつつ、地にぴたりと体を伏せている。

「砲兵支援、弾着・・・・・・今!」

ドラゴンがばたりと倒れると同時に、双眼鏡を覗くコープランドの声が響いた。


「着剣!」

忙しなく号令が響き、がちゃがちゃと、周りに伏せた新兵達が銃剣を引き抜き、着け剣の状態にする。

「もたつくな!各個に前進!とどめを刺せ!」

号令が早いか、嚠喨たるビューグルの音が響くと同時に新兵たちが叫び、吶喊する。


入営から3ヶ月が経ったある日。

ドラゴンが襲撃してきたという想定の訓練である。

内容としては、襲撃の想定が付与される所に始まる。

歩兵は、そのドラゴンの予想進路上に散兵線を展開して待機。歩兵隊の更に後方に展開した砲兵隊が正面前方からやって来るドラゴンを火力支援により打ちのめし、弱ったところを歩兵が「片付ける」と言った流れだ。


当初グラハムは、座学で説明を受けた際に戦列歩兵戦術ではなく、散兵戦術を採用していることに軽く驚きを覚えたものの、その直後にかつて戦列歩兵戦術で魔物に挑んで一人残らずまとめて黒焦げにされた部隊があったという経緯を追加で説明されて一気にげんなりと気分が落ち込んだりもした。

その場は一先ず、戦列歩兵戦術時代に転生しなくて助かった、と自分に言い聞かせて気を取り直すことにしたのだった。


訓練用のドラゴンは無論ただの張りぼてで、丁度グラハムが元いた世界での、日本の獅子舞と中国の旧正月の龍の中間のような造りになっている。

そのため、訓練前には「間違ってもドラゴンを動かしてる人間を刺すなよ」と注意があった。

人間は焦ると間違えるらしく、年に一件はどこかの連隊で未遂を含めて事故が起こる、という聞きたくもない念押しを受ける破目になったのはつい数日前。

そして今、グラハム達は「想定ドラゴン」に向かって、小銃片手に1000メートル全力疾走を余儀なくされている。

因みに、グラハム達歩兵隊の後方には監督のための将校がいるだけで、砲兵の部隊展開も火力支援も想定の産物となっている。

だが、気を抜いていると後ろの将校から個人的な「砲撃」を飛ばされる。

そんな状況で、ぜえはあと息急き切って、自分の身の丈程はあろうかという槍のような銃剣付き小銃を引っ提げて走るのだから脳に酸素も行かなくなるし、そりゃあ間違えもするよな、とグラハムは考える。


今回は砲兵が中距離と近距離の境目あたりでなぎ倒したという想定だが、他のバリエーションとして、砲兵支援限界点の散兵線の前方500メートルまでのどこかの地点で撃墜した場合や、支援限界点を突破され、止む無く小銃で各個に応戦する場合などの想定が用意されている。

500メートルが支援限界点とされている理由は、それ以上接近されると、砲撃精度の問題で、散兵線を誤射する確率が上がるためである。

小銃での応戦に移行する場合、途中で想定戦死、重症などの個人に対しての新規の状況付与があるが、往往にして戦線が崩壊して砲兵諸共部隊壊滅となり、想定が終了する。


要は砲兵の腕次第で命運が決まるのだが、この状況で撃墜に失敗するというのは、実戦においては砲兵への恨みつらみが募るだけ募ったところをまとめて黒焦げにされるか、あるいは恐慌をきたした砲兵が歩兵陣地共々砲撃で吹っ飛ばしすかして、どっちにせよ歩兵隊は仲良くあの世行きになるのではとグラハムは考えた。

しかし訓練効果について口出しできる身分でもないので、沈黙を貫くことにしている。


そうこうしている内に各々がドラゴンの撃墜地点に到達する。

既に過去の先人達が訓練で何年にも渡り使い続けてきたせいか、一突きしたら崩壊しそうなくらい銃剣で刺した細長い跡が無数に空いているが、グラハム達は容赦なく銃剣付き小銃を突き立てる。

むしろ、「機材ぶっ壊して二度とこんな訓練やらないよう仕向けてやる」という心の声が聞こえるくらいの勢いである。

実際のところ、機材がぶっ壊れたらそれはそれで機材なしのまま、見えもしないドラゴン相手に突撃する破目になりそうなのだが、最早そこまで計算できる頭を誰一人として持ち合わせていない。

何しろ今日だけでこの突撃は3回目。

今や最初の訓練からの延べ回数は誰も数えていない。


何故ここまで熱心にドラゴン殺しの訓練を積んでいるのかというと、その実、別段実戦をまともに想定しているわけではない。

「オラてめえらァ!そんなだらけた突撃じゃドラゴンどころか、検閲官ですら欠伸が出るぞ!」

コープランドが叫ぶ。

つまりは、訓練検閲ありきである。


実際問題、ドラゴンが単体で襲撃のために現れる確率なんて皆無に等しいとグラハムはふんでいる。

大方、徒党を組んでやってくるか、あるいはその他大小の魔物を引き連れて縦横無尽に暴れ回るだろうことは想像に難くない。

だが、今はあくまで初等教育。

基本を学んだのち、それぞれの兵科に進み、そこから専門教育を受けることになる、という前提のもとに徴兵期間は成り立っているので、言うなればこれは戦場の大まかな流れを把握するための訓練である。


しかし、歩兵を相手に戦闘しない歩兵隊というのも妙なものである。

一度、オースティンが教務でコープランドに質問したことがある。

「班長、対人戦闘という想定はないのですか?」

これに対しコープランドは「ない」と言い切った。

対魔物の基本戦術はそっくりそのまま対歩兵戦闘に転用できるからだが、実際のところとして、今や対歩兵戦闘、ひいては国家間戦争を陸軍では誰も想定していないというのが理由となっている。

さらに、チリン王国含め近隣諸国は対魔王軍の戦闘を経験こそすれ、ここ十年以上国家間戦争を経験していない。

それほどまでに魔王軍の侵攻は深刻な問題となっている。


想定ドラゴンに銃剣を突き刺す新兵たちを尻目に、騎乗した訓練指揮官が太陽を一見し、なにごとか考え口を開いた。

「状況止め、配食始め」

「状況止め、配食始め!」

即座に喇叭手に命令が伝達され、嚠喨たる喇叭の音が響く。


展開した散兵線に喇叭の音が届いた。

「よォし、休憩!昼食!」

コープランドの号令に、各々が攻撃を止めると、猛スピードで補給所にひた走る。

補給所に到着するなり、背嚢を下ろし飯盒を外す。

そして再び背嚢を担ぐと、飯盒を片手にぞろぞろと配食所におもむろに列をなす。

今回は演習ではなく、あくまで訓練のため食事は配食形式となっている。

温食の配給は士気に直接影響する。


訓練でまともなものを配食しておけば、実戦でも温食が提供される可能性を末端レベルに期待させられる。

チリン陸軍の装備だと、実際には限りなく不可能に近いのだが、もしも提供出来れば士気がこの上なく上昇する。

そこを見越して、訓練では温食を出すのがチリン陸軍の慣わしとなっている。


なお、前線で配食を担当するのは輜重科の輸送兵である。

調理は現地で実施するのだが、ここに時間がかかり過ぎると兵士の不満が漏れ聞こえだす。

概ね時間通りに提供できるように時間調整は行うが、たまに早いタイミングで指揮官が配食始めの号令を出させる時があり、こうなると完成したものから逐次配食して間を持たせる対応を取らざるを得なくなる。

あるいは遅いタイミングで号令が出されることもあるが、それはそれで今度は冷め始めた変にぬるい食事を配食することになる。

どっちに転んでも、不満は届くが、少なくとも褒められることはまず無い。

実に難儀な兵科である。


飯盒の上蓋を外し、スープを注ぐ。

そして上蓋を戻し、主菜をそこに乗せる。

今日は牛肉と大豆の煮込みらしい。

思えば昨日の食事は1日かけてイカが一匹出た。

朝はイカ剣先のアスパラ和え、昼はイカリング、夜はイカゲソの煮込み。

そしてどれもこれも総じて不味く、味覚と空腹のすり合わせをしながら士気がだだ下がりしたものである。


チリン王国は内陸国の筈だが、どういった流通ルートが通っているのか、魚介類もたまに食事として出されることがある。

しかし、よほど遠方から取り寄せているのか、基本的に大抵新鮮な内には届かず、兵営の食事で出る頃には完全に味が落ち切っている。ひどい時には食中毒の恐れもある。

そのため、缶詰か、あるいは干物としてあらかじめ加工されたものが一般では広く流通している。

だが、軍の偉い人たちは「珍しい魚介類を出せば士気も上がるに違いないだろう。味の良し悪しは輜重科員の腕次第だが」というスタンスであり、根本的な部分の改善に至っていない。

そもそも半分腐りかけたようなものを持ってこられたところで、調理をする人間の腕に全てを託すのは大いに誤っているのだが。


おもむろに腰掛け、肩から掛けた雑嚢から大麦パンを取り出す。

パンと非常食だけは個人携行で、出発前に一人辺り、二日で一斤、非常食は缶詰肉か棒状の干し肉のどちらかが支給される。

すっ、とメスキットを取り出す。

既に四食分消費されている。

半分に切るか、それとも少し多めに切るか。

思えば、今日の歩哨は夜の早い内に一直目が回ってくる予定だ。

逡巡の末、昼を少なめに、夜を多めにすべく少し不均一に切り分ける。

中には、八枚にスライスして間食がてら余剰の二枚を齧る器用な者もいるが、その分だけ味は薄くなる。

そこまでけちけちしなくてもいいだろう、とグラハムは専ら六枚切り推奨派だ。


飯盒を展開し、昼食を摂る。

先にスープを一口啜る。

今日はかなりコンソメが効いている。

おそらく分量を間違えているのだろうが、味の濃さがかえって美味さを引き立てている。

何しろ、昨日の今日なのでより一層美味い。

具材はベーコンとキャベツだけのお手軽なものだった。


ふと昨日のイカ一匹を思い起こす。

不思議と、輜重科のマニュアルには食肉に関する鮮度については非常に詳細に記述がある一方、魚介類の取り扱いに関しては「火を通すを良しとするが、希少な食材であるため注意すべし。」との記載があるぐらいで、鮮度の保持方法についてはまるで触れられていない。

おそらく取り扱いを始めてからまだ日が浅いのだろうが、食中毒のリスクを天秤にかけてまで提供すべき食材なのだろうか、と常々グラハムは思う。

敢えて口出しはしていないが。


食事が終わったところで、ふと辺りを見回す。

各々が草地に寝っ転がったり、煙草をふかしたりして寛いでいる。

見知った顔を探す。

ゲオルギーは寝っ転がってる。

綺麗に静止したまま昼寝に打ち興じている。

オースティンはここに来てまで軍隊内務令を読んでいる。

熱心なのは結構だが、演習場に来てまで読むものか?

ベクターは・・・・・・いた。

非常食の干し肉を片手にこっちに歩いて来ている。


「よう」

「この野郎生きていたのか」

ご挨拶だな、とベクターが笑う。

「てっきりドラゴンに焼き殺されたのかと」

「それは言いっこなしだろ」

午前中のこと。

突撃中にドラゴンが顔を起こし、口を開いた。

そして、その顔の正面、延長線上にいたベクターは突然戦死宣告を受けた。

曰く、「急にドラゴンが顔だけ起こして火球を放った」らしく、意気揚々と吶喊していたベクターは跡形もなくこの世から消滅した。


「アレは驚いたな」

「俺は驚くよりも、そもそも急すぎて理解が出来んかった」

手に持った干し肉をベクターが齧る。

支給された非常食は個人の裁量を以って好きなタイミングで食って良しとなっているが、既にあらかた食ってしまっているのを見るに、ベクターという男には「サバイバルをする」という概念は無いらしい。

一方で、演習である以上、あるいは計算的な行動であるとも受け取れた。


「にしても面倒だなこの演習」

「検閲ありきの分かりきった芝居みたいなもんさ」

だから俺たちゃ劇団員として必要な役回りを振る舞うのさと煙草を巻きながらグラハムは嘯く。

「ところで」

ベクターが顔を向ける。

「例のアレは上手く行きそうか?」

「あー・・・・・・」

密造酒のことだ。

ふうと吐き出し、立ち上る紫煙をぼんやりと眺めて、3秒経ってからグラハムは答えた。

「多分」

実際には多分どころか九分九厘は成功の見込みである。

そうかとベクターは言い、殆ど残ってない干し肉を見つめ、しばし考え込み、まとめてほいと口に放り込んだ。


これで非常食は尽きた筈だが、雑嚢を漁るとおもむろに包装を解いていない新品の干し肉をベクターは取り出した。

無言で驚くグラハムを尻目にベクターは黙々とナイフを取り出し、干し肉を半分に切り分ける。

「いつぐらいに出来上がりそうだ?」

「ああ、多分演習明けから数日ってところだろうな」

「多分、多分、ね」

苦笑しながらベクターが干し肉を半分差し出す。

「酒代だ」

一体どうやって非常食を掻っ払って来たのかは分からないが、相変わらず要領の良い奴だと半ば呆れながらグラハムは受け取る。


「ならもう一踏ん張り役者になるか」

「この場合は祝杯か?」

「さあねえ」

すっと立ち上がり、草を払ってまたどこかへベクターは歩き去る。

気が付けば昼食休みがもう終わる頃だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る