12 醸して、造る

「円盤小麦パン」爆誕から数週間後。

小麦パンが大人気になり、さらに「円盤小麦パン」の売れ行きも好調になってきた。

この頃はチーズも定期調達品目に正式に追加された。

「円盤小麦パン」はグラハムの予想を遥かに上回る勢いで人気となり、ときに焼成が追いつかない時もあった。

先日は、ついに職場配達のパンを大麦パンから「特大円盤小麦パン」に切り替えるよう先方から要求があったばかりだ。

焼き立てを納品したいグラハムとしては、手間の問題で時間がかかるからと、断ろうとしたところ先方は、時間がかかってもいいから焼き立てで頼むと言い出した。

面白いことに、変更要求を出した3つの配達先が揃いも揃って同じことを言い出した。

「優秀な会社ってのは何をしたらパフォーマンスが上がるのか把握してるってことなのかね」

誰ともなくグラハムは呟く。


一方で、好調な売り上げの結果として、大麦パンの売れ行きが低調になり、前使ってた大麦が余りだしてしまった。

大麦の処理に頭を抱えていたグラハムはしかし、ここでふと思い付く。

「大麦があるならビールが作れるんじゃないか?」

ビールならパン用の発酵菌で醸造できるかもしれない。

おまけに酒税法どころか、純粋令に相当しそうな法律も、知っている限りチリン王国には存在しない。

ちょうどビールが恋しくなっていたところだ。


ここ、スコピエの町にも酒場は確かに有る。

が、この世界の酒場は刑事課の飲み会以上に危険だった。

一度ジェイムズと一緒に足を踏み入れて、ここが「中世ヨーロッパに限りなく近い世界」と転生直前に役人風の男が説明した理由を思い知った。


カウンターの男が酒を飲ませようと隣の男に酒を勧めるも、その隣の男は既にぐったりとしている。

その瞬間酒を勧めた男が「俺の酒が飲めないのか」といきなり怒り出し、ナイフを相手の手のひら諸共カウンターに突き立てる。

かと思えば、別の一角では、よく日焼けした労働者が、なまっちょろい白いやつと見くびって喧嘩を売った相手が実は陽の当たらない環境で働く炭鉱夫で、あっという間にぼこぼこにされて顔を倍以上に腫らしている。

そしてまた別の一角ではおぼつかない足元の二人組が叩き割った瓶を片手に、真っ赤な憤怒の形相で命がけのチャンバラをおっ始めている。


流石に死人が出れば領主の館から遣いの騎士が来るが、死人に口なし。おまけに倫理観がまさに中世そのもので、酒を拒否したから殺したと聞けば納得して、騎士達もついでに一杯引っ掛けて、死体とともに引き上げていってしまう。

そうした命の危険を感じてから、グラハムは一度も酒場に足を運んでいない。

ジェイムズに誘われても、なんだかんだ理由を付けて断っている。

酒は飲みたいが、命は惜しい。

今や爪先が酒場の方を指すのですら拒絶するレベルになっている。


幾ら何でも、ビールくらいならそんな大惨事は起きないだろうと、半ばトラウマと化した酒場の思い出に一区切りつけると、グラハムは自家製ビール醸造の準備作業に取り掛かる。

以前作った自家製ビールの醸造容器を思い浮かべながら作る。

確かこんな感じだった筈だ。

運良く、小さいオーク樽が格安で調達出来たので、その樽を醸造タンク代わりに使うことにした。

「容量は10リットルくらいか」

樽の上部に発酵ガスのベントを設けながら呟く。

ベント孔は空気の逆流防止に内部に水を張った二重構造にしておく。

いたって単純だが、下地は整った。


設置場所は調理場にしようかと考えたが、パンを焼く最中が暑すぎるので却下し、逡巡の末にグラハムの自室とした。

エドワードのところから調達したモルトとホップと水、そしてイースト。

ホップに関しては、何故かエドが持っており、丁重に譲り受けると、家庭菜園の新メニューに加えることとした。

これで後は温度管理が適切なら2週間もあれば一丁上がりになる。

発酵中のガスにあてられて寝不足になりかけたが、グラハムの犠牲の結果、ピルスナースタイルの自家製ビールが爆誕した。


樽の蓋を開け、柄杓で掬うと、一口飲んでみる。

割といける。

缶ビールのそれと違い、随分深みがある。

ロメオとロランにも飲ませてやろうと思い、ふと考える。

未成年者飲酒禁止法に相当する法律は、はたしてこのチリン王国に存在するのだろうか。

しかし考えるより早く、いつの間にかグラスを手にしたロメオとロランがグラハムの傍まで来ており、まだかまだかと、そわそわとして待ちわびている。

まあいいか。

「そういや、毒味は弟子の役目だったな」

もっともらしい、いつもの理由を付けて二人に振る舞う。


物は試しに、瓶に詰めてちょっとだけ売ることにしてみた。

元の世界ではかつて、キリスト教徒の修道士たちがビールを「液体のパン」と呼んで飲んでいたらしいことをグラハムは思い出す。

「こりゃあいいや。「液体のパン」だ」


早速店頭に並べる。

記念すべき顧客第一号は開店前に来たジェイムズだった。

「なんだよ、液体のパンって」

訝しがるジェイムズにグラハムは飲めば分かるさと勧める。

本当に飲んで大丈夫なんだろうなと懐疑的だったジェイムズも一口飲むと、目を見開く。

そのまま二口、三口と続け、あっという間に飲み干した。

「ついにビールまで売り出しやがったなこの野郎」

嬉しそうにハリスを睨む。

「ビールじゃねえぞ、「液体のパン」だ」

訂正するハリスの真意を理解したジェイムズは追加でもう一本購入し、店を後にして出勤する。


ジェイムズの宣伝効果があったのか、それとも町の住民が新しいもの好きなのかは分からなかったが、「液体のパン」はすぐに売り切れた。

それから常連の注文に「液体のパン」が追加されるまでに、そう時間はかからなかった。

「こりゃもっとでけえ樽がいるかもな」

と一人考える。

日常業務に「液体のパン」の仕込みが正規に加わった瞬間だった。


醸造樽に水を入れながらグラハムは呟く。

「日本でやったらもろに酒税法違反だな」

「親方、ニホンってなんですか?」

ロランが質問する。

「いや、こっちの話だ」

いかんいかんと気を引き締める。

変な言葉を持ち込むと後々歴史が変なことになるかもしれない、とグラハムは一人反省する。

既に小麦パンや、ピザ、ビールに相当する何かを持ち込んでいる時点で大概なのだが、そこには目を瞑ることにした。

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