7 ハリス師弟

確かに明日には届けてやるとエドワードは言ったが、それが夜明けすぐだとは聞いていない。

どんどんと扉を叩く音で目を覚ましたグラハムは寝ぼけ眼で、半覚醒の脳みそを引き連れて扉を開ける。

仕込みにゃ時間がかかるだろうから大急ぎで配達に来たぞという、馬車を引き連れたエドワードの言葉に、半ば閉ざしかけた意識を傾ける。

「ありがとうございます。助かります」

口をついて出た、只の営業トークだが、気を良くしたエドワードは、また入り用になったら声をかけてくれなと言い、元来た道を引き返して行った。


思ったより相当早い段階で小麦が手に入った。

ひとまず小麦を小麦粉に変える作業からだ。

グラハムの記憶によると、どうやらこの世界における小麦粉の精製作業は、石臼で挽いた後、ふるいにかけるだけの単純なものらしい。

随分と粉の純度が下がるなと思うが、専門的な道具は作れないし、構造も知らない。

何はともあれ、まずは重たい石臼でごりごりと挽くしかない。


充分な量にはなっただろうか。

大麦パンを作るのと変わらないくらいの量の小麦粉を挽く。

件のレシピを引くと、小麦粉は大麦に比べて少しばかり多めに必要らしい。

「なら、出来上がりは少な目になるわけか」

確認のため口に出す。

値が張る上に出来上がりは少ない。

失敗できないな。

しかし、概ね大麦パンとレシピは変わらない。

取り敢えず、ざっくりと試製品を焼き上げることにした。


生地を捏ねている最中に人の気配を感じ、目を向けると、ロランがいた。

「あれ、親方、今日は早いんですね?」

ああ、新商品だぞと、グラハムは手を動かしながら言う。

「新商品、ですか?」

「ああ、まずは作ってみるから、手伝いはいらんぞ。気にするな」

エプロンに手をかけ始めていたロランに気を遣っての一言だ。

「いいんですか?」

「ああ、俺が許可する」

それでもロランは、エプロンだけ掛けて見学を始める。

休みの日だから休んでればいいのに、と思うが、どうもロランは休むくらいならその時間を使って技能を上げたいタイプらしい。

因みにロメオはこのとき、毛布に包まって爆睡していた。


焼成作業に入る。

グラハム・ハリスとしては何度目かは分からないが、倉間春彦としては通算10回目くらいにしかならないだろうか。

何度やっても緊張する。

特に、グラハムとしてもやったことがない小麦だ。

生地を窯に入れ、20分の特大砂時計をひっくり返す。


「・・・・・・」

気まずい沈黙が流れる。

「そういえば、俺どこまで教えたっけ?」

ロランに話を振る。

グラハムとしてどこまであれこれと教えたか分からないし、何より師弟制の職人仕事というものが倉間は嫌いだった。


盗犯係の刑事になった当初もそうだったが、基本的に刑事の仕事は目で盗めと教わった。

昨今は職人気質というよりは、ある程度マニュアル化されており、それに則って刑事の仕事も教える方向に警察組織全体としてシフトしている。

しかし田ヶ原署はどちらかと言えば未だに職人気質なベテラン刑事が多い警察署だった。

技術の出し惜しみをされているようで、どうにも苦手だった。

新参に仕事を奪われるのが嫌なのだろうか。

犯罪を憎む気持ちは一緒のはずなのに。

そんな気持ちが強かった。


倉間春彦は、腕前が有るなら誰が上に立とうが気にしないタイプの人間だ。

たとえそれが後輩だろうが、何だろうが、やるべき人がやるべき仕事をするべきだと考えている。

もしも自分の仕事を、立場を、自分より優れた後輩が奪おうというなら喜んで譲る。

だから、自分の一年後に盗犯係に入ってきた川崎に教えられることは全部教えた。

結局追い抜かれることはなかったが。


「えー、と、概ね全部教わってます」

ロランから意外な答えが返ってくる。

どうやらグラハムも倉間タイプらしい。

「しかしどうにもどこが「良いタイミング」なのかが分からなくて・・・・・・」

なるほど。

残すところは感覚の世界に来ているわけだ。

こればっかりはどの仕事でもそうなのだが、勘を育てる以上の方法はない。

目を育てる。

耳を育てる。

手を育てる。

足を育てる。

五感で感じ取るより他はない。


「そうか」

ならば後は実践だなとグラハムは続ける。

「え、それって・・・・・・」

ここでグラハムはどうもロランが何か勘違いしていることを悟る。

「おい!俺は引退するなんて一言も言ってないからな!」

「あ、安心しました・・・・・・」

人差し指でびっと指しながらグラハムは、何だかこいつは川崎に似ているな、と感じる。

なんというか、雰囲気が似ている。


なんだかんだこの世界も面白そうだ。

ふと気が付くと砂時計の砂が全て下に流れ切ろうとしていた。

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