43 麻酔
「軽傷者は後だ!」
「こいつはもう駄目だ!次!」
「よーし、耐えろよ」
「軽傷者は後!」
衛生課員の怒号が飛ぶ中、決死の救護活動が行われていた。戦場と化した演習場から少し離れた地点に臨時に作られた野戦病院もまた、新たな戦場と化していた。
グラハムは周囲を見渡す。
左腕が吹き飛ばされ、縛った当直腕章を赤に染め、傷口から血を流し、顔色が青白くなりつつある当直下士官。
全く個人の判別ができないほど全身に火傷を負いながら、ひゅうひゅうとした呼吸で辛うじて息がある者。
不幸にも両下腿部を吹き飛ばされながら生きながらえてしまった下士官。
穴という穴から血を流しながら虚ろな目でどこかを見つめる、全身を骨折した兵卒。
階級を問わず、あちこちで呻き声を上げながら壁にもたれかかる兵士たち。
・・・・・・皆そう長くは持つまい。
「全員、本当に軽傷か?」
周囲の様子に嫌な予感を覚えたグラハムは全員に尋ねる。
各々、多分軽傷だと答えるが、無理をしているようにも感じられる。
「ベクター、お前も本当に軽傷か?」
「主観的には」
「一応客観的にもそう見えるが、どこが痛む?」
「右足だな」
軍靴を脱ぎ、軍袴の裾をまくる。奇跡的に痣がある程度で見た目はその他異常は無さそうだった。
「骨は?」
「多分折れてない」
「奇跡的な軽傷だな」
「俺は運がいいからな」
はっはっ、とベクターが笑う。この場においては不釣り合いなくらいに明るい笑いだった。
「しばらく治療までかかりそうだが、包帯でも貰ってくるか?」
「いい、俺はここで手が空くのを待つ・・・・・・」
「じゃあ、俺も」
エリオットが近くに腰を下ろし、残りもそれに従った。
どのみち、第一陣は落ち着いたのだ。これ以上の負傷者は今のところ出ないだろう。
不意に、激しい悲鳴がグラハムの耳朶を打った。何だろうかと思って声のした方を覗き込むと、痛みに耐えかねて喚き散らしている、右腕がずだずだになった兵卒が衛生兵に押さえつけられているところであった。
軍医が透明な瓶を手に取る。
「麻酔薬だ、飲め!」
ゆうに200ml位は入るであろう瓶の中身の、透明な液体を勢いよく兵卒の口に流し込む。麻酔薬の成分が何かは分からないが、あんな量を一気に摂取させるとオーバードーズになるんじゃないだろうか。そうグラハムが心配したところで、かすかに漂う臭いで瓶の中身がなんであるか思い至る。兵卒が途端に顔を真っ赤にしてげえげえと嘔吐する。中身はアルコール、それも消毒用の、おおよそ摂取すれば人体に悪影響の出るタイプのアルコールだ。一気に大量に摂取させた影響で急性アルコール中毒を兵卒は起こしかけている。
軍医は空いた瓶を無造作にその辺に置くと、木工用と大差ない鋸を取り出す。
「悪いが、切断しかない」
そして軍医は、ろくに消毒していないであろう鋸でおもむろに兵卒の腕を切断し始めた。その光景にグラハムは、ぞっと背筋に寒いものが走るのを感じた。
冗談じゃない。
この戦場で仮にかすり傷でも負おうものなら、不衛生極まりない手当てのせいで得体の知れない感染症か敗血症に罹患しかねない。これは流石になんとかしなければならない。しかし、ここで消毒用アルコールを鋸や他の衛生機材に使えと言ったところで受け入れられないだろうことは想像に難くない。きっと、「それなら麻酔薬として使う」と軍医は突っぱねるだろう。そもそも黴菌という概念がまだ発見されていないような有様だろうと、グラハムは推測する。
グラハムのこの勘は正しく、チリン王国では顕微鏡すらまだ開発されていない。そもそもチリン王国自体が周辺諸国に比べ医療後進国なのだが、発展してこなかった背景には、戦争をロクに経験してきていないことと、教会の権限が強過ぎ、あらゆる生物の解剖が許可されていないことの二点が特に根強かった。
医学といえば基本は内科。あとは外傷に対する応急手当程度の処置か、切断くらいしかおおよそ医療行為と呼べるものはない。
獣医にしても、動物の解剖ができる近隣諸国への人材流出が激しかった。
グラハムが手当て待ちの列に目を向けると、切断という死を待つばかりなのか、重症だからか、焦点の合わない目をした、あるいは生きているのか死んでいるのか分からないくらいに青い顔をした兵士が、列をなしているかなしていないか、それすら分からないように瓦礫にもたれかかっていた。
なにかいい方法はないだろうか。
グラハムは考える。
「あっ?」
考えが独り言になって口から出た。
そういえば、連隊長は何を吸っていた?
兵営で皆何を巻いていた?
気付くと同時に、グラハムは走り出していた。
営庭には10分程度で到着した。元いた日本の北海道あたりでは道路脇に時たま大麻草が自生している、なんて警察学校の教務で習ったっけ、とグラハムはおおよそ今と不釣り合いな、平和な記憶を思い起こす。自生している大麻草は純粋栽培に比べて当然ながら純度が劣る。しかし、無いよりは遥かにマシだろう。少なくとも麻酔薬としてアルコールを使わなくなれば、消毒薬としてアルコールを使うことに軍医は抵抗が無くなるはずだ。もはやわずかな可能性ではあったが、そこに賭けるより他は無かった。一心不乱に目に付いた大麻草を収穫する。幸いこの辺の地方にはまだごまんと大麻草は自生している。ある程度乱獲しても生態系に影響は出ないだろう。それに、幸か不幸か栽培方法は頭に入っているし、中毒性が強く出ない程度の精製方法も多少は把握している。かつて薬物関連ばっかり引きが強かった頃の名残だ。
「まさかこんなところで役に立つとはなあ・・・・・・」
軍帽をカゴ代わりに、詰められる限り満杯になるまで大麻草を詰め、今度は兵舎に向かう。
営内班では千切った大麻草を無秩序に、それこそ縄を通せる至る所で乾燥させている。その乾燥させた大麻草と千切った大麻草をグラハムは順次入れ替えていった。
一通り交換が終わると、乾燥させた大麻草で一杯になった軍帽を抱えて、次は烹炊所にひた走る。
「補給長!」
駆け込みながらグラハムが叫ぶ。
しかし、その声はかき消される。
「戦闘配食急げ!」
「保存食残量は何日分だ!」
「定員で30日!」
「可能な限り水を汲め!」
ここも外と変わらず、怒号のような号令が飛び交い、それと合わせて人が慌ただしく右へ左へ走りまわる。
烹炊所も烹炊所で戦場と化していた。
「ん?なんだお前?」
「おい泥付けて入んな!」
至って真っ当な指摘を受けてグラハムは下がる。
「何の用だ?」
「は、石臼を借りれれば、と」
応対に出た補給軍曹が軍帽の大麻草とグラハムを見比べ、怪訝な表情を浮かべる。
「石臼?」
「極力急ぎで、と考えてます」
「誰の指示だ?」
一瞬、言葉に詰まった。
「軍医からの指示です」
咄嗟に嘘を吐いた。
「薬挽きか。分かった。待ってろ」
苦し紛れの嘘が通じ、胸を撫で下ろす。状況が状況だけに、確認している暇もないのだろう。
「いつも通りに返納してくれればいい」
蕎麦粉挽きや麦を挽くのに使う石臼よりは小振りな、しかし、漢方薬を挽くようなものではない、独特の器具を注意とともに渡される。
いつも通り、がどういう手順を踏むのかは不明だが、そんなものは後からどうとでもなる。
礼を述べ、グラハムはその場を辞した。
さっと走り、適当な場に出ると、グラハムは借りてきた石臼で葉をごりごりと挽き始めた。
本来は乾燥させた大麻草を麻酔薬として抽出するにはさらなる手順が必要なのだが、今回はそんな暇はない。可能な限り細かくして、粗悪ながらも大麻樹脂を合成する。
ロメオ。
ロラン。
俺は今。
大麦を挽いてパンを捏ねたその手で。
小麦を挽いてピザを捏ねたその手で。
ビールを醸したその手で。
麻酔薬を・・・・・・いや。
大麻草を挽いている。
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