1 至急報

共通系のスピーカーが至急報を伝える。

何年も前、それこそ1つ前の元号の終わり頃から導入され始めたデジタル変調のノイズのないクリアなはずの音声が、必要以上に高いボリュームのせいで耳障りな音割れを起こしている。


≪至急至急、田ヶ原です、どうぞ≫

呼び出しに応じる、やや緊迫した通信手の、しかしゆっくりとした聞き取りやすい声が響く。

≪田ヶ原管内、宮ノ台3丁目7番2号。人が倒れている、との通報。負傷の程度は現在不明。詳細分かりませんが、57番疑い。95番手配済み。最寄りPBからの派遣願います。整理番号2564番、26分、担当清水≫


57番。薬物疑いか。

「粉」をもじって57番を薬物がらみにしたという安直な発想から生まれた通信コードだ。

お陰で学校時代は覚えやすくて助かった。

どこかの警察では74号を「ナシ」、つまり該当なしのもじりで使っているところもあると聞く。

安直こそ最善だ。

因みに95番は救護、つまり救急車のことだ。


続いて所轄系のスピーカーからほぼほぼ同じ文言がオペレーターを替えて流れる。

薬物なら盗犯係の出番ではない。

オフィスに走った緊張が一気にほぐれるのが分かった。

とは言っても今は3人しかいないのだが。


「厄介ですね、薬物がらみ」

隣のデスクの川崎に俺は、全くだと答えようとして、このとき不意に俺の鼓膜が不穏な声を拾った。

「ええ、何だって?当直員は?・・・・・・は?いない?どこいったのさ?」

人手が足りないときには別のところにお鉢が回ってくるのが鉄板だ。

そしてこういうときに回ってきませんようにと考えた人間のところに程、その役目はやって来るジンクスがある。

「お、ちょうどいいや倉間、さっきのやつ当たってくれや」

そう、ちょうどこんな風に。

「なんで俺なんですか」

「薬物強いのお前しかいねえもん今」

電話を切りながら課長が至極真っ当な理由を突きつける。

確かに薬物がらみは交番員時代からやけに引きが強い。

あまりの引きの強さに一時期は薬を流してる側じゃないかなんて不名誉な噂を立てられもしたが、それとこれとは別だ。

今はこうして盗犯係の刑事なんて職に就いてる。


≪田ヶ原5から田ヶ原≫

どうやら現着した交番員からの第一報らしいものがスピーカーから流れる。

≪田ヶ原から田ヶ原5≫

≪2564番続報、57号、95拒否。負傷の程度は軽い頭の傷。簡易止血のみ実施。救急隊によると感染症疑いもないことから、検査のためPSまでRとします≫

≪田ヶ原了解≫


R。これもRETURNのもじりで、そのまんま帰投することを意味する。

これがPBなら交番に、PSなら警察署になる。

つまり俺の今いる署に連行されて来るって意味だ。


仮に病院まで運ばれていたらタクシーを拾ってわざわざ出向かわなければならない。

手間が減ったと考えるべきか、それとも担当がいないからそもそもやらなくてもいい仕事なんだからそれ位の手間は省いてもらわなくてはと考えるべきか・・・・・・。


自販機で買った缶コーヒーを飲みつつ、到着を待つ。

10分もかからない内に玄関が騒がしくなった。

どうやら来たらしい。

既に空になっていたコーヒー缶を弄ぶのをやめ、自販機横のゴミ箱に捨てる。


両脇を抱えられ、連行されてきた被疑者は思ったより大人しそうにしている。

薬の効果が切れかけているのか、それともダウナー系でもきめたのか。

あるいはただの精神障害者なのか。

伏し目がちに背中を丸めているから正確な身長は分からないが175センチ無いくらいだろうか。


「所持品は特にそれらしいものはありません。しかし言動が妙なので注意してください」

交番員から報告を受けながら、どやどやと署の奥から出て来た制服警官たちと共に、被疑者の身柄を受け取る。

「うん、ありがとう。お疲れ様。後はこっちでやるよ」

と返し、奴の腕を取る。

そして歩き出した途端、いきなり奴がものすごい力で俺を突き飛ばした。

「何をする!」


掴みかかろうとして冷静さを欠いたことと、周りの怒声にかき消されていたことが原因だったのだろう。足元から俺の耳にカキン、と金属音が届いた時にはもう遅かった。

奴の爪先が俺の腹を突く。

かなり正確な蹴りで一瞬呼吸が止まる。

この野郎、と叫ぼうとして声が出なかった。

そして自分の意識と無関係に床に倒れ込む。

川崎が何か叫んでる。

何故だ。何故立てない?何故力が入らない?

ふと腹に手を当てると真っ赤に染まる。

ああ、そうか。

刺されたのか。

周りの声が遠い。

何を騒いでるんだ。

うるさいな。

息が苦しい。

寒い。

頼む、静かにしててくれ。

ちょっと寝させてくれ。

しんどいし寒いんだ。

ああ、まどろんできた。寝られるかな・・・・・・


意識が消える直前に見えた奴の顔は心なしか笑っているように見えた。

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