18 前期教育
眠ったのか眠っていないのか分からないくらいの半覚醒の意識に耳障りなラッパが届く。
それと同時にコープランドと週番肩章を巻いた上等兵が営内班にがなり込んで来る。
「貴様らァ!いつまで寝てやがる起きろ!」
手近な柱を叩きながらコープランドが喚く。
ほとんどの営内班員は軽い恐慌状態に陥るが、グラハムはさっと意識を覚醒させ、平然と行動の優先順位を設定していく。
まずは寝具を畳む。それから靴下を履き、服を着て靴に足を滑り込ませて、軍帽を頭に載せ、営庭に出る。それだけじゃないか。
周りは半分服を着たところで寝具の整頓をすべきか全て着終わってから行動に移すか、悩んで手が止まる者もいれば、先に上着を羽織り、ボタンを留めながらサスペンダー式のズボンを前に、またも上着を着直す必要に迫られてどたばたと一人で格闘している者もいる。
ここではやはり経験が生きる。
だが、適応能力が高いと悟られれば、目を付けられる可能性は大いにある。
それは避けたい。
そしてグラハムは、器用にもわざと寝具の整頓に手間取り、軍帽を忘れて営庭に向かい、取りに戻ることで時間をかけ、ほぼほぼ他の班員と同じくらいのタイミングで整列する。
「貴様らは本当に国に奉公する気があるのか!」
他の営内班長と交じった、コープランドの怒声が営庭中に響き渡る。
よくよく耳をすませば、周りのどの営内班も似たような有様になっている。
既に2つ隣の営内班は、総員が駆け足の隊形に並び替え始めている。
「根性を叩き直してやる!右向けェ、右ィ!・・・・・・おいそこのクソボケ、お前右も左も分からんのかこのアホ!」
号令を掛けたり怒鳴ったりと忙しない奴だと冷めた目をしながら、グラハムは声の掛かった先を見る。
間髪入れずに悲鳴に似たはいという答えが返ってくる。
オースティンだ。
何だか不安の残る奴だが、こんなものは劇団員にでもなった気分で臨めばいい。
気軽にやりゃあいいさ。
歩調を取りながら駆け足しつつ、後でそう声を掛けてやるかと意識を他所にやりつつ、グラハムは考える。
走るときは特に意識を集中させない方が疲れずに済む。
「歩調ーっ、数えっ!・・・・・・おいコラてめえら耳ねえんか?数えっつってんだろこのノミ野郎どもが!」
営内班員がコープランドの罵声を浴びながら必死に声を出す。
とはいえ、ほとんど声が出ていない。
みんな走ることに必死になっている。
グラハム自身は、体力は落ちているが、まだ初日だ。
単純に走るだけで、まだまだ遥かに余裕がある。
とはいえ、もう5周目だ。
さっきから兵舎の周りを延々走っているが、一体何周するのだろう。
いい加減にしないとオースティンが瀕死だ。
それからさらに3周したところで、コープランドが「分隊止まれ」の号令を掛け、駆け足が終わる。
「分隊止まれからの姿勢は「気をつけ」だぞお前ら!なにをダラけてやがんだ!まだ気合が足んねえんか?」
これ以上はごめんだと、全員がびっと背筋を伸ばす。
尤も、こうした言葉から実際に第2ラウンドが開始される事例は稀なのだが。
「やりゃあ出来んじゃねえかよ、初めからやれやこのクソボケ!・・・・・・もういい、次は朝飯だな。今日の配食はどこの班が担当だ?」
コープランドの言葉に班員がお互いに顔を見合わせる。
「・・・・・・あの、配食ってなんですか?」
恐る恐る、グラハムの向かいのベッドの下段の住人、マーカスが尋ねる。
「烹炊所から飯を上げてくんだよ!昨日やってもらったろ!」
確かにそういえば昨日、軍服の上から白い前掛けをした10人くらいの集団が晩飯を持ってきた記憶がある。
そこから各人がよそって喫食した覚えがあるが、休日はああした営内食で、平日はてっきり食堂に行くものだとばかりグラハムは思い込んでいた。
これはマズイ。
新たな燃料投下になってしまっている。
「さっさと行け!確認しろ!」
コープランドに追い立てられるように全員が営内に走って戻る。
「おいどっちだ?烹炊所って?!」
「あっちだ!」
「ホントか?昨日こっちから来なかったっけ?」
「というか今何時だ?」
えい、まどろっこしい。
「半分に別れるぞ!」
グラハムは叫ぶ。
ほとんどは市民か、農民階級の出身で、ロクな教育を受けていない人間も中にはいるはずだ。
となると統制が取れる人間が指揮を取るよりほかはない。
偉そうな指揮官面はしたく無いんだが、とグラハムは考えるが、飯が無い方が状況としては遥かにマズイ。
「半分は向こう!残りはこっちに行くぞ!」
しかしこうなると不思議なもので、反発するやつが出て来るのだ。
「おい、なんだお前偉そうに」
そう、丁度こんな風に。
えーと、こいつの名前は・・・・・・忘れた。まあいい。
「飯が無くなって他の営内班共々全員仲良く共倒れか、怒られても飯食って体力回復、どっちがいい?」
「俺はそんな話はしていない。お前は一体俺のなんなんだ?命令かよ?」
なぜ目の前の状況が読めない馬鹿というものは世の中に一定数いるのかが分からない。
ここでグラハムは見切りをつける。
「分かった、お前はここで何もするな。俺は行く」
さっと回れ右して逃走する。
後ろから何か聞こえたがグラハムは無視することにした。
こうした行動を取ると、不思議とついて来る人間は何人か必ずいる。
手伝いはそいつらにさせよう。
「よかったのか?」
「何がだ?」
烹炊所を探しながらグラハムは返す。
「あんなこと言って」
「言い争ってもしょうがないさ」
それに、とグラハムは続ける。
「あの状況で営内に残っているのを見つかってみろ。飯そっちのけでコープランド先生による特別授業がスタートしちまうぜ」
その言葉に他の営内班員が違いないなと軽く笑う。
通路の角のところで誰かと鉢合わせ、ぶつかりそうになる。
「「すいません!!」」
声が重なり、恐る恐る顔を上げると、同じ初年度兵だ。
どこの班かは分からないが、これは幸いだ。
「烹炊所か?」
「お前たちも探してるのか?」
利害が一致した。
「今来たそっちの道には無いんだな?」
「ああ、無かった」
「よし、じゃああっちだ!」
人出は多い方がいい。
半ば強引に仲間に引き入れる。
「あったぞ!」
総勢15名ほどの集団になった一行が、「配食やめ」の寸前で滑り込むように烹炊所に突入する。
「遅くなりました!」
柔和な顔つきの補給軍曹が驚いて食器を取り落としそうになりながら口を開く。
「いやあ、来ないかと思ったよ」
「すいません道に迷って」
「なに、毎年最初はこんなだからな。気にすんな。今日の配食担当は・・・・・・お前ら21営内班か?」
近くに貼り付けてあった紙を見ながら補給軍曹が尋ねる。
どうやら本当に21営内班の担当だったらしい。
他所の営内班員も一緒になって安堵の表情を浮かべている。
「はい、そうです!」
「前掛けはそこだ。どれでもいいから付けて、順繰り持ってけ」
ありがとうございますと補給軍曹に声を掛け、配食缶を持ってどたどたと来た道を引き返す。
営内に戻ると、むすっとした表情のコープランドが「遅え!」と罵声を飛ばす。
例のあいつは姿が見えない。
おそらくグラハムの逆方向に捜索に行ったのだろう。
だが、今はそれどころじゃあない。
隣の班と、さらにその隣の班、兵舎中に配食しなければならない。
朝食の時間ももうゆとりが無くなって来ている。
別の営内班に行くと青ざめた顔の初年度兵を背景に各班長が、まるでそんな規則でもあるかのように、「遅え!」と罵声を飛ばす。
不思議なことに声のトーンや大きさまで判で押したように同じである。
変な笑いがこみ上げて来そうなのを抑え込み、グラハムはしかし、配食しながらぼんやりと考える。
農民階級出身ならば、体力は基本的にあるはずなのだが、おそらく長距離を長時間駆けずり回る経験は無いのだろう。
まあ、こんなのは慣れでいくらでもどうにかなる。
体力云々以前に、今は腹を満たす方が優先だ。
腹が減ってはなんとやら。
「昔の人は偉かったんだなあ・・・・・・」
ぼそりと呟いたグラハムの声に2つ隣の営内班長チャーリーが反応する。
「なんか言ったか?」
「いえ、なんでもありません」
こうして、グラハムの兵役期間が騒々しく幕を開けたのだった。
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