50 運命

黒煙と火炎が燻り、空を埋め尽くさんとする下で、第51歩兵連隊の襟章を付けた兵卒が、ひどく炭化した黒い材木のような棒を拾い上げ無造作に大きな麻袋に詰める。

「これも元が人間だってんだから気が滅入るよなあ、まったく」

「命あるだけの物種ってか。俺もその内こうなるのかね」

辛うじて焦げた布片が残った、悪臭を放つ丸太のようなものに視線を注ぐ別の兵卒が答える。

「そっちはどうだー?」

「これ以上はもうない!」

遠い分、大声で答える。

陣地の端から端まで。探せるだけ探し、手分けした回収班が合流する。

「点呼で足りない人数は?」

「忘れた。だが、これだけだとせいぜい4、5人分にしかならんぞ」

2人がかりで、よっ、と麻袋を持ち上げる。

あまりに軽い麻袋を地面に擦らないようにして、せめて重そうに持ち運ぶ。誰が指示した訳でもないが、この数日で自然と生まれた一種の礼儀のようなものだった。


重い足取りもそのままに、彼らは宿営地に帰隊する。

「西側陣地の回収終わりました」

報告の傍で、確認作業が行われる。

手が滑り、どさどさと袋の中身を雑毛布の上にぶちまけた兵卒に、作業指揮をとる下士官が眉をひそめる。

「待て!もっと丁寧に扱え!・・・・・・おい、これだけか?」

「現状見つかった分はこれだけでした」

雑毛布の上に撒かれた物体を見た57連隊の襟章を付けた2人の砲兵が呟く。

「ああ、駄目だ、誰が誰だか分かりゃしねえ」

「あんだけやられりゃあな・・・・・・」

確認作業をしたところで行方不明者が正式に戦死者にカウントされるだけで、その実、確認作業自体がこの短い間に若干形骸化しつつあった。


従軍司祭が、行方不明人員の数に対し極端に小さな黒い山の前に立ち、略式の儀式を始める。従軍司祭は儀式の最後に香ばしい香りのする聖水を掛け、呪文詠唱を行う。詠唱が終わると同時に聖水が発火し、積み上がった亡骸を焚き上げる。略式だが、充分に魂の救済が可能であるとして今やこの戦場では土葬よりもスタンダードな葬儀方法となっている。

「汝らに救済のあらんことを・・・・・・」

日頃は司祭を、宗教上の理由にかこつけてぶどう酒を昼間からかっくらっているたいそうな身分であるという認識でしかない兵士たちだが、いざこうして葬儀を目の当たりにすると、藁にもすがる思いで儀式を恭しく見守る。


「私の魂ははたして救済されるのでしょうか・・・・・・?」

儀式の後、見守っていた51連隊の兵士の一人が不安げに従軍司祭に尋ねる。司祭は穏やかに答える。

「あなたには今を全うする義務があります。義務を果たす限りは、あなたには神のご加護があります。魂の救済はもっと後の話です」

要するに生き残れば神のご加護が、生き残れなければ、己に非があるという意味になる、責任を負わない言葉だった。しかし農村出身の純朴な彼にとっては司祭の発言は意外なほど効果があったらしい。まだ不安げだが心は晴れたようで、ありがとうございますとだけ言ってその兵士は仮設宿舎に戻って行った。


その日の夜半に宿舎が龍の体当たりに遭い、小隊総員もろとも救われない魂と化すことを彼はまだ知らない。



一方その頃、遠く離れたスコピエの町役場の一角。戦地から送られてきた、名前の前にバツ印の付いた人員名簿の写しと、登録市民票を照合しながら、口ひげを蓄えた男が口を開く。

「天涯孤独の男。両親は既に他界。妻子共になし」

書記が発言に合わせさらさらとペンを走らせる。

「こんな境遇の人間なら前線に出して仮に戦死しても懐は痛まないですね」と書記が漏らす。その発言にぴくりと口髭の男が顔をしかめた。

「おい口を慎め。この国にある以上は全てが富国の糧なのだぞ。多くの人間というものはそれだけ多くのものを作るんだ。安易な考えなんぞするな。君も役人なら国益を思え」

「・・・・・・失礼しました」

「・・・・・・まあいい。次、グラハム・ハリス。23歳。市民。本職パン屋。これも天涯孤独の男。両親は既に他界。妻子共になし。居住地は・・・・・・」


周りでも同じような光景が展開されていた。

役人が名前と出自を読み上げ、書記が必要に応じて書類にインクを落とす。

この役人たちはじめ、チリン王国はあと1年と持たず魔王の支配下に置かれ、その多大な犠牲の一つとなって滅びゆく運命にあることは誰一人として知る由もなかった。彼らは職務を全うすべく、書類仕事を今日も続け、その日が来るまで責務を果たそうとしていた。その功績を知る者も伝える者もその日に全て喪われた。

だがこの日も、そしてその時の直前も、いつもと変わらない穏やかな陽射しが長閑に村を照らし続けていた。



それより後、人類は魔物たちが人の痛みを感じた際の負の感情から魔力を得ていることを発見。

グラハムの「発見」した麻酔薬が、前線兵士たちと魔王軍が渡り合う鍵となっていくこととなる。

ハリス法と呼ばれる方法による安定的な大量の製造法が確立され、チリン王国軍の全軍への支給が決定。

この原産地であるラコニアの決死の奪還作戦に始まり、数年後、何とか多大な犠牲を払い、チリン王国軍を始めとした諸国の連合軍は、魔王軍の討伐に成功した。


戦後、この薬品による中毒患者と、過剰投与による廃人と化した兵士の大量発生と向き合う、新たな戦いの始まりと、薬品の権益を巡る教会と農家、そして、倫理観と医学、教会の権威との争いという、果てのない折り合いを探す、「戦後処理」という課題が生まれるのはまだ先の話だった。

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