38 昔話
4インチ砲はよく考えられて設計されており、砲撃に必要な装填棒や洗い矢などは架台に取り付けられるようになっている。さらに言うと、装薬に必要な火薬の置き場所と次弾用の砲弾置き場も用意されており、つまるところ一発だけなら架台のみで一式揃えられるように設計されているのだ。
ただ一つ、重量に目を瞑れば。
「だからよ、引けっての!」
「逆に押せって!引けるわけねえだろこんだけ重けりゃよぉ!」
陣地構築自体はそれなりに順調に進んでいた。
後は架台と砲座を、精々が腰の高さくらいの陣地に載せて設置するだけなのだが、これが難航していた。何しろやたらと重い。
おまけに暑く、薄手の夏衣袴を着ていてもとめどなく汗が溢れ、とにかく手が滑る。
「あー、ベクター、グラハム、お前らは下に回り込め。ああアルバート、お前はいい。上に残れ」
4人がかりで押し込むと、ぐぐっと架台の動輪が回り地面を蹴上がる。
動輪が立てるごりごりとした回転音が平坦な陣地に乗ったところで軽いものに変わる。
後はこのまま架台を砲座に載せるだけだ。
「よーし、上がれ」
ごん、と音を立て、砲台の設営が完了したところでブロア軍曹の指示に従い、全員が陣地に上がる。
見晴らしの良い、平坦な台地の上に立つと何処へでも砲弾を飛ばし、敵歩兵隊を蹴散らせそうな錯覚を覚える。
しかしながら、今回の演習の目的は対ドラゴン迎撃用の高射訓練であり、低高度及び地表面攻撃は目的外。今回のグラハムたちの砲座も勿論高角度の仰角設定とされている。
周辺の砲台も高射仕様のために動輪の間の土を掘り、砲身を高角度に向けている。
「周囲は確認したな」
すると今度は下に降りるよう指示を出す。
「次は砲弾と火薬の設置だが、ところでアルバート、規定上は砲弾と火薬の位置はどこか?」
「は、砲台後方の左側に砲弾、右側に火薬です」
「なぜかは、分かるな?」
周りを見回すブロア軍曹に、はい、と新兵たちが額に汗を浮かべながら声を揃える。
右利きが多いため、万が一引火爆発の恐れがあっても台車ごと右方向に蹴り出す、もしくは右手で取っ手を掴み転がすことができるのが理由である。
やたらと座学で強調してきた事項で、最も注意を要する運用制限の一つなのだろうとグラハムは睨んでいる。
「だが、規定が必ずしも実戦を想定しているかといえばそうとは限らない。例えば・・・・・・」
そこまで話したところで、あっと声を上げてブロア軍曹が砲弾の入った木箱に咄嗟に屈み込んだ。
その時、近くを2連隊の竜騎兵科の襟章を付けた、眼帯をした少佐が通りかかった。
なにか打ち合わせらしいものをしながら陣地を歩き、時折砲兵隊を見やる。
不自然に屈み込んでいる軍曹に、少佐はかすかに怪訝な顔をしたが、特になにも言わず副官と共に通り過ぎる。
「・・・・・・アルバート」
「なんですか?」
「少佐殿は?」
「向こうへ歩き去りました」
少佐が去ったのを自分でも改めて確認すると、危ねえ危ねえと呟きつつブロア軍曹が立ち上がる。
「あいつ・・・・・・そうか・・・・・・」
「どうかしたんですか?」
「・・・・・・今回の演習、ワイバーン連隊とだろ」
今回の演習のキモになる部分で、今更確認の必要もなさそうなことだが、汗を拭いながら軍曹は言う。
「気をつけろよ。俺も昔軍曹になりたての頃うっかり演習でワイバーン撃墜しちまってな」
少し、軍曹の目が遠くを見るものになる。
「げ、撃墜・・・・・・?」
周りの新兵がどよめくが、この時グラハムは連隊史で読んだ「騒動」について思い当たっていた。まさかと思うグラハムに気付く様子もなく、ブロア軍曹は更に続ける。
「この話はしたことがなかったな。・・・・・・で、だ。撃墜したらもう大目玉。その時俺はなんか知らんがやたらと気分が高揚してワイバーン乗りの当事者に・・・・・・ああ、生きてたんだよ、竜騎兵は」
ワイバーンは死んじまったけどなとバツが悪そうに言う。
「で、その中尉を挑発しちまった訳さ。自分の非は棚に上げて。旧式の砲に撃墜されて悔しくねえの?って」
当事者の割に悪びれた様子もなくよくそんなことが言えたもんさ、と反省のそぶりを見せるが、原因がなんとなく分かっているグラハムは口を開かずただただ聞き入ることにした。
「その時は腕前見せてもらおうじゃねえかと思ってな。炸薬の量を2倍にして砲口初速を底上げしたんだ」
そこまで言って、慌てた様子でブロア軍曹が付け加える。
「あ、これはやるなよ?規定を超えた運用は後々面倒なことになるんだ。ついでに言うと、2倍はぎりぎりだが、それ以上にしたら砲身にクラックが入るからな」
「あの、軍曹」
ベクターが手を挙げる。
「どうした?」
「それをやると、どの位速くなるんですか?」
少し答えにくそうにしていたが、軍曹は口を開く。
「まあ、これをやるとな。今の最新式の砲より砲弾の速度は速くなる。ただ、詳しい計算は陸軍省もやってねえし、そもそも教本に載ってない非公式な方法だから大砲自体へどんなダメージが及ぶか分からん。最悪砲身破裂を起こすかもしれんからな」
そこまで言うと咳払いを挟み、話を戻すぞ、とブロア軍曹は話を一度仕切り直す。
「あー、で、挑発したら相手の竜騎兵の中尉が瀕死の重傷を負っていたのにもかかわらずとんでもねえ力で殴ってきてな。更にそのままサーベルで叩っ斬られるところだった」
ブロア軍曹の告白にどう反応していいか分からなくなっている新兵たちに構わず、本人は思い出し思い出し言葉を紡いでいく。
「危うく俺も昇進早々降格処分受ける寸前だったし・・・・・・相手も手討ちにしようとした角で左遷されるし・・・・・・アレはいいことなかったが、まあ、何にせよ10年ぶりだ。また生きてるうちにワイバーンと演習出来る日が来るとは思ってなかったぜ」
ここで話は終わりらしいが、改めて考えてみるとこの演習の存在自体が奇跡そのものである。
一方でグラハムは裏運用法について考えを巡らせていた。高初速化するならば事実上の速射砲としての運用が可能そうだが、クラックが入るということは鋳造技術の問題だろう。頭の片隅に入れようとし、しかし、この知識が徴兵中に使われることはまあないだろうと、グラハムは頭から早くもこの知識を放り出そうか考える。
だが、知識は足枷になり得ず、という言葉もある。一先ず話の種程度には覚えておくことにした。
ふと、ブロア軍曹が周囲を見渡す。
つられて見渡すと、話をしている内に展開が完了したようだった。
「よし、じゃあ一丁、実包を装填してみようか」
遠くにいる喇叭手の存在に気付くと、ブロア軍曹が弾箱を開封する。よく見るといつの間にか傍には演習弾とは別に実包がかなり用意されている。
「あれ、ドンガメ弾撃つんですか?」
その時、通りがかりの別の営内班の上等兵がブロア軍曹に質問した。
ドンガメ弾という響きに一同は怪訝な顔を浮かべる。
「ん?聞いてないのか?演習で撃つのが一発目、なんてえのじゃとうにも締まりが無いだろ?」
ははあ、と上等兵が納得する。
一同の疑問を他所に、ブロア軍曹は号令をかける。
「配置につけっ」
それぞれ射撃指揮員と観測手、射手、旋回手、装填員にそれぞれ指定されていた6名が配置に着く。
嚠喨たる喇叭が響いた。
この喇叭の正確な号令は「砲撃退避」。
演習でしか使われることがまずないとされているが、目的は弾着点から人を引き払わせるためのものだ。
「演習場内でこの喇叭を聞いた作業員は直ちに何らかの手段を以って自己の位置を明らかにすること」という規則まである。
もし万が一砲弾なんぞに当たろうものならこの世にいた痕跡が丸ごと消えてしまうことは想像に難くない。少なくともうっかりで済むような過失でもない。この喇叭は楽譜の時点で2回分用意されており、正規の号令手順に従い、2回吹くと計4回、喇叭での号令をかけることになる。
つまり、規則通りにやると相当に念入りな号令なのである。尤も、砲撃というものの持つ特性を考慮すれば至極当然の防護策でもあるのだが。
「装填用ー意っ」
砲装填員が4インチ砲弾を担ぎ、薬装員が炸薬袋を持ち上げる。
「弾込めーっ!」
炸薬を詰めて砲弾を込める。座学でのことを鵜呑みにすると、正式採用のこの先込め式の4インチ砲は構造が単純だが、威力はそれなりにあるらしい。そして、ブロア軍曹が語るところによると、新式の砲よりも射撃の単純性や整備の手間を含めた運用性が良いので置き換えが進んだ部隊でもこの旧式砲を惜しむ古参兵が多いらしい。
訓練の甲斐あってか、それとも砲身清掃を要しない初弾だからか、装填まではほんの5秒足らず。次の号令を待つ。
演習場内に人影がないことを認めると、喇叭手に指示が伝達され、喇叭手は正確に号令符を吹奏する。
「撃ち方始め」だ。
この号令が下令されると各指揮官の判断で砲撃を開始してよいこととなっている。
「目標前方1000メートル、用ー意・・・・・・射っ!」
号令と同時に砲手のベクターが点火する。炸薬の派手な爆発音とともに、砲身から4インチ砲弾が吐き出された。
周囲の砲座からもどかどかと続いて4インチ砲弾が飛び出していく。
しかし。
「・・・・・・遅くねえか?」
耳が慣れた頃、誰ともなく感想を漏らす。目を凝らすと黒色火薬の黒い煙幕が立ち込める中を、真っ黒い弾が綺麗に飛んで行くのが見えた。
目で追える程度の速度なのだ。
ここに至りはじめて意味がわかった。
「ドンガメ弾、ね・・・・・・」
誰ともない呟きにふとブロア軍曹が口を開いた。
「お前らが今何を考えてるのか手に取るように分かる」
半ば言い聞かせるような口調で話す。
「間違っても炸薬を増やしてみようとか考えるなよ」
直後、ちっと舌打ちが聞こえた。
ぼそりと、ばれたかとベクターが呟くのもグラハムの耳に入った。
砲弾の群れはそのまま順調に飛んでいき、草が薄っすらと萌ゆる、言うなれば演習を以前やってから整備していなさそうな緑の大地に綺麗に吸い込まれ、土色の塊を巻き上げた。
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