26 円匙を持て

アルミニウムはこの世界では時に魔法金属と呼ばれている。


装備品の一つに、アルマイトカップがある以上、ボーキサイトはこの世界でも採掘されているようだが、電気は見たところまだ実用化されていない。

精錬はどうやっているのだろうかと考えていたところ、どうやら魔術士が電気魔法により精錬している、と少し前にベクターが教えてくれた。

そしてそれが「魔法金属」と呼ばれる所以である、とも。


アルミ製品は、時として教会が、時として市政の魔術士が小遣い銭を稼ぐ目的で精錬しては売りに出している。

スコピエの町にはそんな魔術士はいなかったから、グラハムがその情報を知るまで随分と時間がかかったが。

話を聞く限りでは、魔術士は水魔法で水を出し、火炎魔法で湯を沸かすやらなんやら、魔術を使いこなし、かなり便利そうに生活しているイメージがあるが、思い起こせば現代では蛇口一つで水を注ぎ、ボタン一つで風呂が湧き、スイッチ一つで冷凍食品が温食に早変わりする。

そう考えてみると、現代人も魔術士もそう変わらない存在のように思える。

だが、今は何よりも回復魔法の技能が欲しい。


どこかにぶつけたのか、少し変形したアルマイトカップに注がれた、雨水だか水筒の水だか分からなくなった水を飲みながらグラハムは出来もしないことを考え、すぐにその考えを雨水とともに地面に流す。

件の上等兵が語るところによると、驚いたことに彼は土砂崩れの現場から20マイル離れた演習場まで装具を担いで半日でやって来たようだった。

件の上等兵は今、指揮官馬車で気を失ったようにして眠っている。

今回土砂崩れに巻き込まれた人員は、アレツランを擁する地方の、方面司令官以下の幕僚。

幸いにも死人と行方不明者は出ていない。

ただ、現場はアレツランの51連隊から離れているだけでなく、51連隊への物資輸送路の一つでもある。

その道は51連隊のみならずアレツランの街への輸送路も兼ねている。

アレツランの自給率は高い方ではなく、このまま待てば、自然に兵糧攻めの体をなし、兵隊と市民が早かれ遅かれ緩やかな心中を迎える形になる。


最寄りの部隊は最悪なことに演習中の、受閲部隊たる訓練中の新兵。

土砂撤去程度なら新兵でも指揮官さえいればなんとか出来るという、指揮官のその判断は残念ながら間違っていない。

その結果は雨で体力を奪われながらの強行軍という形になったが。


伝令はアレツランの連隊にも飛ばしてある。

しかしながら、51連隊の駐屯地は演習場より遥か後方にある。

その上、51連隊の能力は教育隊を配下に持つとはいえ、所詮は歩兵連隊。

工兵隊のような整地能力は持ち合わせていない。

つまるところ本隊を呼んだところで精々が、言うなれば日雇いの土木作業員の派遣程度にしかならないのだ。


豪雨に押しつぶされたような、重い沈黙が一行を支配する。

無駄口を叩くだけの余力は最早ない。

ただ黙々と現場に向かい前進する。


あれからすぐに出動命令が出た。

撤収は早かった。

あっという間にテントを解き、テントを解いている間に別の人間が支柱を分解し、さっさと巻いて背嚢に縛着する。

その間わずか5分。

移動開始は新兵たちが指示から15分後、そして後から遅れる形で輜重科の馬車が付いてきた。

それからは歩き詰めである。

今もうどの位歩いたのか、距離も時間も感覚がなくなり始めていた。


「見えた」

誰かの呟くような声に顔を上げる。

いつの間にか顔が下を向いていたことに気付く。

土砂崩れの現場は狭隘な山道だった。

一方で道の片側は切り立った崖になっている。

迂闊に崖側の土砂撤去に動くと、きっと足元ごと土が崩れて谷底まで紐なしバンジージャンプをする羽目になる。


「聞こえますか!アレツランの新教です!」

土砂の向こうに、大雨に掻き消されそうになりながらエコー少尉が叫ぶ。

この雨では届いているかは分からない。

もしかしたら引き返したのではないか。

色々な思考が交錯する。


そうこうしている内に、下士官から整列指示がかかる。

そしてエコー少尉が戻ってきた。

命令下達だ。

「長らくの行軍、ご苦労。だが、諸君らの本分はこれより発揮されるところにある」

エコー少尉の命令下達は毎度のこと命令下達だか演説だかよく分からないという、悪癖がある。

「目前には脅威、しかし諸君らの手には脅威に立ち向かえるだけの材料がある」

言わんとすることは分かるが、今は一刻も早く行動を起こすべきである。

「詳細な指示は既に各班長に通達済みである。班長の下で存分に動いてくれたまえ、以上っ」

言うなれば、指揮官としての格好を付けるためだけの命令下達だ。

指揮官の弁舌次第によってはただの時間の無駄になる一方、士気をこの上なく高めることが出来る、チリン陸軍の悪習である。


それからは各営内班長の指示に基づいて背嚢を下ろし、円匙を外した。

いよいよもって行動開始である。21、23営内班は土砂撤去、22、24営内班はその土砂を袋に詰め、土嚢作成及び運搬。

休憩交代は営内班を半分に分け、1時間おき。

3直目で土砂撤去と土嚢運搬を交代する形である。

作戦自体は非常に具体性があるのがエコー少尉の良いところだった。

エコー少尉は単細胞だが、突発的な不具合には不思議と思考を切り替えて対応できる人種だ。

尤も、その際に選択肢を間違えなければ、の話だが。


崖には極力近付くなという指示が班長から通達された。

状況開始。

前方目標、土色の塊。

突撃に、前へ。


ぐっと円匙の柄に力を込めて21、23営内班が土砂に襲いかかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る