5 申し継ぎ書
1日の営業時間が終わり、明日の朝の分の仕込みが終わったところで、ロメオとロランを解放する。
といっても2人とも住み込みで働いている以上、家に帰すわけではないが。
自室に戻ったグラハムは部屋をよく観察する。
今朝は、あの謎の男に言われるがままふらふらうろついて波乱の幕開けを迎えたために、どこに何があるか、自室ですら把握出来ていない有様だ。
内装としては至ってシンプルにベッドと書き物机、本棚があるのみだ。
あの男を追うことも必要だが、あの男はパンを焼くことがグラハムの重要な役割だと言った。
もしやパンを改良することがヒントになるんじゃなかろうか。
ひとまずはパンにまつわるものを捜そう。
捜索する内に、本棚に申し次ぎ書と書かれた本が一冊あることにグラハムは気付く。
中にはレシピや簡単な日記が残っていた。
ぱらぱらとレシピを読んでグラハムは、ある時から原料が大麦になり、そこからずっと小麦を使っていないらしいことに気付く。
パンといえば小麦だという認識が倉間の中にあった。
違和感の答えはこれだったかと納得したグラハムは、続いて日記欄に目を通す。どうやら、ハリスのパン屋は何代にも渡って続いているらしく、その過程で飢饉だのなんだので、当初は大麦との混ぜ物をして対処していた小麦パンが最終的に商品から失われたようだ。
結果として、安上がりな分、大麦パンが労働者たちに受けて現在に至る、という寸法らしい。
パン屋としてやっている以上、グラハムにも弟子の時代があったはずで、この辺の出来事くらいは把握していても本来ならおかしくない。
なぜグラハムの記憶は飛び飛びに欠落しているのだろうと倉間は疑問に思う。
だが、今はそれどころではない、と思考を切り替える。
申し次ぎ書の連絡先の項目を読んでいると、ある農家の欄に「小麦取り扱い有り」の記載を見つけた。
目星は付いた。
併せて現在の帳簿を見る。
この店はどうもぎりぎりのところでやり繰りをしている。
客足がある分、現状の維持は可能だが、何か失敗すれば窮地に追い込まれそうだ。
経営状態が良いとは言い切れない。
小麦は美味いが少し値が張る。
一か八か。
逡巡の末、グラハムは小麦を仕入れることにした。
幸いレシピはある。
困ったら大麦粉のように捏ねて、大麦パンのように焼けばいい。
しかしここまで麦のことについて考える自分がいるとは。
倉間の頃は麦と言えば精々がビールばかりだったなとベッドに入りながら、グラハムは苦笑する。
そう言えば1年くらい前、自家製ビールなんてのを実家で作ったっけ、と遠い過去のようにも思える記憶を思い起こす。
今となっては叶わない、缶ビールの味が恋しい。
最後に飲んだのは何日前だったかと考えながら、深いまどろみの中にグラハムは落ちていった。
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