ハロー、ハロー
休日の昼下がり。足取りの重い鷹山さんを連れて実家の近くを歩いていた。手を繋いで鷹山さんより少し前を行く。
去年帰ったときと景色は変わらず、それでも少しだけ息がしやすい気がした。
「まずい、緊張が……」
「私にも緊張が移りそう」
「それはもっとまずい……」
時折止まり、歩みの繰り返し。鷹山さんが厳選した手土産を持っている。母が家に来たとき、鷹山さんのお土産を素敵と言っていたところを見ると、そのセンスと母は合うものがあるのだろう。
私は振り向き、鷹山さんの方を見上げると、天を仰いでいた。空は青く済んでいる。
「……寒いな」
「……私も同じこと思ってた」
「よし、行こう」
先に鷹山さんが動いて、私が少し後ろを歩く。ふと鷹山さんがこちらを見た。
「ごめん、大丈夫?」
「何がごめん?」
「手引っ張ったから、嫌じゃ無かったかなと思って」
「全然。そんなの、吐いた後の私にキスした鷹山さんに比べたら」
「千佳さんは、俺が辛いときに降り立った天使だから」
天使って、アラサーの女に見合う言葉ではないなと思う。
「じゃあ、コールセンターで働かなきゃ」
「折角羽が生えているのに」
「暑いときに扇ぎます」
「空を飛ぶとかじゃないのか、人間は天使に夢見過ぎだな」
朗らかに笑う鷹山さんの手を引っ張る。
一つの家の前。
「ここです」
柵を開けて中に入る。鷹山さんがインターホンを押す前に、私は実家の鍵を差し込んだ。驚く気配より先に、扉を開ける。
「お母さん、ただいま」
声をかけるも、足音すら聞こえない。アポなしで来たのは、事前に言っても絶対に会ってくれないと思ったから。そこは鷹山さんと意見は一致していた。
玄関で靴を脱いでいると、そういえば近所に出るときに履くサンダルが無いことに気付く。
「お母さん居ないかも」
「え? それは」
「でもたぶん、そんな遠くには……」
「何してるの?」
扉を開けたまま中に入らずにいた鷹山さんより向こうで声がした。母の声だ。
鷹山さんを見上げて、下から上へと見る。それから私の姿を捉えた。
「千佳ちゃん、どうしたの? 来るなんて言ってたっけ?」
「あの、えっと、少しお母さんと話したいことがあって……あ、こちら鷹山さん」
「はじ……いや、こんにちは。すみません、急に押しかけるような形で。これ、心ばかりで」
「あら、ありがとう。これから山川さんの家で計画立てる予定なのよ、貰っていくわ。あがって待ってて」
「え、ちょ、お母さん」
鷹山さんの持っていた手土産を受け取り、玄関にあった紙袋も持った母がまた玄関の外へ行ってしまう。
山川さんに蜜柑も貰ったって言ってたっけ。計画ってなんだろう……分からないけれど、そんなに仲良くなっていたなんて知らなかった。
「鷹山さん、あがってください」
「あ、はい、お邪魔します」
残された私たちは家に入った。以前に来たときとやはり変わっていない。手を洗って、キッチンへ行く。
鷹山さんはコートを脱いでジャケットのボタンを外してから、また留めた。その一部始終を見ていたので、少し笑ってしまった。
「もっと楽にして大丈夫ですよ」
「いやちょっと……緊張で手汗がやばい」
キッチンへきて、鷹山さんも手を洗う。大丈夫かとその顔を覗く。
「思ったんだけど、千佳ちゃんって呼ばれてるんだ」
「う……昔から変わらないんです。あんまり気にしないでください」
「山川さんとお母さん、仲良いの?」
「んー、そうでもないと思ってたんだけど、会わない間にお母さんも変わったのかも」
出したままの薬缶に水を入れて火をかける。そういえば、自分の家のキッチンに立ったことって無かったな。
家にいると、いつも母がご飯を作ってくれていたから。
「鷹山さんのお母さんはどんな人?」
「どんな……がさつな人」
「え、想像がつかないかも。お姉さんがいるんだよね?」
「うちでは、女は母親似で男は父親似になるらしい。弟も俺も父親そっくりらしい」
「三人姉弟良いなあ。私も鷹山さんみたいなお兄ちゃんが欲しかった」
「千佳さんが妹とか……そっちの方が想像つかない」
お茶を淹れてリビングへ行く。母が帰ってくる気配もなく、段々と緊張が解けた鷹山さんがソファーの背もたれに背をつけた。
私は日を改めようと提案する為に口を開いたときだった。
「ただいまー」
玄関の鍵が開いて母の声がした。鷹山さんの背筋がぴんと伸びる。
構えていた私たちの気合いは母を前にして暖簾に腕押し、糠に釘だった。母は鷹山さんの『挨拶』を適当に流し、自分の話をし始めたから。
「今度ね、山川さんと有馬温泉まで旅行に行ってくるのよ。この前二人で行ったショッピング帰りにガラポンで山川さんが二等の旅館宿泊券当てちゃって! ご主人が忙しくて行けないから私を誘ってくれたの、さっきもその計画を立ててね」
「あ、そうなんですね」
「もう楽しみで楽しみで。私、旅行とか全然行ってなかったから、たまには良いわよね! それに有馬は近畿だし、中部より全然遠いことに気付いちゃったわ」
「確かに。そう考えると千佳さんの行く中部も近いですよね。湯布院とかも良いですよ」
「そうなの? じゃあ有馬温泉の次は湯布院かしら……」
母のマシンガントークに適度に相槌を打つ鷹山さん。私はその言葉のキャッチボールについていくことは出来ず、途中から鷹山さんの持ってきてくれたお菓子を食べていた。
さくさくとしたパイ生地の間にコーヒークリームが挟まっている。パイからはバターの香りがふんわりとしていて、クリームはまろやかだけれどしつこくない甘さ。さすが人事部のチョイスだ……私も見習わなくては。
一瞬自分の世界に入ってしまい、ハッと我に返る。母の言葉が聞こえた。
「私の考えは変わらないわよ」
温泉の話は終わり、私も背筋を伸ばす。
「……でも」
「それでも貴方たちが結婚して家族になると押し切るのなら、私はもう止める術はないわ」
「それは出来ません」
鷹山さんが言い切った。驚いた顔の母が顔を上げて、こちらを見る。私はぎゅっと拳を作った。
「俺たちは千佳さんのお母さんにも認められて、初めて幸せになれるんです」
「他人が居ないと成り立たない幸せが、本当の幸せだって言えるの?」
「愛は脆いですから」
何故かその言葉は心臓に滲みた。そう、脆いと思う。目に見えないものはとても強く、とても脆い。
母は小さく溜息を吐いた。
「それが分かってるのなら、きっと大丈夫よ。二人とも、おめでとう」
それから続ける。
「千佳ちゃん、幸せになってね」
笑ったつもりだった。笑顔を返したつもりだったのだけれど、やっぱり涙が出た。
私は幸せへの道を歩み始めた。
私たちは、二人で、歩み始めた。
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