白は雪より白く


 日本人はクリスマスが好きだと思う。私もケーキを食べられる行事は好きだ。誕生日にケーキを食べると決めたのは誰だろう、きっとキリストではないと思うけれど。


「うちの大学、冬になるとイルミネーションがすごかったんですけど、殆ど男子の学部だったので『学費が光ってる』としか言われなかったんですよ」

「ロマンチックとは程遠い……」

「たまに一般人が見に来てましたけどね。何の為にあるんですかね、イルミネーションって。光に集るのって虫か人間くらいですよね」


 今朝、カップルにぶつかられて謝られずに目の前でいちゃつかれたという木戸は、とても分かりやすく苛ついている。裾原さんが肩を竦めて苦笑している。

 まあまあと木戸を宥めて、お昼に行かせた。







「鷹山さんと付き合うことになったよ」


 帰りのエレベーターで一緒になった真由に告げた。元々大きい目を更に開き、それから口を開けて、瞬きより先に声を発した。


「マジで!?」

「うん」

「じゃあなんで鷹山といないの!?」

「いつも一緒なわけないよ」

「聖母マリアみたいに微笑まないで。今日はキリスト生誕のめでたい日じゃない」

「どっちも仏教徒だから?」


 納得いかない顔で、真由は口を閉じた。エレベーターの扉が開き、一緒におりる。

 手に持っていたマフラーを首にかけて、エントランスを抜けてから巻いた。真由もぐるぐるとスヌードを首に巻きつける。ぴゅーっと冷たい風が吹いて、同じように首を埋める。


「そっかあ……良かったね」

「真由、ありがとう」

「何がよ。何言っても無駄って言った後でしょう」

「私と友達になってくれて、ありがとう」

「え、そっち?」


 呆れた笑顔を見せてこちらを見る。風に前髪がふわりと浮いて、おでこが見えた。


「真由が居なかったら、家も出られてなかったし、鷹山さんにも会えなかった」

「いやーわかんないよ? 急に思い立って家出てたかもしんないし、鷹山と同じエレベーターに乗って話すようになったかもしれないし」

「そんな未来がなくて良かった」


 本当に思う。私はそんな未来はいらなかった。

 真由は仕方なさそうに頷く。


「私も、ありがとう。千佳と友達になれて楽しいよ。これからも絶対、楽しい」

「絶対?」

「ぜーったい!」


 あはは! と高く笑って私たちは腕を組み合った。いつしか女子高生たちがやっていたなと思いだした。今やったって、さして問題はないだろう。


「てかさ、千佳の鷹山への思いは『嫌いじゃない』から動いたってこと?」

「うん。なんというか……携帯を見ていたのね、仕事のメールを返すからって」

「鷹山が?」

「そう、それで、なんかこっち見てほしいなって思って、告白してた」


 答えになってないかな、と言いながら考える。つまり、動いたか動いていないかといえば。


「前はそんなこと、思ったこと無かった。というか、誰かがこっちを向いてるというのは、あまり良い気分だったことはなくて」


 視線、意識。見張られている感覚。

 息苦しいのは、嫌だから。

 私はやっと自分の好き嫌いを手に入れ始めた。人間何年目だって話だ。


「やっと鷹山に、気持ちが向いたんだ」

「あ、そっか。そうだね」


 他人の意識が向くのが嫌だったから、私も向けようと思わなかった。長期戦って、鷹山さんは言ってたけれど……。これはもっと長期戦になっていた可能性がある。

 でも鷹山さんだけの長期戦ではなかったと思う。私の長期戦でもあったかな。


「それが言いたかったんじゃないの?」

「言いたかったことを真由が言葉にしてくれた」

「……鷹山に千佳は勿体なかった。私の友達があんなひょろひょろに盗られるなんて」

「ひょろ……」

「鷹山に酷いことされたら教えてね。私が職権を乱用してでも社会的に抹殺するから」

「職権乱用したら真由も会社いられなくなっちゃうよ」

「そこは上手くやるから大丈夫」


 きらーん、と歯を見せて親指を立てる。いやいや、そこは器用じゃなくても良いところだ。なんだか得意げなその顔に、笑ってしまう。

 ちらちらと空から降るものがあった。見上げると、街灯の影になって小さなものが顔にかかる。冷たい。


「雪だね」

「ホワイトクリスマス……なんか飲みたくなってきた。飲み行こう」

「明日平日ですが……」

「一杯だけだから大丈夫!」


 私たちは腕を絡めたまま駅前まで歩いた。周りを歩くサラリーマンやOLたちも雪を見上げている。


「ね、ケーキも食べよう」

「いいねー、美味しいケーキに美味しい酒!」

「あ、でも夕飯が先?」

「夕飯も食べれば良いよー、恋人たちを蹴散らせてやろうぜ!」

「真由、声が大きいって」







 ――元彼女の家に行って、今朝まで一緒でした。


 私は何と返せば良いのか分からず黙ってしまった。別れたのにどうして元彼女の家へ行ったのか。

 問うたら、鷹山さんは答えるだろうか。

 いや、そんなことは問題じゃない。


「夜通し人生ゲームでもしてたんですか?」

「いえ、違います」

「じゃあモノポリー?」

「モノポリー……ってなんですか?」

「鷹山さん、私の意見は変わらないです。鷹山さんが昨夜、元彼女と何があっても」


 自分がこんなに変わると思わなかった。他人に対する想いに、揺るがないなんて。


「何って、婚姻届を出してたなら話は別ですけど」

「……妊娠してたらしいです」

「にん、しん……?」

「勿論俺の子供じゃない」


 もちろん、とは言ったけれど、私は一瞬考えた。だって多分、別れてから三ヶ月経ったか経たないか。


「じゃあその、鷹山さんと付き合う期間が被っていた、という……」

「たぶん、そうだと思うんですけど。彼女のことを全部把握してるわけではないので、なんとも」

「ということは、誰の子供かわからないという話だったんですか?」


 鷹山さんがこれまで見たことのないような驚いた顔をしていた。


「その通り過ぎて、驚きました。永尾さんて驚異的に察しが良い」

「だってたぶん、鷹山さんは『貴方の子だわ』って話し合いをしてきたのでは?」

「いつも斜め上をいくのに、ここってときにストレートを投げてきますね」

「野球の話ですか?」

「永尾さんの話です」


 私、野球やったことないけどな。

 とりあえず、話を整理する。


「つまり、鷹山さんは元彼女さんの家に行き、お腹の子どもの話をされたと」

「あんまり電話口の声が沈んでたので……。行ったらいけないとも思ったんですけど、行ってしまい、言い争って彼女が怒って、静かに眠ったのを見て出てきました」

「解決してないってことですか?」


 純粋な質問だった。でも、鷹山さんは酷く疲れた顔をした。荒波を立てる発言だった。


「これは、俺が解決すべきことなんですか?」


 上手に縁を切れる人は器用だと思った。私もそうなりたいと思っていた。その中に鷹山さんもいた。

 その水溜りに小石を投げるなんて、駄目だ。でも、投げてしまった。波紋がゆっくりと外側へと動く。

 私は何も言えなかった。



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