忙しそうだから、
シアーホワイト
カレンダーを破る。秋は深まった後、どこへ行ってしまうんだろうと一瞬考えた。答えは出ないまま、顔を洗いに洗面所へと向かった。
チョコレート、プリン、粉砂糖の沢山かかったクッキーにシュークリーム。
コンビニに行くといつも甘いものが目に入る。それが体に良くないことも知りながら、私はそれを取らずにいられない。きっと必要になるから、と言い訳してついつい買ってしまう。言い訳したい相手は自分だ。
「千佳がコンビニいるなんて珍しい」
隣から急に声がして、ハッと我に返る。真由がお財布を片手に私のカゴの中を見ていた。
チョコレートの違う種類が既に数枚入っていた。取り出して棚に戻す。
「買わないの?」
「これは本来の目的じゃないの」
「コンビニってついつい余計なもの買っちゃうよね」
「うん。だから、あんまり来ないようにしてた」
「徹底してるねえ、千佳は自分に厳しいとこがある」
私の手放したチョコレートを真由が手に取る。自分に厳しいのか。
本来買いに来た赤と青のボールペンインクを持つ。机に置いておいた両方が一緒に切れるなんて思わなかった。
真由が先にお会計して待っていてくれた。それに並んで、フロアに戻っていく。
「そういえば鷹山、明日から出張だよ。中部」
「あ、なんか聞いた。真由はお土産頼んだ?」
「ううん。この前中部に出張行った子に貰ったし」
「さすが」
ふふん、と言って先程買ったチョコレートの箱を開け始めた。ここで食べちゃうの? と見ていれば、摘めただけのチョコレートをこちらに差し出した。
私は慌てて両手を出す。パラパラと落ちる銀紙に包まれた甘いもの。
「あげる」
「ありがと」
「疲れた顔してるよー、千佳チャン」
エレベーターの前でボタンを押すと、真由は肩を竦めて言う。思わず目をパチクリさせてしまう。前にも鷹山さんに言われた気がする。そんなに顔に出やすいだろうか。
「明日ね、実家に行くことになった」
「え」
「夕飯食べて帰ってくるだけなんだけど。今から……いや決まった日から気が重くて」
真由の口の形が「え」から動かない。エレベーターが来たので乗る。
「……住所言ってないんだよね?」
「言わない代わりに来てって」
「そっかあ。仕事の電話掛けて欲しかったらメッセ送って」
「ありがとう」
入社式が終わり各々の業務へ入り、少し経った後、同期での飲み会が開催された。幹部が誰だったのか思い出せないけれど、私も同じく広報部にいた子に誘われて出席した。
座敷を一室借りて、わいわいと賑やかな会となっていた。私も端の方で、大人しくしている女子たちと固まって静かにお酒を飲んでいた。
今でも思うけど、正反対だったと思う。真由とは。
バイブ音に気付いて立ち上がる。この頃、私はまだ実家住まいで、飲み会がある度、母は私に電話した。
「……うん、もう少しかかりそう。うん、大丈夫だから。タクシーもあるし」
同じ会話。一時間毎にかかる電話。
「彼氏?」
電話を切った私に尋ねたのは真由だった。わいわいしてる中で見た顔だな、という印象で正直名前が分からない。
「いえ、母親です」
「え! さっきからの電話全部母親!? 一時間毎くらいにかかってきてない?」
驚く顔に、その観察眼。よく見てるなあ、なんて私は呑気に思っていた。
「はい」
「束縛系カノジョかって」
「面白い例え」
「なーにー? 笑うと可愛いね」
笑った私の顔を見て、彼女はパチンと指を鳴らす。
それから私の腕に腕を絡み、一緒に座敷へ入っていく。私が元々座っていたところへ腰をおろすと、隣に座った。
「永尾千佳チャンだよね、広報の」
「はい、あなたは人事部の方ですよね」
「敬語やめよう? 同期だしさ。私は人事の石井真由、よろしく」
「うん、よろしく」
新しいグラス二つに瓶ビールを注いで、私に差し出した。私が持った瞬間にグラスがぶつけられた。「乾杯!」と真由は笑顔で言って飲み干す。陽気な女性である。
私も一口飲んで、携帯を膝に置く。
「実家暮らしなの?」
「そう。家には母親一人だけなんだけど」
「もしかしてお母さん、寂しいから電話とかかけてきちゃうの?」
真由は携帯を指さして問う。私は曖昧に笑う。
「理由とか、考えたことなかった。昔からそうだったから」
「居場所確認したり?」
「とか、今日これ着ていきなさいとか、あの子とは遊んじゃだめとか、どの高校に行きなさいとか」
「……思ってたより根深いね」
真由がぼそりと呟いた。よく聞こえなかったので首を傾げてみせると、ううん、と首を振られた。そして、両肩にぽんと手をかけられる。
ぐい、と真由と向き合わせられた。
「千佳、それ、心地よいと思ってる?」
「どちらかといえば、思っていません」
「あのね。家出よう」
目を覗かれた。真由の瞳の色は茶色い。でも、その瞳に映った私を見ることはできなかった。
家を出る。
その発想はなかった。
「赤ちゃんとか幼稚園児ならまだわかるけどさ。着る服までって。じゃあ、千佳が着たい服とママが着させる服が違ったらどうするの?」
「母の方」
「それって着せ替え人形だから」
今日は同期の飲み会。私はあまり交友関係も広くないし、端の方で静かにお酒を飲んでいただけだった。
でも一体、何故こうして、今、私は正座で初対面の人事の子に説かれているのだろう。
「着せ替え」
「か、ペット。首に鈴つけてお洋服着せて可愛がるだけのペット」
「石井さんて」
「真由って呼んで」
「真由ってずけずけ物言うね」
心の声だった。初めて他人の前で出た。
きょとんとした顔の真由に、私も目をパチクリさせてしまう。今のは酔った勢いで言ってしまったことにしよう。そうしよう。
「今のは……」
「今のだよ! もっとそれ、千佳ママに出していかないと」
「真由は酔ってるの? それとも素でそんな感じなの?」
「そういうの過干渉っていうんだよ。普通はもっと放任なの」
「普通じゃないといけない?」
携帯が震えるような気配がした。真由の視線がそちらへ向く。私は鞄に携帯を突っ込んだ。
その手を掴まれる。真由の爪はシアーホワイトだった。私は未だに爪に色を塗ったことがない。
学生のとき、お洒落な子がいた。良いなとは思ったけど、してみたいとは思わなかった。でも、どうして、今。
今、私も同じ色にしたいと思ってるんだろう。
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