ベッドの海で
寒さを感じて、毛布を引き寄せる。足を折り曲げて、毛布の中に包まる。
次はスマホのバイブ音。毛布の中から手だけ出してそれを掴む。
アラームかと思って、確認もせずボタンを押した。
「……もしもし」
『千佳ちゃん?』
母の声。まずった、と寝惚けた頭で思った。
しかし、今からこれを切ることは不可能だ。
「ごめん、今起きて……」
『この前も電話したのに出ないし、全然電話をかけて来てくれないし』
「最近、仕事忙しくて」
『それでも電話くらいできるでしょう? 千佳ちゃん、最近冷たいと思うの。全然家に帰ってきてくれないし……』
こうなると、私は相槌マシーンと化す。
うん、うん、そうだね、そう思う……と言いながら、毛布から出る。通話を切った。
コーヒーを入れて、角砂糖をぼとぼと落とした。健康診断には引っかかっていないけれど、糖尿病予備軍のような気がする。コーヒーを冷ましながら、テレビを点ける。
天気予報がちょうど終わり、次の情報番組が始まった。
甘くなったコーヒーを啜って、テーブルに放ったスマホにメッセージが表示された。視線だけを向けると、真由からだった。
今日、真由と外で一緒に昼食を取る予定だ。
広報部にも様々な課があるように、人事も色々分かれているというのは聞いた。真由のいるところは出張が殆どないらしく、羨ましいと言われたことを思い出す。
九州のお土産のお礼ということで、真由がお昼を奢ってくれるという。
「でも、ちゃんとお金貰ったし」
抜け目のない仕事が出来る真由は、リストにきちんと値段も記載して、その後お金も渡してきていた。私もそれを受け取っている。
交渉としては、そこで貸し借りはおじゃんになるものでは?
「でもさ? 私、労力にも代金は発生するものだと思ってるんだよね」
「友達割りみたいな制度は、真由の中にはないんだね」
「友達であるなら、尚更、お金の管理はきちんとする。そこらへん、ちゃんとしてない子とは学生のときに縁切っちゃったんだー」
あははは、と笑う真由。強すぎる。
それから、回ってきた甘エビを取った。
今日のお昼は回転寿司だ。回っているけれど、一皿均一料金じゃないところ。真由が行きたかったところらしく、私も一人でお寿司を食べることは殆どないので、便乗した。
「縁切るって、どうするの?」
「返信しない。目を合わせない。誘われてもやんわり断る」
「なんかあれみたい」
「告白してきた人間のストーカー対策」
「……参考にしてたり?」
「してるしてる。少なからず向こうに好意があるときはさ、それは悪意だって気付けないわけじゃない?」
確かに。誰かにとっての好意が、誰にとっても好意になるとは限らない。受け取り方は人それぞれだ。
私は艶々のサーモンの線維を見る。
「好意が悪意、か……」
「難しいけどね。同級生とか同僚とかなら一緒にいる時間は限られてるから、まだ楽な方だと思う」
「真由の言いたいこと、わかるよ。家族と縁を切るのは大変」
「その通り」
思わず苦笑してしまう。
――どうしてそんなこと言うの。
あの時の母の声が聞こえる。サーモンの表面が乾いていく。
「てかそんなことより! 鷹山とどうにかなった?」
「え、日本語がよく分からない」
「一緒に社食で会ってるという情報が入ってます。私とはあんまり食べてくれないのに」
「真由の方がお昼早いから」
「千佳が遅いんだよ」
「社食使ってると、偶に会うの。知らない人でも無いし、他愛ない話してるだけです」
「この前は一緒に会社来てたって情報も入ってます」
「……使ってる線が同じで、電車で会いまして……」
何だろう、悪いことはしていないのに、苦しい言い訳をしている気分だ。
何より、真由の情報網が怖い。
「へーえ、ほーお」
「……もしや、その事を聞く為に今日?」
「譲ちゃん、もう証拠はあがってんだぜ」
「棒読み加減」
「冗談はここまでにしといて、本当に鷹山と何も無いの? 社食以外でご飯食べたりーとか」
「無いね」
社食でさえ、時間がぴったり合うのは週に一回あるか無いか。私と鷹山さんの間に、真由が期待するような甘酸っぱい何かは皆無だ。
良くて友達。当たり障りのない言い方をすれば、ただの同期。ご飯の心配をする同期。
……ただの、で合ってるよね?
「鷹山は有りそうだったけどなー。やばい彼女とも別れたみたいだし」
「やばかったの?」
「結婚まで考えてたけど、彼女が浮気したんだって」
「真由情報すごい……」
部署での飲み会があった後。つまり、私の家に鷹山さんが来た後に、彼女と別れたという話は本人から聞いていたけれど、そんなことがあったとは。
「それは本人から聞いたの。鷹山って、聞くとそういうのちゃんと答えるからさ」
「うん? 真由は元々知ってたの、鷹山さんの彼女がそういう人だって」
「知ってたよ?」
「私の家に鷹山さんが来たとき、『恋人いるから安心して』って言ってなかった?」
えへっと真由が笑った。視線を逸らして、回ってきた赤エビを取る。
ちょっと、とそれを視線で制す。
「だってそう言わなかったら、千佳チャン絶対に鷹山のこと部屋に入れなかったでしょう」
「言っても言わなくてもあの状況で入れないのは鬼だよ……」
「私の中で、鷹山が千佳のことを襲うより、千佳が鷹山を部屋に入れる方が可能性が低かったんだもん」
真由が言うと、その言葉の重さが分かる。鷹山さんとも私とも三年は付き合った真由。その目で見極めて、それを天秤にかけた。
その結果、私の非情さが勝った、と。
やっとサーモンに手をつける。うん、表面が乾いても、美味しい。咀嚼して幸せも噛み締める。
「鷹山が恋人いるってのは事実だし、それに関わらず千佳の家を紹介したけどね」
「鷹山さんに対する信頼が高い」
「信頼しないと仕事頼めないからねえ。あと、千佳はテリトリー意識が高い」
「……人を動物みたいに」
「そういえば、鷹山が千佳のこと海獺みたいだって言ってたよ」
サーモンが詰まるかと思った。あんなに咀嚼したのに、だ。
鷹山さん、言わなさそうなんだけど、しれっと言うんだもんな、そういうの。
理由までは話してないだろうけれど。もしも話していたら、デリカシーが欠けすぎていると思う。
元来、私たちは欠陥品だけれども。
ありがとう。
そう言って笑んだ鷹山さんの顔を思い出す。
……一緒にしたら、駄目かな。
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