擬態をする必要
シャワーを浴びた真由が私の部屋着を着て、他愛もない話をしていると、気付いたら夕方になっていた。溜まっていた洗濯物と一緒に干した真由の洋服も乾いたところで、「お邪魔しました」と真由が家を出た。
私も駅の近くで買い物をしようと思っていたので一緒に出る。鍵をかけていると、真由はうちの前の手すりに前身を預けていた。その視線の先には今にも落ちそうな夕陽。
「暗くなるの、早くなったね」
「もうすぐ12月だからね」
「うわー恋人たちのクリスマスじゃん。鷹山と何か予定あるの?」
「ないよ? どうして?」
「……てかさ、二人って今どういう関係なの? 付き合ってはないんだよね? 千佳は兎も角、鷹山は告白とかしてきてないの?」
こくはく。
頭の中を四文字の平仮名が滑り通っていく。告白って、あれだよね。好きです付き合ってくださいみたいなやつ。
口を噤むと、真由が顔を覗き込んでくる。
「何?」
「……された、ような、でも好きですとしか言われてない」
「え。それで、千佳は何て返したの」
驚いた顔。私も自分で驚いてしまうんだけれど、それ言われたの結構前のことだ。私が出張から帰って鷹山さんにお土産を渡すときだったから……。
「返し、て」
「返し?」
「ない」
「返してない!? ……鷹山かわいそう……」
真由が歩き出し、私も後を追う。階段をとんとんと降りていく。
「返した方が良いかな。今更? ってならない?」
「なると思うけど、千佳にその気がないならちゃんと言った方が良いと思うけどね。男って夢見たがるじゃん、まだ返事もらってないから俺のこと好きかもしれないって」
「うーん……前よりは仲良くなったけれど」
「嫌いじゃない?」
真由の後頭部を見る。そうそれです、と見えないけど頷く。きっと通じ合ってるはずだ、と思ったけれど、真由はこちらを振り向いてしまった。ちゃんと頷いてみせる。
それを見て、真由も首を捻る。
「鷹山の何が駄目なの? 今度本人に話してあげるから言ってみて」
「それ絶対言えないやつでしょ」
「人事同期の贔屓目で見ても有能だし、顔は普通だけど背は高いし、ちょっと暗いけど気遣える良い奴だよ?」
「今すごい短所と長所が並んでたんだけど」
アスファルトの上を歩く。真由が白線の上を辿っているのを見て、子供がしてるみたいだと思った。
もっと早く、真由に会っていたらどうだったんだろうと思うことがある。でもそんなのはあるはずの無い未来で、例えてしまえば、もう終わった元彼と結婚する未来をみるようだ。
私も真由の後ろを辿る。
「鷹山さんが駄目というか」
「というか?」
「手が、さ」
自分の掌を見た。何の変哲もない手。
外側は普通に見えるのに。
「手?」
「うん、ちょっとね……」
振り向く真由と向き合う。影の濃さに、冬を感じた。
なんとなく待っていたところがある。
社食で昼食を取ると決めると、いつもの席に座る。きつねそばを啜って、斜め前の席にあのまずいと噂のラーメンをトレイに乗せた鷹山さんが座るのを待っている。
お昼の時間が被ったので、木戸と一緒に外で食べることにした。真由に次いで木戸もランチのリサーチの達人らしく、「ここは安いし美味しいです!」とタイ料理のお店を教えてくれた。私も真由と会社周りランチを駆逐していたつもりだったけれど、知らない場所だった。
しかも、ガパオライスがとても美味しい。木戸の食べていたグリーンカレーも少し貰ったけれど、それも美味しい。今度真由に教えてあげようと決める。
店を出て会社へ戻る。横断歩道で信号待ちをしていると、反対側の道を見知った顔が歩いていくのが見えた。木戸も同じだったらしく、私と同じ方向へ顔を動かす。
「……あれって、人事の鷹山さんですよね」
木戸が確認する。
「うん、私も同じように見える」
「あの女性、受付の人ですよね。武藤さんでしたっけ」
「木戸って名前覚えるの得意だよね。取引先の人の名前も一回で覚えるし」
前に裾原さんが「若いって良いな」と呟いていたけれど、木戸の場合は若さとその能力だと思う。人と多く関わるうちの部署に木戸を入れた上の人たちってやっぱりすごい。そんな中でも辞めたいと考える人は出るわけだけれど。
「ちゃんと覚えようと努力はしてます。名前を知ったら口に出して呼ぶとか」
「鷹山さんの名前もちゃんと覚えてるしね」
「えっと先輩、話が脱線しましたけど、あれって鷹山さんと武藤さんですよね? 二人って付き合ってるんですか?」
はしっと木戸が私の肘を掴んでくる。私も現実に返ってきた。うん、どうだろう、なんてぼやけた返答しか出来ない。
武藤さんは鷹山さんのスーツの袖を掴み、二人は笑い合っていた。
「鷹山さんって背高いし武藤さんも綺麗めな人ですし、なんかお似合いですねえ」
しみじみと言う木戸の言葉を聞いていた。
そういえば真由も鷹山さんの長所に同じことを言っていたと思い出す。もっと、良いところはあるんだけど。
「青だよ、行こう」
「あ、はい」
青信号に変わった信号機を見上げて、木戸は返事をした。横断歩道の白黒の上を歩く。
掌を見る。何の変哲もない手。外側は普通に見えますが、誰の手も握ることはできません。これまで何度、誰かの手と交換出来たら良いと思ったことか。
そんなことは出来ないのだけれど。
「木戸って恋人いるの?」
「いないです。出会いも無ければ時間もなく……」
「会社に結構男性いるけれど」
「いや、同僚の方はちょっと……。別れたら気まずいじゃないですか」
「別れる前提なの? 寧ろ片方が転勤するのが嫌だっていう人たちは見たことあるけど」
「そのときは、ついていけば良いんじゃないですか?」
きょとんとした顔に、真由とは全く反対の人間性を感じた。
真由なら「ついてこい? 私の人生は私のものなんだけど」と頬をピクピクさせそう。
「なるほどね」
「永尾先輩はどうなんですか? 彼氏います?」
「いやー……いないね、全然。今は一人が好きだから」
「私の中の先輩のイメージ、社食で一人でご飯食べてるイメージなんです」
横断歩道を渡り切る。その道の先に鷹山さんたちの姿はもうなかった。
気にしてるのか、私は。
「一人ぼっちか……」
「いえ、マイナスなイメージではなくて、なんというか凛とした女性だなと思ったんです。だからちょっと怖いと思ったのかも」
「褒め言葉として受け取っておきます」
そう思ってくれていたなら、嬉しい。私は必死だったから。一人でちゃんとするのに必死だった。
今は一人で社食を食べることの方が少なくなっていた。鷹山さんがいたからだ。私たちは一緒に擬態をしていた。いや、もう鷹山さんはする必要がなくなったのかもしれない。
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