こっそり教えて
じっとしていても始まらない。
何かの歌詞にもありそうだし、真由の読んだ恋愛の手引きにも書いてありそうだと思った。全ては行動だ。行動と思考が、人間を成長させる、かもしれない。
とりあえず家でじっとしていても始まらないので、外に出よう。今日のお昼は三色丼にする。炒り卵と鶏肉のそぼろとスナップエンドウで三色。絹さやよりもスナップエンドウの歯応えが好きだ。
ちゃっかり朝ごはんを食べ終え、着替えてトートバッグに財布を入れた。
あと、なにかとても甘いものを買おう。ケーキでも羊羹でもチョコレートでも。心が荒んだときは甘いもの。
ふたつ隣駅の大型スーパーへと足を運ぶ。ちょうど安くなっていた鶏肉をとスナップエンドウを手に入れた。私は有頂天になって家族連れの多いショッピング街を歩く。アパレルブランドがいくつか見えるけれど、全くもって興味がない。着る洋服がなくなったら買いに行くとおもうけれど。
その途中で見つけたケーキ屋さんで、プリンとモンブランを買った。世間はクリスマス色で、クリスマスケーキの列と普通のケーキを買う列が別れている。幼い子がホールケーキを「もつ!」と手を伸ばしていた。
駅へと進み、広場に出る。天気の良い休日のお昼前はあまり人がいない。皆ショッピングモールやら遊園地やら楽しい場所へと出かけているのでしょう。
私はひつまぶしを食べ損ねたけれど。
ああ結構根に持っているな、と他人事のように思った。鷹山さんに返した言葉も少なく、通話を切った。
ポケットの中に手を入れ、ICカードに触れる。視界の端でベンチに腰掛ける男性を捉えた。ここらへんに知り合いなんて居ないけれど、どこかで見たような気がした。
視線を向ける。うん、知っている。
ケーキの箱とトートバッグを抱えたまま近づき、彼の目の前まで来た。流石に向こうも気付いたようで、顔を上げる。
「鷹山さん」
視線が絡んだ。
そこに怒りを込めたつもりは無いけれど、鷹山さんは少し怯んだ表情を見せた。心なしか疲れている。声の印象と同じ。
「誰かと一緒ですか?」
周りを見る。休日のお昼、一人でこんなベンチで座っている男性なんて珍しい。そもそもひつまぶしを延期したのだから、何か用事があったのだろう。
私はその用事すらきちんと聞かないまま切ってしまったのだけれど。
「……では、ないです」
「あ、待ち合わせですか? 邪魔してごめんなさい」
「永尾さん、怒ってますね」
やはり怒っているように見えたのかもしれない。いや、私は。
怒っているのかも。
「ちょっとだけ」
「……すみません」
「どうして謝るの?」
俯いていく顔を鷹山さんが上げる。私はその一挙一動を見ていた。
「鷹山さんには鷹山さんの都合があって、私は私の都合で怒ってます。ちなみに今日のお昼は三色丼になる予定です。ひつまぶしのことは残念ですが、私の口はもう三色丼なので」
大丈夫です、と続けると、鷹山さんは小さく笑った。
それが少しだけ泣きそうに見えた。でも、鷹山さんは泣いたりしない。
「それは羨ましいです」
「……鷹山さん」
「でも、寒いと味覚が遠くて」
「もしかして、どこか痛いんですか?」
ぴたりと時間が止まったみたいに、鷹山さんの表情が固まる。
その時間が長く感じて、肩にかかる荷物の重さも感じた。
はー、と鷹山さんが手で顔を覆い、項垂れた。その様子を見て、長話しすぎたかも、と我に返る。元々鷹山さんは予定が入ったから、今日は行けないと連絡をくれたのだった。そこで私が捕まえていては意味がない。
そんなことを思っていた矢先、トートバッグの端を掴む鷹山さんの指が見えた。長くて細い。そして爪に栄養不足の線が入っている。
「どうして永尾さんには分かるかな……」
その呟きはちゃんと耳に届いた。
「鷹山さん、もしかして……三色丼が食べたくなってきてしまいました?」
「三色丼」
「今なら私が作るので良ければ食べられますけど、召し上がって行きますか?」
その手の血色が悪くて、気づけば誘っていた。鷹山さんはすくっと立ち上がる。幼い子供のように、トートバッグから手を離さないまま。
鷹山さんは誰かといたわけでも、誰かを待っていたわけでも無かったらしい。帰りなんです、とだけ言った。
うちの最寄り駅でおりて、帰路を辿る。鷹山さんはトートバッグを持ってくれて、私の後ろを歩いていた。他愛もない話をする雰囲気ではなくて、時折着いてきているかなと振り向くくらいだった。
階段を上がり、鍵をポケットから探り当てる。鍵を回して、扉を開けた。
鷹山さんが先に入る気配が無いので、先に入って靴を脱ぐ。鷹山さんが玄関に入って、扉が閉まる。でも、そこから動かない。
顔を見上げると、口が開く。
「すみません、やっぱり、俺、帰ります」
途切れ途切れに紡がれた言葉。
「油切れですか?」
「え」
「だから色んなところがギコギコ言ってるんですね、痛かったでしょう。今、油をさしてあげます」
きょとんとした鷹山さんが目をパチクリさせる。
「いってんはちめーとる級巨人さん、ちょっと屈んでください」
「俺はいつから巨人に……」
「もう少し、もっと」
私は爪先を立てて、鷹山さんの後ろ首に腕を回す。片腕だったのは、反対側にはケーキを持っていたからだ。
鷹山さんの額が私の肩に触れる。
「私に、こっそり教えてください」
ふ、と小さく噴き出す声が聞こえた。また笑ってる。
永尾さん、と呼ばれた。
はい、と答える。
「甘いもの、もらえますか」
声が震えている気がした。私はそれについて言及することもないし、きっと数分後には忘れてしまう。
ここは私のお城であり、巣であり、唯一安心できる場所だ。
そこに、鷹山さんを招待した。
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