お元気ですか?
水溜まりと海獺
薄い青に、千切れた雲が散らばっている。所々、沈んでいく日の光が反射していた。今朝まで小雨が降り続いていたのに、コロコロと変わる空模様。女心と秋の空だ。
寝坊をして、久々に満員電車に揺られていた。一本前は各駅停車なので、まあまあ空いてるけれど、これは快速。吊り革に捕まっていても後ろから押されて、前に倒れそうになる。働く大人の満員電車は戦いだ。
欠伸を噛み締める。ぐら、と電車が揺れて、隣のひとにぶつかった。すみません、とそちらを向けば、見慣れた顔。
「お、おはようございます」
「……はようございます。大丈夫ですか?」
掠れた声が返る。
「眠いです」
「あ、体調面」
「それより鷹山さんはご飯食べてきました?」
同じ電車に乗っているのは初めてだった。いや、乗っていたのかもしれないけど、こうして認識するのは初だった。
なので午前中に鷹山さんの顔を見るのは、あの日うちに来たとき以来。顔色が悪いと思うのは、度々。
「……ビクターインゼリーをひとつ」
「それって栄養補給ゼリーですよね? あれは飲み物です、食べ物じゃないです」
「眠気が勝利を収めまして」
そういえばこのひと、寝起きそんなに良くなかったな、と遠くなった記憶を呼び起こす。あれは二日酔いだからとかではなくて、通常なのか。
鷹山さんは背が高いので、周りより頭ひとつ飛び抜けていた。吊り革よりも吊り革がついている銀の手すり棒の方が掴まり易いようで、電車が揺れてもあまり動かない。
全然食べないのに、背が大きいなんて。成長期はがつがつ食べていたのかも
「あ……また鷹山さんの食事の心配をしてしまった」
「それは心の声ですか?」
「同情じゃないのかって言われると、嘘になるんですけど」
しっかり吊り革を掴み直す。なるべく鷹山さんに荷物が当たらないように引き寄せた。
「でも100%憐れみとかではないです。ただ、鷹山さんがちゃんとご飯食べてるって聞くと安心します。これは味覚どうこう関係なく思っていたと、思います」
ひとつ、導き出した答えを伝える。空は高く、朝日が美しい。
鷹山さんは、静かに笑んだ。
「永尾さんに心配されるの、嬉しいです。ありがとう」
駅で降りて、他愛ない話をしながら社へ向かう。鷹山さんは時間は大体の感覚で電車に乗っているらしい。確かに、混み具合を気にしないなら遅刻しないように到着する電車に乗れば良いだけだ。
エントランスに入って、エレベーターを待っていた。
「ずっと思ってたんですけど、荷物多いですね」
「今日から出張なんです。九州へ」
「え」
「本田さんにも会えるし、美味しいもの食べられるし、良いものは全て吸い取る気で行ってきます」
メラメラと私は燃えていた。眠いけれど、朝ご飯を抜く余裕はなかった。
「あ、鷹山さんはお土産、ほしいものあります?」
「いえ、大丈夫です。荷物になりますし」
「どうせ部署のみんなに買って帰るので、ちょっと増えても変わんないですよ」
「なら、永尾さんにお任せします」
エレベーターがきた。出る人を優先して、乗り込む。
私に任されてしまった。それもそれで困る。なんせ鷹山さんの好みなんて、全然把握していないし。結局、好物も分からず仕舞い。
「気を付けて行ってきてください」
鷹山さんにそう言われて、別れた。私は考えていたので、どう返事したのか、正直覚えていなかった。
そんなことを、行きの飛行機の中で思い出した。真由からは既にリストが送られてきている。……遊びに行くんじゃないんだけど。
隣で木戸が落ち着かないようで、体勢を何度も変えていた。
「大丈夫?」
「あ、はい。飛行機、初めてで」
「眠ってればすぐに着くよ」
「寝て良いんですか?」
「先輩の姿見て、同じこと言える?」
木戸じゃない側に裾原さんが席に乗ってすぐに眠っていた。今回はこの三人で向かう。
私越しにその姿を見て、木戸は黙った。
「大丈夫。寝顔激写なんてしないから」
「し、しないで欲しいです……」
「しないってば」
そんなことを言っていた木戸も、離陸して落ち着いたらしく、小説を読み始めた。私は私で、真由から貰ったリストを見返す。どんな物で、どこの店で売っていると詳細が書かれている。流石仕事の出来る女に抜かりはない。
北九州に着いた頃、いつもの私のお昼の時間だった。鷹山さんはまたラーメンを食べているのだろうか。
私たちも昼食を取って、支社の方へ挨拶に行った。
「本田さん、あんまりお久しぶりな感じしませんね」
「この前会って一ヶ月も経ってないからな」
と言いながらも、出迎えてくれたのは本田さん。裾原さんは本田さんと同期になるらしい。
「いつ帰るんだっけ?」
「明日」
「は? 早!」
「今回は現地調査と企画のざっとした打ち合わせの為に来たんだ」
「裾原くんつれないなー。九州おいでよ、良いとこよ」
本田さんが本社に居たときは、よくこの二人が絡んでいるのを見た。
「裾原さんと本田さん、同期で同じ大学なんだって」
「だからあんなに仲良しなんですね。あんなにあしらわれているのに、強いハート……」
「確かに」
木戸が興味津々な顔で二人を見ていた。本田さんが九州に移ったことで、直属の上司が裾原さんに変わった。それから、木戸がきた。
繋がっている。きっとこれから、裾原さんや私が異動になったり、木戸の下に人が来ることもあるだろう。
「永尾、木戸、先方に挨拶しに行くぞ」
「え、もう本田さんは良いんですか?」
「どーせ月末のテレビ会議で顔は見るんだ。それに、断っても夜、来るだろ」
「……ああ」
私はその意味を察した。本田さんは実家が九州らしい。そして、とてもお酒が強い。
私たち三人のうち誰かが潰れないと帰してもらえないだろう。
憂鬱なような、楽しみなような夜を考え、まずは仕事だ。
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