噂のきつねそば


 おあげと、蕎麦と、薄い出汁。

 昼を過ぎて食堂へ行く。本田さんに「まだきつねそば食ってんのか」と先ほど電話で言われたばかりだった。仕事の引き継ぎを色々考えていたら、結局本田さんから電話がかかってきたという始末だ。

 いつも通りきつねそばの食券を押すと、後ろからがっと抱きつかれて、危うく食券販売機にぶつかるところだった。


「びっくりしたあ……」

「や、それはこっちの台詞」

「またきつねそば?」

「真由、どうしたの」


 噛み合わない会話を繰り広げつつ、真由が片手に持ったコンビニの袋をぶらぶらさせる。食券には用はないけれど、私がいたから来たらしい。

 ひょこと食堂の入り口から鷹山さんが現れるのも見えた。鷹山さんもこちらに気付いて手を挙げる。


「鷹山さんと来たの?」

「違う、私の方が先」

「終わったのは同じ時間だ」

「仲良いねえ」

「千佳ごめんね、販売機に頭ぶつけちゃったかな?」

「石井、永尾さんの頭をどうしてくれたんだ」

「私は何故頭の心配をされてるの?」


 とりあえずきつねそばを受け取って、椅子に着く。私の正面に真由が座る。


「真由が食堂にいるなんて珍しい」

「久しぶり、前に来たの半年前くらいだと思う」

「半年前は何食べたの?」

「定食。昼ピークに来たから混んでたのは覚えてる」

「定食すぐになくなっちゃうんだよね。それより、千佳」

「うん?」

「千佳ママと決着ついたの?」


 それを聞き出しにきたらしい。というか、私も真由がここに来た時点で気付いてはいた。

 鷹山さんも居るので、二人に話すには良い機会だ。この三人でお昼が被ることはそうそうない。

 ラーメンを持った鷹山さんが真由の横にトレイを置く。疑問符を浮かべた表情で真由が顔を上げて、鷹山さんを見た。


「え、なんでこっち座るの?」

「永尾さんの斜向かいが俺の定位置だから。石井こそ永尾さんの隣行けば?」

「いやー、鷹山と向き合って食べるくらいなら千佳を見て食べたいからここで良いや」

「さらっと失礼なことを……」

「で。千佳ママの話聞きたい」


 コンビニ袋からサラダパスタを出して、真由が再度言った。私も手を併せて箸を持つ。


「話は、したよ。いろいろ。今までのこととか、中部行くって話とかも」

「え、転勤の話もしたの?」

「うん。それ私が行かなきゃいけないのかって聞かれた」


 鷹山さんの手が止まるのを視界の端で捉える。私はおあげを摘んで口へ運んだ。じゅわ、とつゆが口の中で溢れる。

 2月の空はあまり晴れが少なく、雨……というよりは雪が降りそうな曇が多い。


「永尾さんはなんて答えたの?」


 鷹山さんが尋ねる。


「私が行きたいからだって」

「流石」

「でも結局、和解は出来なかったんだけど」

「だろうな。そんな簡単に分かりあえてたら人類の歴史に戦争は無かった」

「うん、でも言いたいこと言えたから、言わないよりずっと良かったかな」


 それを言えてすっきりした。

 真由はもぐもぐと口を動かし、ごくりと飲み込む。


「中部のことはなんて?」

「特に何も」

「てかさ、結婚はいつにするの?」

「籍は先に入れて式は永尾さんが帰って来てから……より先に、永尾家に挨拶に行かないと」

「まだ行ってないの!?」

「今週末に行く予定なの」


 年度末に向けて色々ばたばたしていたので、鷹山さんとの予定が合わなかった。真由がこちらを見てから、鷹山さんの方を見る。


「反対されると思うよ」

「俺もそう思う」

「まあ頑張りなよ。千佳だってちゃんと千佳ママと話したんだしさ」

「勿論」


 短く答えた鷹山さんは肩を竦める。それを見て、真由はこちらに向き直った。


「鷹山って去年の春からピリピリしてたんだよ。事務連絡するのも面倒くさいくらい」

「へえ……」


 鷹山さんの方を見ると、ぴたりと目が合った。そのピリピリの理由は何となく察していた。名前も分からない、これからも知ることがないのを願う、元カノさんとのことだろう。

 何か言おうと鷹山さんが口を開きかけるけれど、その前に真由が話す。


「千佳と仲良くなってからちょっと丸くなって、それは少し良かったかなと思うところだよね」

「だって、鷹山さん」

「どうして隣にいるのにそれが永尾さん伝いで聞けるのか」

「煩いな。とりあえず、二人とも結婚おめでとうね」


 雑に言うように、それでも私たち二人が揃ったところで。真由は照れるのを誤魔化すみたいに、食べ終えたパックをコンビニ袋に戻す。

 私たちは二人顔を見合わせてから「ありがとう」と言葉を返した。

 食堂を出た後、真由のPHSに電話がかかってきて忙しそうに戻って行った。私と鷹山さんは休憩室の自販機の前まで行く。


「紅茶?」

「うん、ってあー!」

「どうした」

「お金払うのに」

「そんな自販機の紅茶くらいで声を張らなくても」


 苦笑して鷹山さんが自分の缶コーヒーのボタンも押す。お釣りのレバーを押してから、私に温かい紅茶を差し出してくれた。

 それを受け取って、両手で包む。どうせ今お金を渡したところで受け取ってはもらえないのだから、今度お茶する時に払おうと決める。


「なんかここに永尾さんと居ると、いつか幸せの話をしたのを思い出す」


 そんな話もしたなあ、と私も思い出す。私の幸せと、鷹山さんの幸せ。

 その時は自分の幸せを決めようと思っていたけれど、決めないままここまで来た。その結果、今幸せなのだから、こういうのが人生なのかなとも思う。


「転勤する私が言うのもあれだけど」

「うん」

「ずっと一緒に居たい、鷹山さんと。それが私の幸せへの第一歩かなと」


 鷹山さんがこちらを見たので、私も顔を向けるとふいと逸らされた。少し寂しく感じていると、長い溜息が漏らされる。


「俺はただただ心配だよ」

「私だって心配ですけど、上司からの推薦もあるから……」

「そうじゃなくて。もし飲み会とかで、酔った男が千佳さんの手握ったりしたらとか想像しただけで……職権乱用してでもそいつをもっと地方へ飛ばしてやる」

「人事の人って職権乱用したがるね?」

「実際そんなことはできないけど」


 隣に座った鷹山さんが缶コーヒーを開ける。現実と夢は違う。そんなのは学生の時から嫌という程分かってきたし、社会人になった今でも身に染みている。

 でも、毎日がじわじわと迫るみたいに、仕事とは別に、鷹山さんとの物理的な距離を考えるだけで辛い。それをなんとなく、忙しさとか母への挨拶とかを考えて誤魔化している。


「それでも、何かあったら連絡して。俺の出来得る限りを持って、千佳さんを守るから」

「じゃあ鷹山さんも、何か辛いことがあったら連絡してね。私は甘いものを持って駆けつけますから」

「……それって今夜でも有効?」


 歯を見せて、悪戯に笑った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る