明日の天気予報
――—コール音。
お電話ありがとうございます。こちら、天使の天塚が承ります。
もしもし、すみません。
はい、今回のご用件をお伺い致します。
この前もお電話させて頂いたのですが……やっぱり返品をお願いしたくて。
申し訳ありませんが、中身の欠陥が理由で返品は受けておりません。
でも、捨てるわけにもいかないし……。
当社のルールで決まっているのです。
じゃあどうして皆と同じものを作ってくれなかったんですか?
お客様、当社はオーダーメイドとなっている為、同じものはひとつとして作れないのです。
オーダーメイド?
では、また何かございましたらお電話ください。
待って、待ってください、天塚さん。
はい、まだ何かございましたか?
もしかして、この欠陥、
目が覚めた。ツーツーと通話の途切れた音がする。どこだ、と周りを見回す。携帯も、目覚ましもテレビも、音が鳴るものは何一つなかった。
……夢を見ていた気がする。変な夢を。
内容の思い出せない夢ほどモヤモヤするものはない。電話の音がしていたということは、誰かと電話をしていたのだろうか。
まだ鳴る前の目覚ましの予約を消してベッドからおりた。今日も一日が始まる。
私は大丈夫だ。今日も大丈夫。
前に鷹山さんが言っていたように、自分に言い聞かせる。
とはいえ、今日は休日。友達の少ない私には特に予定もない、はずだった。
ぴんぽーん、と家のチャイムが鳴る。朝ごはんを簡単に済ませてテレビを見ていたとき。こんな時間に宅配便? テレビの音を小さくして、恐る恐る玄関へ近づく。
「千佳いるー?」
「……真由、どうしたのこんな時間に」
「おはよー」
扉を開けるとふらふらとしながら私の元へ来た。いや、突進してきた。
ぐら、と後ろによろめいて壁に手をついて支える。真由は酒臭かった。
「え、飲んでたの?」
「んーそう、飲んでたよー」
「こんな時間まで? 電車動いてるんだから家帰った方が……」
「千佳に会いたかったの!」
「声が大きい」
嬉しいけど。
ここら辺は一人暮らしが多いので、休日の朝は静かだ。というか、いつも静か。
今までってことは、昨日の仕事終わりからずっと飲んでたってことか。真由を家に入れて、ベッドまで運ぶのが面倒だったのでソファーへ寝かせた。
……何かあったのかな。
んー、と眉間に皺を寄せて頭痛に耐える真由を見ながら考える。
久しぶりに昆布と鰹節で出汁をとる。良い香りと色。
黄金色の出汁でうどんを食べようと思っている。上に葱とかまぼこと卵を乗せる。
「いー匂い……」
ふんふんと鼻を利かせた真由がソファーから起きた。振り向いてそれを見る。
「うどん、食べる?」
「食べるー、それより先にお水ください」
「はーい」
コップに水を注ぎ渡す。真由はそれをぐいっと一気飲みした。お酒じゃないんだから。
はーっと言いながらコップを戻す。
「お酒抜けた?」
「すっかり」
「どういう肝臓してるの……お酒に強い人ってすごい」
「いやほら、さっきまで店にはいたんだけど、飲み終えたのは夜中だから」
もう既にしゃっきりしている。メイク落としたいと言って、洗面所の方へ行ってしまった。なんて自由な。
私は冷凍うどんを茹でて、卵を落とした。ちょうど良いところで掬いあげないと、半熟にならないのだ。卵白が薄く白づき始めたら目を離してはいけない。
欠伸すらも噛み殺す。
「これは絶対美味しいやつ! 何故かと言えば千佳が作ったから!」
「それはどうもありがとうございます」
「いただきます」
テレビを点ける。丁度明日の天気をやっていた。
私のうどんの食べ方は、半分は普通に食べて、もう半分は卵を崩して食べる。とろりと卵黄がつゆに混ざる。
「揚げ玉あったら良かった……」
「いやこれだけでも充分美味しい」
「真由は私の腕を過大評価してるとこがある」
作ると何でも美味しいと言ってくれる。それは嬉しいけれど。
「これは正当な評価です。労務管理の私が言ってるんだから」
「前に鷹山さんが買い被るの意味を教えてくれたことがあってね。買い被るって、買い被った人に被害が出るらしいよ」
「鷹山って言葉に詳しいよね。国語辞典でも持ち歩いてるのかな」
「流石にそれは」
思わず苦笑してしまう。確かに持っていそうな感じはするけれど。
私はかまぼこを口に運んで咀嚼する。テレビの方を向いた真由の横顔を見ると、その整い具合に見惚れてしまう。
「それで、何かあったの?」
「……千佳ってすごいよね」
「うん?」
「なんか、言いたいなって時に、ちゃんとパスを出してくれる」
「それはきっと、真由と一緒にいる時間が長くなったからだと思う」
「前に飲み屋で会った男とね、昨日デートだったんだけど」
小さく息を吐く音。私は頷く。その話は聞いたことがあった。相手の仕事も忙しくて、あまり会うことが出来ないとか。まだ付き合ってないとは言っていたけれど、それからの伸展は全然聞かないので、自然消滅したのかと思っていた。
器の中のうどんはもうない。出汁と卵黄の色が混じっているつゆだけが残っている。あとは小葱が泳いでいる。
「彼、結婚してた」
――明日の天気は晴れです。
お天気キャスターがにこにこと笑いながら、湿度が低いので洗濯物が乾きやすいでしょうと話している。
真由は泣いてもいなかったし、泣きそうでもなかった。ただ、
「怒ってる?」
「げきおこぷんぷん」
「それってまだ流行の言葉?」
「もう一度私が流行らせたいくらいむかついた。本当、一回くらいぶん殴ってやれば良かった」
箸を置いて、真由は手を併せて「ごちそうさま!」と言う。
「元気なごちそうさまをありがとう。それで?」
「結婚してるうえに小さい子供もいるって言うんだよ? 本当にありえない。だって男があたしと会ってる間、その子供の面倒一人で奥さんは見てるんだよ?」
「きっとそうだろうね」
「そのうえ? 仕事も忙しいし子供に構ってあげられない中、お前と会ってやってんだぜみたいなこと言ってきて? 今思い出しても、やっぱり殴ってやれば良かった!」
ばし、とテーブルを叩く。ああ、下の階の方、ごめんなさい。真由は叩いた手を力強く握って震わせた。このままでは私の家が破壊されかねない。
「殴らなくて良かったんじゃない?」
「なんで?」
「きっと殴った顔で家帰ったら、その奥さん驚いて疑って真由のことを突き止めて、離婚だ訴訟だってしないといけなくなるよ。小さい子供抱えて」
「……うん」
「それにきっと殴ったら痛いし」
うん、と真由は頷いた。良かった、怪獣は鳴りを潜めたらしい。
私は自分と真由のうどんの器を回収して、キッチンのシンクに置く。水に漬けていると、後ろから真由が小さく「ありがと」と言うのが聞こえた。
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