小指と薬指だけ
目を覚ますと、隣でこちらを見ている鷹山さんの姿があった。
「おはよ」
「おはよう」
優しく微笑む顔に、もしやと思う。
「……いつから寝顔見てたの」
「ばれたか」
「ばればれです」
「千佳さん、シャワー浴びてご飯食べよ。そして作戦会議しよう」
「作戦?」
「千佳ママ懐柔作戦」
そのタイトルに思わず笑った。
鷹山さんの方へ手を伸ばすと二の腕を引っ張られて起き上がる。
私は先にシャワーを浴びて、朝ごはんを作ることにした。朝ごはんは食パンと目玉焼き、サラダとコーンスープ。ハムがあったのでハムエッグにしよう、とハムの上に卵を割って落とす。じゅっと良い音を出して白身が伸びていく。
「鷹山さん鷹山さん!」
「はいはい、ここにいます」
「来て! 見て!」
まだ濡れている髪の毛拭きながらこちらにやってくる。じゅうじゅうと油の跳ねるフライパンを未だ持っている卵の殻で示した。
「目玉焼きだね」
「双子なんです」
「え、初めて見た」
「あ、でも双子って証明できない……。これは割った人だけが見られる感動なのかも」
「それは確かに。今度は俺が目玉焼き作るよ」
よろしくお願いします、と言ったところで朝ごはんが出来た。一緒に席について手を併せる。「いただきます」と各々言った。
「双子ってお得、卵がひとつで済むなんて」
「あんな風に並んでるもんなんだな」
「昔ね、茹で卵を作った母が二つに切ったら双子の黄身がでてきて、嬉しそうに報告してくれたことがあった」
言った後に、ハッと我に返る。振り返ってみれば、それは悪い記憶ばかりじゃない。確かに母は私を支配したかったのかもしれないけれど、私だって半分以上それに依存していた節がある。
でも、この前手首を掴まれたとき、火花を散らして燃えたのは。
「この前……思い出したんだけど」
鷹山さんがフォークを持ったままこちらを見る。
「小学生のときに、友達と公園で遊んでたら、急に母に手を掴まれて引っ張られて泣きながら帰ったことがあった」
「急に? どうして」
「母が仲良くしちゃだめって子が遊んでた中にいたみたいで」
思えばあれからずっと誰かと手を繋ぐということに、不快感を覚えていた気がする。
「千佳さん、手出して」
言われた通り、掌を上にしてテーブルの上に両手を出す。鷹山さんは苦笑してその手をひっくり返す。昔こういう、手をお煎餅に見立てた手遊びあったなあ、と思い出した。
私の手をひっくり返して、鷹山さんは座ったまま近くの引き出しを開けた。クリームでもくれるのだろうか、ここのところささくれが酷い。私の目には見えない何かを掴んで、こちらに戻る。
「なに?」
「残念、食べ物じゃない」
「え、どうして分かったの?」
「本当に思ってたのか」
笑いながら鷹山さんは私の左手の指を掬った。すっと入った輪っかに、私は瞬きを繰り返す。
「結婚しませんか」
奥まで嵌まった後に言われた。
「鷹山さん、私と結婚したいと思うんですか」
「それは思うよ、家族になりたいって」
「米沢くんが言ってたんだけど」
「返事より先に米沢の名前が出てきたことに俺は軽く嫉妬を覚える。続きをどうぞ」
「死んでからも一緒にいたいからだって」
「なるほど」
「鷹山さんも、そう思う?」
「千佳さんはどう?」
質問を質問で返された。そんなことは初めてで、私は指に嵌まったリングに視線を向ける。細いシルバーに、キラキラという言葉では表現しつくせない程光っている石が埋まっている。服装同様、アクセサリーにも全く興味のない私は、こういう指輪の相場すら分からない。
そんな私でも思う。とても高そう。案外指に馴染んでいて、料理するときも邪魔にならないかも。
「いまは、この指輪いくらだろうってことしか考えられない」
「それは、完全に順番を間違えた」
「男の人ってすごいね。断られるかもしれないのに、こんな大きな買い物をしちゃうの?」
「え」
シルバーリングをなぞっていた手が止まる。鷹山さんの表情も一緒に固まっていた。
「今のは一般的な好奇心の発言です」
「ああ、そうですか。世の中の男は知りませんけど、俺はしますね」
「鷹山さんは……家族って、何だと思う?」
コーンスープが冷める。先ほどまでたっていた湯気がもう見えない。
「俺が、何の理由もなく、君を救える関係のこと」
――もしもし、もしもし。
「私も、鷹山さんのこと、救えますか?」
――返品はもう、大丈夫です。
「もう既に救ってもらってるんだけどね。これからも是非、何かあったら」
「はい、結婚します」
私たちは知り合って半年も経っていない。私は家族が本当はどういうものなのかよく分かってもいないんだけれど。
シルバーリングを見る。私なら、できる。私には、鷹山さんがいるから。
「私、家に帰って母と話をしてくる」
鷹山さんは私に、強くいられる方法を教えてくれた。もう逃げない。向き合う。母にではなく、私は私に向き合わないといけない。
ぎゅっと握った私の手を、鷹山さんが広げた。
「俺も一緒に行きたいけど、行ったら話が拗れそうだから、千佳さんの方の決着がついたら挨拶しに行っても良い?」
「……お願いします……私も鷹山さんの家に行かないと」
「俺の家は全部終わったらで良い。作戦会議のつもりが、結局千佳さんの決起集会になってしまった」
「というか、良いんですか。本当に私と結婚して」
「それこっちの台詞なんだけど。きっと千佳さんの方がそれ言われると思う」
「どうして?」
「俺が元カノに逃げられたから」
ああ、と声が零れた。そういえばそんなこともありましたね。考えてみれば、鷹山さんの味覚が戻ったのも最近のことなのに、もうずっと前のような気がしている。
「私は逃げないので。寧ろ、返品は不可となってます」
「返品? もし欠陥品だったとしても返すことはできない」
母も、父と結婚した時は、幸せだったのかな。こうして嬉しい気持ちと、どこか擽ったい気持ちに心を占められていたのだろうか。
父と別れた後も、私を育てて大学まで通わせてくれた。本当にできた母だ。私だって社会人になってお給料をもらっている今、それがどれだけ大変なことだったのかと推測は出来る。
朝食を再開した。私の左指にはシルバーリングが光っている。
食べ終わったら、電話をしよう。
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