欠陥品の僕ら
金木犀の香りがした。
同期の永尾千佳。
顔と名前は一致していた。ただ、食堂でボールペンを差し出されたことはとても意外だった。かかってきた電話を片手に、借りたボールペンでメモをする。
「ありがとうございます」
「いいえ、はい」
「どうして分かったんですか?」
「なんとなくです」
こんなことをしてくれる人だとは、正直思わなかった。きちんと話したことはないけれど、どこか、ひとつ外側から見ているような人だと思っていた。
「鷹山、終電ないの?」
「金も……ない、まずいな」
「あ! 同期の家がここの近くなんだよね。ちょっと連絡してみてあげよう」
帰ろうとしていたら、所属している人事部での飲み会に引きずり込まれた。こんなに遅くなると思っていなかったのと、財布の中身を把握してなかったので、こんな事態になってしまった。
同期の石井が電話をしている。まあこんな時間だから出ることも無いだろうと思っていたら、何か話している。
「大丈夫だって。結構近いよ、住所送る」
「了承出たのか」
「うん、その代わり電車が動いたら即家を出ろよ」
酔っているからか、口調が危ない石井から住所が送られてくる。それを確認して、石井とは駅で別れた。
何にしろ有り難い。この前まで夏だったのに、夜は冷え込むようになってきた。それに飲みすぎた所為か頭が重い。
夜道を歩きながら、今日の飲み会のことを思い出す。
春先から食べ物の味が分からなくなった。それから付き合っていた彼女の浮気が発覚して、別れる別れないの押し問答。未だにそれは続いていて、ピリついている自分を腫れ物に扱う会になっていた。気を遣われている。プライベートが仕事に影響するなんて、学生のバイトとは違うのに。
味の分からない揚げ物を口に運んで、レモンサワーの酸味で流し込む。それすらもストレスになっていたことに、今になって気づく。
着いた先はアパートだった。そういえば名前を聞いてなかった、と部屋番号を確認しながら歩む。石井の同期というなら、俺の同期でもある。
「あ」
部屋から漏れる光を背にして、永尾さんが柵に手をかけていた。こちらを向いている。
……永尾さんって石井と仲の良い……同期だよな。
半分も回らなくなった頭でそれを確かめる。永尾さんも目を何度か瞬かせた。
普通なら追い返すところを、永尾さんは夜中によく知りもしない同期の男を部屋に上げてくれた。ふわりと香る優しい香りに、少しだけ頭の重さが和らぐような気がした。
物が少ない部屋という印象だった。リビングには家具意外に殆ど物がない。そこから見えるキッチンには何種類かの調味料が見えた。
廊下で電話していた永尾さんがリビングへ来た。石井との話は結局平行線だったことが、その表情でわかる。
水を貰って、眠ることになった。廊下で良いと断ったけれど、永尾さんの寝室に簡易マットがひかれてそこに横たわる。言葉にすると永尾さんは同じ部屋でよく知らない男と眠る危機管理の甘い人に思えるが、実際は違う。
痛いほど警戒心を感じる。ここは永尾さんのテリトリー内で、何かを起こせばフライパンで殴られかねない。
「じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
部屋が暗くされる。まるで野生の獣みたいだなと思った。身体にかかったタオルケットが柔らかく、どこか落ち着かない。
頭は重いはずなのに、眠れそうになかった。一度上半身を起こしてみる。暗闇に目が慣れて、ベッドの方を見れば永尾さんはこちらに背を向けて眠っていた。
毛布に絡んでしがみついて何かから流されないように、必死に。
その姿が、最近見た海獺の眠るときの姿と似ていた。とても健やかな眠りだった。先程までの警戒心がまるでない。
それを見ていると、色んなことが馬鹿らしく思えてきた。味覚が戻らないこと、それを誰にも言えずにいること、別れようと思ってる彼女のこと、仕事のこと。
再び横になった。次は落ちるようにぐっすりと眠れた。
欠陥品の僕らのこと
END.
20190111
欠陥品の僕らのこと 鯵哉 @fly_to_venus
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